自由をかけた鬼ごっこD



炎狼達が追いかけてくる。
傷つけるなという命令からか手加減しているのだろう。
囲い込むように、果竪を追い詰める。

「やだやだっ!!」

逃げ道がどんどんふさがれていく。
このままでは逃げ切れない。

飛びかかってくる炎狼達を必死に避けながら、果竪は走り続けた。

だが――

「きゃあっ!」

足のバランスを崩すように先回りされ、果竪は炎狼に抱き留められるように体勢を崩した。
と、一気に炎狼達が群がってくる。

「離れてええっ」

叫び暴れるが、炎狼達は離れるどころか果竪の体に自分の体を押しつける。
その様はまるでマーキングしているようである。

グイグイと胸に、首筋に、太ももに頭を押しつけられる。

たぶんというか、絶対に萩波がこんな光景を見たら切れる事はまず間違いないだろう。

炎狼の中には、果竪に思い切り甘えているものもいる。
一応、朱詩によって創り出された存在ではあるが、個々に性格が違うらしく、甘え方も様々だったが、とりあえず全匹果竪に甘える事には余念がない。

そうして散々頭を押しつけられた果竪だったが、何とか隙を見て逃げ出す。
すると、なんとも悲痛な鳴き声が炎狼達からあがり、彼らが追いかけてくる。

「どうして追いかけてくるのよぉぉっ!」

それは勿論命令されているから。だが、もはやそれだけではない。
果竪の匂いと触感が気に入った炎狼達は、ひたすら果竪に頭をなでて貰いたいが為に追いかける。

それが果竪を恐慌状態に陥れるとは全く気づかずに

もはや果竪は泣きながら逃げていた。
この調子では、王都の外に出ることさえ出来ない。
ぐずぐずしていれば、追っ手は更に増えるだろう。

「もう王宮には帰りたくないよぉ!」

捕まれば王宮に連れ戻される。
そして今度こそ二度と外には出られないだろう。
一生、あの王宮で飼い殺しにされるのだ。

昔と同じように――

そう考えると、酷く悲しくなってきた。

「私の人生ってなんなんだろう……」

今思えば、大戦中が一番幸せだったかもしれない。
両親も村も失ったけれど、こんな風に追いかけ回される事はなかった。
萩波が王になった後から急速に狂っていった。

今ほどではないが、王宮の外に出して貰えず、果竪の世界は王宮の中だけで展開していた。勿論、何度か抜け出した事はあるものの、すぐに連れ戻された。
それは、他国に行っても同じ事。それがあまりに続くようならと、ついには外交にもつれて行って貰えなくなった。

自分はここで一生を終えるのだろうか

大好きな人達に囲まれてはいるけれど、その自由のなさが嫌で仕方なかった。
貴方は王妃なのだからと言われてしまえばそれまで。
王妃という地位と立場がどれほど重いものかなんて重々承知していた。
だからこそ、ずっと我慢していた。

でも、王宮を追放された事で自分は自由を知った。
もう二度と昔には戻れない。

なのに、萩波達は更に自分の自由を奪い取ろうとする。
外から切り離し、萩波達が創り出した鳥かごの中に押し込めようとする。

そうして自分を側に置くことで、萩波達は更に狂っていく。

このままではダメだ

どうにかして逃げ出さなければ

後ろから、炎狼達の鳴き声が聞こえる。
後ろを振り向く勇気はないが、すでにそこまで迫っているだろう。

「誰か……」

涙をぬぐいながら果竪は叫ぶ。

「蓮璋蓮璋蓮璋っ!!」

いつも側に居てくれた友の名を呼ぶ。

それが無駄だと知ってても――

今の自分に助けを求めて呼べる名など、限られているのだから

「あっ!」

果竪が足をつまずかせる。
炎狼達が喜びの声をあげるのが後ろから聞こえてくる。

ダメ――

何とかすぐ側の壁に手をつき、果竪は必死に体勢を立て直す。
が、足はもつれたまままで、その状態で曲がり角の先へと体が投げ出されていく。

ダメだ……捕まっちゃう

「蓮璋――」

みんなにもう一度会いたかったな……

思い出すのは、友人の事。
こんな汚れた自分を、欲しいと言ってくれた。
その手を取ることを躊躇った自分に、微笑んでくれた優しい人。

会いたい

もう一度会いたい

萩波達の事は大切だ。
誰よりも大切だ。

でも、それでももう自分は居られない。
汚れてしまった自分は、あの美しい人達の側にいる資格はない。
勿論、蓮璋の側にも。
けれど、それでも受け入れてくれた蓮璋に、寂しがりやの自分は縋り付いてしまう。

一人にしないで

置いていかないで

果竪は叫ぶ。

「蓮璋!!」

その時、背後の炎狼が果竪の進路を防ぐように立ちはだかった。

「っ!」

しっぽをパタパタとふりながら、炎狼が果竪を見上げる。
傷つける気は一切無い。ただ、主から命じられた事を遂行するのみ。
その小さな体を後ろに押し戻そうとした時だった。

果竪の視界に、何かが映り込んだ。

え?

炎狼から何とか逃げようと顔を上げた瞬間、それに気づいた。
降り注ぐ雨の向こうに見える人影。

あれは……

人影が何かを叫ぶと、水の矢が炎狼を貫く。
悲鳴を上げながら消滅する炎狼に驚いた果竪の耳にそれは聞こえてきた。

「大丈夫か?!」
「っ!!」

声が――

あの人の……

まさかと思った。
けれど、こちらに駆け寄ってくるにつれ、明らかになってくる相手の姿に果竪は両手で口を覆った。

「怪我は……」

相手も茫然とする。
まさかと思った。
こんな場所にいる筈のない炎狼の姿を見かけた。
どう見ても、襲われているようにしか見えなくて、ついつい水の矢を放ってしまった。もしかしたら、それで自分の居場所がばれてしまうかもしれないと分っていても、見捨てられなかった。

王宮に幽閉されているあの少女を助けたい。
果竪と蛍花を助けたい。
その一心でようやくこの王都に潜り込む事に成功した。

お尋ね者となっている今の自分が下手に此処にくれば命を捨てるようなもの。
それでも、自分は来た。

助け出したかったから。
だが、だからといって今目の前で危険に陥っている存在を見捨てることは出来ない。

そうして駆け寄った蓮璋は、相手からあと十歩という所で立ち止まった。

「まさか……」

蓮璋は言葉を失った。
こんなところに居る筈がない。

噂では、自分がこの王都をたち、お尋ね者として手配された後、果竪は後宮に幽閉されたという。

情報では、一度は感づき逃げたらしいが、二週間ほどで捕まったらしい。
あの時、どうして果竪を一緒につれていかなかったのかと死ぬほど後悔した。
全ては自分を葬り去る為の偽りの任務。
王達は最初から果竪を渡す気などなかったのだ。

それでも、自分が唯一果竪をあの伏魔殿から解放するにはそれしかなくて……。
けれど、結局は果竪は後宮に幽閉された。
王達が果竪に害を加える事は考えられない。

しかし、それでも果竪は心細い思いをしているだろう。

『お前なんて、死んじゃえばいいんだ』

あの時の、朱詩の冷たい殺意を思い出すだけで、彼らの果竪に対する執着に肝を冷す。

彼らは死んでも果竪を手放さない。
それが果竪を追い詰める事だと分っていても。

だから逃げようと思った

果竪を連れて、炎水家に逃げなければと

あそこならば、彼らも手を出せない

愛する少女を諦め、果竪を選んだ時点で、もう自分達が生き延びるにはそれしかないと思った。

待っていて

必ず助けるから

「果竪……」
「蓮璋……」

そこに居る

そこに、思う相手がいる

最初に手を伸ばしたのはどちらからだっただろう。
気づけば、二人して手を伸ばしていた。
蓮璋が走り出す。
果竪が走り出す。

その手が、もう二度と離れないように繋がれるその時。


サ ワ ル ナ!!


ズンっと突き上げる様な強烈な威圧感に蓮璋の体が地面に叩付けられる。


「くっ!」

上から押さえつけられる様な圧迫感に抗い、顔を上げた。
だが、そこには果竪の姿はなかった。

「か……じゅっ!」






「はぁ〜、ボクとした事が大失敗だよ〜」

街の上空で自分を抱えたまま苛立ちながら呟く相手に果竪は目を見開いた。

「しゅ、朱詩っ」
「はいはい、もう帰ろうね〜」
「やだ!帰らないっ!もう王宮には帰らないっ」
「それは聞けないよ、果竪。果竪が帰るところはあそこしかないんだから」
「いやっ!降ろしてっ!蓮璋!!」

果竪が蓮璋を求めて抵抗すれば、朱詩が苛立ったように舌打ちをする。

「やっぱり、あの男は殺しちゃうか」
「っ?!」
「あの男を殺せば、他の奴らも黙る。今のところ、一番やっかいなのがあいつだからね」


クスクスと微笑む様は、もはや正常とは思えない。
いや、もともと彼らは狂っていた。


狂ってしまったのだ

「でも、それを果竪に見せるのは忍びないから……先に一緒に帰ろう」
「っ?!」

暴れる腕を後ろにねじりあげ、一纏めにして拘束する。
その首筋に息を吹きかけ、たじろいだところで耳元に囁く。

「これ以上手を煩わせるなら、蓮璋を八つ裂きにしちゃうからね」

その言葉で、果竪の抵抗は止んだ。
それに満足しながらも、蓮璋の名を出さなければならなかった事に酷く腹が立つ。


とはいえ、今は果竪だ。
蓮璋の事は炎狼達にひとまず任せておこう。

まあ……もしかしたら勢いあまって殺してしま

何かが飛んでくる気配に、朱詩が顔を背ける。
が、頬が切り裂かれ、パックリと裂けたそこからは血が流れ出した。

「しゅ、朱詩?!」

驚いた声をあげる果竪に答えず、朱詩はそれが飛んできた方向を見た。
そこには、既に炎狼達の半分を消滅させ、今も刀を振るう蓮璋の姿があった。
そしてその瞳が、しっかりとこちらを見ている事に気づく。

「あ……」

アノヤロウ!!

果竪を連れ去ろうとする自分を足止めするべく攻撃をしかけたのは疑いようもなかった。

「この僕に……傷をつけるなんて……」

別に、ナルシストのナの字もなく、自分の容姿にこれまで執着してきた事などなかったが、あの男に怪我をさせられるのだけは耐えられない。

「殺してやるっ」

それは、果竪を王宮に連れ戻すよりも、蓮璋に対する怒りが優った瞬間だった。
朱詩は辺りを見回し、すぐ近くの楼台に目を止める。
あれは、普段は王都でも有名な観光場所であり、王都の中で最も高い建物である。但し、現在は改修工事中で観光客はいない。

「あそこにしちゃおう」
「きゃっ!」

果竪をつれて円形状の楼台の屋上へと上がる。
屋上は雨よけの天井に覆われている。

その柵に水で作った鎖をひっかけ、反対の端に枷を作り出して果竪の足首を戒める。

「っ?!」
「ここで大人しく待っててね」

長さを調整し、屋上内しか動き回れないようにする。
そうして果竪を残し、朱詩は楼台の屋上から飛び降りる。

「今度こそ……殺してやる」

忌まわしきあの男を殺すために――




一人残された果竪は、転落防止用の柵から身を乗り出して下をのぞき込む。
眼下に、幾つもの火柱が立つのが見えた。

「蓮璋っ」

朱詩が切れた。
ああなったら朱詩は滅多な事では止まらない。
自分が止めようにも、足首にはめられた枷が邪魔をし此処から降りることさえ叶わない。

「朱詩、やめて……」

長い付合いだ。
朱詩の強さを知り尽くしているからこそ、どんどん血の気が引いていく。
蓮璋も強いが、それでも朱詩には敵わない。
このままでは確実に朱詩に殺されてしまう。

大切な仲間同士の殺し合いに果竪は届かないと分っていても叫んだ。

「やめて!!蓮璋を殺さないでっ!!」

だが、その叫びはやはり届かなかった。




「君なんか死んじゃえ!!」

朱詩の放つ小刀が、蓮璋の手足に突き刺さる。
それに気を取られた一瞬に、蓮璋は腹部に入れられた朱詩の蹴りで背後の壁まで吹っ飛ばされた。

「がはっ!」
「死ね、死ね、ここで死んでよ!!」

麗しい天使、麗しい女神。
天性の『男狂い』と呼ばれ、多くの男達を堕としたきた存在だというのに、その美貌は汚れどころか魔すらも触れる事を許さない清楚可憐さもつ。
それは、月の光を受けて、闇を照らすように咲く白き桜花の如く。

けれど、それほど可憐な美少年の紅く濡れた唇から紡がれるのは死の言葉のみ。
自分に対する溢れる殺意に気圧されそうになりながら、蓮璋は必死に朱詩の攻撃を防いだ。

「朱詩様、おやめ下さい!」
「煩い!君なんて消えてしまえ!」

朱詩は息も切らさず、まるで舞を舞うかのような動きで蓮璋を壁に叩付けた。

「くはっ!」
「君がいるから悪いんだ!君さえいなければ果竪は今頃幸せに暮らしていた筈なのにっ」
「っ……」
「萩波に愛されて、ボク達に大切にされて暮らしていた筈なのに!!」

お前が悪い

お前のせいだ

朱詩はその清らかな美貌に妖艶な笑みを浮かべる。
そのギャップが、新たな魅力となり纏う魔性の色香と混ざり合い蓮璋の意識に襲い掛かる。
思わずくらりと目眩がした。全ての状況が飛び、危うく身を投げ出そうとした。
自分の全てを捧げても決して触れられない不可侵の女神に縋る哀れな人の男のように。

だが、もし手を伸ばしたならば朱詩は無情にもその手を叩き切るだろう。
なぜなら、自分は彼に、いや、彼らにとって最も憎い相手なのだから。

「もう本気で死んで。君は邪魔なんだから」

この男がいる限り、果竪は自分達を見てくれない。
それが朱詩の中に更なる怒りの炎をうみ、蓮璋への殺意を強める。

果竪を求め、果竪の意識が別の存在に向くことへの恐怖、怒り

その、異常なまでの妄執じみた執着心

それは、単純に朱詩が果竪を可愛がり大切にしているだけではない。

古来より、世界の始まりより続く『完未』の特性

そして――紛れもなく、『完未』の一人である朱詩の、『完未』としての特性だった。

『完未』

それは、完全無欠な存在で全ての者達の羨望の的であり、全てを惑わせる存在。
それゆえに不幸になった彼らの尊称だった。
『完未』は数多の世界に存在し、数多の世界の各地に散らばっている。

彼らはただそこにいるだけで、彼らを得ようとする者達の中で争いを起こす。
それだけではなく、彼らが愛した者も、彼らが大切にしたい者も全てを破壊し、世界すらも破壊する。
彼らが望もうと望まなかろうと関係なく、だ。

そんな彼らを唯一救う事が出来る存在こそが『枷』であり『調律師』

『枷』達の力が、彼らが望んでやまない幸せをもたらしてくれる

『完未』は全世界の全人口の中でごく僅かしか存在しない

けれど、そんな『完未』に対して、『枷』の数は更に少ない

願ったからといって、『枷』を得られる『完未』はごく僅か

しかも、『枷』は全てを、命をかけて『完未』を助けてくれる

ゆえに、『完未』は自分達の『枷』を愛し大切にする

愛して、愛して、大切にして

『枷』が自分達以外に意識を向けると激しい嫉妬を覚える

執着は妄執じみたものとなり、その身を、心を熱望する

それが、狂った『完未』であればどうなるか

『枷』が意識を向ける全てを壊しつくすまで

果竪の最大にして最強の『完未』は萩波。
けれど、萩波に敵わなくとも、それ以外にも多くの『完未』達はいる。

凪国上層部――それは別名、凪国に存在する『完未』達の集まり。
狂ってしまった彼らが、『枷』を手放す事はもうない。

それこそ、自分達の『枷』を奪った相手は全て破壊する

「殺してやるから」

果竪を、『枷』を奪う蓮璋は間違いなく、朱詩達にとっては抹殺対象だった。




――続く