入学式は波乱に満ちて-5
次の日、美樹の家族が予定よりも早く帰ってくると聞かされた。
「え?まだお昼前ですけど」
体調もよくなったので、今日は食堂で美樹と一緒にご飯を食べていた蒼麗は驚きの余り誤嚥しかけた。
「ごめんね。本当は予定通りの帰宅時間だったんだけど、早朝に掛かってきた電話で蒼麗の事を話したら、すぐに帰宅するって」
それは、見も知らぬ存在が自分の娘や姉、妹と一緒に居るのに驚いたからだろう。
「それで、帰ってくる時間は何時ですか?」
「それが……」
その時だ。ドタバタと扉の外から足音が聞こえてくる。
「やばっ!もう来たっ」
美樹が額を手で押さえた瞬間、食堂の扉が勢いよく開いた。
「此処にそのよそ者がいるの?!」
その声は、まるで小鳥の囀りを思わせる美声であるにも関わらず、聞く者全てを萎縮させるほどの怒気と威圧感に満ちていた。
蒼麗も思わず箸を取り落とし、肩をすくめる。
恐る恐る美樹の背後にある扉の方を見た。
そこには、朝露の如き清純な雰囲気を纏った花のように愛らしく可憐な少女が立っていた。
腰まで伸びた艶やかな黒髪。知性の光を宿した美しい瞳。
白い肌は白磁の様でいて、華奢な鼻筋と顎はまるで触れれば壊れてしまいそうな繊細な細工を思わせる。
年頃は10才になるだろうか?しかし、まるで大人の女性を思わせる色香と華奢ながらも丸みを帯び始めた肢体が
子供らしいあどけなさと相まり、何処か神秘的で妖しい美しさを感じさせる。
なるほど。確かにもの凄い美少女だ。
ミスコンなんて審査せずとも優勝を総ナメに出来るだろう。
「えっと、その人が」
「妹の光奈さん。年は二つ違いで今年10才になるの。ちょっと気が強くて失礼なこと言うときがあるけど、全部受け流していいから」
光奈さん?って、妹を”さん”付けで呼んでいるの?
思わぬ美樹の妹の呼び方に、蒼麗は暫し呆然とする。
ちゃん付けなどで呼ぶ人は周りに居たが、さんづけはお目に掛かった事がなかった。
強いて言えば、ドラマや小説などで出てくる大富豪や名家などの家の人達のセリフぐらいだ。
「そこに居たのねよそ者っ!!」
光奈と呼ばれた少女がドスドスと足取り荒く此方にやってきた。
ってか、浮かべる怒りの表情が元からの美貌とあわさってとっても怖かった。
そして、うん。確かに美樹には全く似ていなかった。
美貌こそ遙かに妹に劣るが、美樹の方がとても優しげである。
「私達のいない間に勝手に人の家に上がり込むなんてどういう教育を受けているのかしら?」
「え、えっと……」
思い切り正面から睨まれた蒼麗は、まるで蛇に睨まれた蛙のように固まった。
「光奈さん、この人は私のお客様です。というか、私が勝手に連れてきたの。文句なら私に言いって下さい」
美樹の口調が変わる。
その変化に、光奈が微かに表情を変えるが、それも一瞬のこと。
「ならば言わせて貰うわ」
矛先が美樹に向かう。
「いくら道端に落ちていたとはいえ、この家にまで連れてくるなんて少々考えがなさ過ぎでは?もし、この人が悪意を
もっていたらどうするんですか」
「大丈夫。私、人を見る目は確かですから」
妹や姉に近づく為だけに自分に近寄ってくる人達や、自分を馬鹿にしてくる人達でさんざん鍛えられた。
「っ!時には間違う事だってあると思うわ!!」
「寧ろ百発百中なので問題なしです」
「凄いですね、私も美樹さんを見習いたいです」
「蒼麗だってすぐに出来るわよ」
「そうですかね〜〜」
「ちょっと!私を無視しないで!!って、幾ら美樹が良いっていったからって、此処に住んでるのは美樹一人じゃないのよ?!
他の家族の同意も得ずに連れてきて、更には住まわせるなんて」
「迷惑はかけません。どうしても嫌だって言うなら蒼麗が行動する時は私が常に側に居てちゃんと見てます」
その瞬間、光奈の表情が一瞬だけある感情を宿す。
しかし、美樹も蒼麗もそれに気付く事はなかった。
「と言うことで、話は終了ですね」
「勝手に終わらせないでっ!!」
「そうよ、光奈の言うとおりだわ」
「っ!水香さん?!」
いつの間に来たのだろう。
見れば、先程光奈が現れた食堂の入り口に新たな少女が立っていた。
年頃は15才になるだろうか?
光奈や美樹と同じ艶やかな黒髪。清らかな光を称えた大きな瞳。
白い肌は艶めかしく、柔らかな輪郭と華奢な鼻筋で形作られた顔は柔和で優しげな美貌を称えていた。
光奈が清らかで花のように愛らしく可憐な美少女だとすれば、此方は聖母の様な慈愛と穏やかさに満ちた
優しげな美少女と言えよう。
また、その肢体は既に成熟した大人の女性そのものであり、服の上からでも分かる豊満な胸と括れた腰は
男ならば抗う事が難しいほどの魅惑的で強力な磁力を誇っていた。
たぶん、あの少女は美樹の姉。
蒼麗はそう見当をつけた。
(けど凄いな〜〜姉妹揃ってあのスタイル。男だったら絶対に抱きしめたい抜群のプロポーションだわ)
蒼麗はオヤジ目線からの感想を抱いた。
(でも……うちの妹や他の幼馴染み達に比べると少し劣るかなぁ)
そんな勝手な感想も抱く。
というか、自分の妹や幼馴染み達のあの抜群のスタイルは最早完全無欠の域に達する。
あれと比べるのはとても失礼かも知れない。
それに、光奈も水香もその美貌はもとより、超一流のモデルが恥ずかしさに縮こまるほど魅惑的で抜群のスタイルを
しており、此方の世界ではまず間違いなく類い希な美少女といってもいいだろう。
「美樹、きちんと説明して。どうして家に知らない人がいるの?」
美しく優しげな美貌に苛立ちという色を添えた水香が妹を問い詰める。
「だから!それは電話でも説明しました!!雨の中倒れていたんですよ?見捨てられるわけないです」
「警察に届れば良かったと思うけど」
「警察に届けてそれで終わりなんて冷たすぎます!!」
「美樹、貴方って子は――」
そうして水香が此方を訝しげに見てくる。光奈に至っては敵意の視線だ。
どうやら、自分が此処にいることを歓迎していないらしい。
けど、それは当然だ。知らない相手に勝手に家に入られていれば普通はいい気はしない。
4日前には、美樹から「親は結構お人好しで慈善家としても名の通っている人達だから、
行き倒れの一人や二人何も言わない」と言われたが、この分では美樹の両親からも余り歓迎はされないだろう。
下手をすれば、両親からも美樹は責められかねない。
此処は、一刻も早く自分が出て行った方がいいだろう。
美樹へのお礼は後日行なえばいいのだから。
そうしてる間にも、美樹と彼女の姉妹との言い合いは更に酷くなっていく。
「いいから、早くその子を追い出しなさいよっ」
「絶対に嫌です!!」
「あ、あのっ落ち着いて下さい皆さんっ」
「貴方は黙ってて下さいなっ!これは私達姉妹の問題ですっ」
水香にそう怒鳴られ、蒼麗は縮こまる。何だかとんでもない事になってきた。
「蒼麗の事は私が責任持って面倒見ます!!皆さんには迷惑はかけませんっ!!お金も、これからは私の貯金から
きちんと出しますっ!!」
「美樹、そういう問題じゃないのよ?」
「そういう問題です!!」
「美樹!!」
水香が怒りの声を上げる。
その横で、光奈が大きくため息をついた。そして苛立ったように艶やかな髪をかき上げる。
「ああもうっ!!どうして何時もそう意地っ張りなのよっ!!全く良い迷惑だわっ!!」
「なら、最初からほっといて下さい!」
「っ!ほっといたら大事になるからわざわざ言ってるのよ!!全く!美樹の考えなしの行動にはもううんざりよっ!」
「っ!」
「あら?傷ついたの?今更?」
光奈が馬鹿にした様に鼻で笑う。
「社交界の人達もみんな言ってるわ!!美樹は考えなしのお馬鹿さんだって!!」
目を見開く美樹に、光奈は続けざまにいう。
「それだけじゃないわ!みんなが陰で美樹のことなんて言ってるか知ってる?!落ちこぼれで愚図でのろまな豚よ?!」
「?!」
あんまりの言いように蒼麗は絶句した。
どんな権利があってそんな酷いことを言うのか。
「勿論、美樹は頭も悪くて運動もダメ、ダメダメ尽くしの落ちこぼれでこの家の恥さらしだから言い返す事なんて
出来ないけれどねっ!!」
「っ……………」
俯いた美樹の顔は見えないが、たぶん青ざめているだろう。
カタカタと小さく体が震えている。
「本当は今回だって一人此処に残しておくのは心配だったのよ?!けど、必死に御願いするから、今回ばかりは
大人しくしてるのかと期待したら……」
光奈が軽蔑しきった眼差しを向ける。
「こんな何処の誰だか分からない相手を連れ込むなんて……一体どういう感性を持ってるのかしら。これでは、
社交界の人達が言うのも尤もだわ!」
「確かに光奈の言う通りね。美樹、毎回毎回嫌みを言われている私達の事も少し考えて?そのせいで私達がどれだけ
恥ずかしい思いをしているか……お父様やお母様なんて、もの凄く肩身の狭い思いをなされているのよ」
「なのに、知らない人を勝手に引き入れて……また変な噂を立たせるつもり?!うちの家の品格をどれだけ
落とせば気が済むのよっ!!」
「もういいっ!!」
光奈の怒鳴り声以上の大声で、美樹が叫ぶ。
空気を振るわせるその音量に、流石の光奈達も押し黙った。
「言いたいことは分かりました!!けど、もうこれで話は終わりです。もしこれ以上何か言うのでしたら、
蒼麗を連れて私はアパートの方に移ります」
「「美樹っ!!」」
「美樹さんっ?!」
話は更にとんでもない方に転がっていったらしく、美樹の家を出る発言にまで話が発展して言っている。
すると、さしずめ自分は美樹をたぶらかして家を出させるロクデナシの恋人だろうか?
ああ、光奈達の視線がもの凄く痛い。
「もういいからほっといて下さい!!」
終にそう叫ぶと、美樹は蒼麗の腕を掴みそのまま廊下へと連れ出す。
突然の事に抵抗する暇もなかった蒼麗はそのまま引きずられていった。
後ろから、光奈達の追いすがる声と足音が聞こえてくる。
「美樹、待ちなさいっ!」
しかし、美樹は自分の部屋の扉を開けると蒼麗だけを中に連れ込みさっさと扉を閉め、しっかりと鍵をかけてしまった。
ドンドンと外から扉を激しく叩かれる。
「美樹、美樹っ!!」
「いいからあっちに行って!!もうほっといてよ!!」
その後、まもなくガヤガヤという音と共に美樹の部屋の前に多くの人達が集まりだした。
扉一枚挟んでいたが、美樹を呼ぶ呼び方から、それらが美樹の家族と共に旅行に向かったとされる使用人達だと分かった。
しかし、どれほど声をかけられようと美樹は絶対に扉を開けなかった。
そんな様子に、終には諦めたのだろう。
少しずつ扉から人気がなくなっていく。
そうして、残ったのは美樹の姉と妹。
だが、最後まで扉を開けるように言っていた光奈と水香もまもなくやってきた二人の人物の前に諦めた。
「好きにさせなさい」
「しばらくほうっておけば勝手に出てくるでしょうから」
その二つの美声が聞こえてきた瞬間、光奈と水香は叫ぶのを辞めた。
「お、お父様、お母様っ」
水香の言葉に、扉の向こうから聞こえてきた二つの声が美樹達の両親のものだと知る。
父親の方は威厳と存在感に満ち溢れた声。母親の方は凛とした気品に満ちた声。
どちらも美しいばかりか、その声だけでも二人の美貌のレベルの高さが容易に予想される美声だったが、
同時にどことなく冷たいものが感じられた。
娘の気持ちが治まるまで静かにしておこうというよりは、寧ろどうでもいいと突き放しているようにさえ感じられる。
それどころか、娘を心配しているという想いが全く感じられなかった。
好きにしろ、勝手にしろ。そんな想いすら感じられた。
両親の声に、美樹が潜り込んだ事で作られた布団の山がビクリと震えるのを蒼麗はしっかりと見た。
「さあ、それより早くご飯にしましょう」
「急いで帰ってきたからな。私も腹が減って仕方がない」
先程とは打って変わった優しく、愛情に満ち溢れた声。
そして物音と聞こえてくるやりとりから、両親が優しく二人の娘を促し、扉の前から遠ざけていくのが分かる。
次第に遠ざかっていく足音。
終には、扉前から誰もいなくなる。
「美樹さん……」
この部屋に飛び込んで鍵をかけると、すぐに自分のベットに潜り込んでしまった美樹。
カーテンが閉め切られ、部屋の電気さえ点けず、また蒼麗も敢て点けようとしなかった部屋は暗く、そしてとても静かだった。
だが、蒼麗にはこの部屋に渦巻くそれを知っている。
「美樹さん、泣かないで」
扉の向こうで娘が泣いているのに、それを放って二人の娘だけを連れてさっさと食事を取りに行ってしまった美樹の両親。
両親には両親の考えがあるのだろう。この家をよく知らない自分が敢て何かを言うのはおこがましい事かもしれない。
しかし………もう少し、美樹に優しくしてあげてもいいのではないか?
美樹だって、同じ娘な筈なのに。
姿は見えずとも、声の感じから二人の娘を慈しみ愛し、労る姿がすぐに想像出来た。
それを、少しでもいいから美樹にも……。いや、美樹にも同じだけの愛情を注いであげて欲しい。
(って、こんな風に考えてるのが知れたらまたみんなからギャア〜〜スカ言われるなぁ)
お人好し。それも馬鹿がつくほどのお人好しと言われてウン十年。
周囲は最早諦めムードに近くなりつつも、何かあればすぐに首を突っ込み何とかして手助けしようとする自分を諫める。
お人好しはいい。けれどやりすぎはよくない。何でもかんでも首を突っ込むな。相手には相手の事情がある。
けれど………
(ほっておけないんだもん)
なんたって美樹は自分の命の恩人でもある。
それにこの数日、とても良くしてくれた。見ず知らずの自分にまるで家族のように温かく接してくれたのだ。
そんな相手が悲しそうに、ましてやこうしてベットに潜り込んで泣いているのを見てそのままにはしておけない。
(だから、ごめんねみんな)
本当はすぐにでも帰ろうと想った。状況を想えば、自分が早く此処を出て行った方が良い。
それに、どうして此処に来てしまったのかは知らないが、きっと突然居なくなってしまった自分にみんな心配しているだろう。
けれど、美樹をこのまま放っておくことも出来ない。
だから………
「美樹さん、もう少しだけ此処において貰えませんか?」
その言葉に、それまで布団の中で泣いていた美樹が顔を出してくる。
薄暗い中でも驚いている顔ははっきりと分かった。
「蒼麗?」
「だって美樹さん言ってくれたじゃないですか。もう少し此処に居てって。それに、私も良くなったとはいえまだ体調は
万全でないし、もう少し此処で静養させて貰えませんか?」
「……いいの?」
「はいvv」
にっこりと微笑む。
すると、美樹がゴソゴソと布団から這い出てきて
「きゃっ!」
思い切り抱きつかれた。
「美樹さん?!」
「ありがとう、蒼麗」
その声は嬉しさに震えていたものの、まだ涙が入り交じるものであり、それ以上に寂しさを訴えていた。
寂しい
寂しくて堪らない
そんな心の声が聞こえてくる
自分は独りぼっち
側には誰もいない
自分だけがあの輪の中に入れない
自分だけがよそ者
美樹から伝わるその思いは、蒼麗も馴染みがある
寂しい、悲しい、苦しい
私だけが向こうへとやられた
みんなの前では笑って、裏では泣いていた
沢山会いに来るよ
そんな約束は何時も潰れた
代わりに来るのは、沢山の贈り物
本当はいつも泣いていた
誰も自分の側にはいてくれない
代わりの贈り物なんていらない
ただ側に居てくれるだけで良かった
自分はあの人達の輪に決して入れない
入ってはいけない存在
どうして私だけが独りぼっちなの?
抱きしめて、大好きだと言ってくれるだけで私は幸せになれるのに
誰か私の側に居て
美樹は昔の私
この数日間。自分を助けてくれた美樹は、何かある毎に自分の所に来てくれた。
あれは、助けた少女を心配していただけではない。
寂しかったから
自分の側に居てくれる人を探していたのだろう
そして蒼麗は、美樹の背中を優しくさすった。
ずっと一緒にいられるわけではない
いつかは別れなければならない
けれど、もう少し
もう少しだけ側に居るから
だから、沢山泣いた後は輝く未来を思って笑おう
そうすれば、きっと望む物は向こうからやってくる