玖琅の本音






蒼き星の娘。



遥か昔より、彩七家当主と国王にだけ言い伝えられる伝説。
その話の中で最も重要な部分を占めるその人物こそ、その蒼き星の娘なり。







その存在を初めて目の前にした紅 玖琅は――実は結構あせっていた。



但し――別の事で。







(な、な、ななななななななな何故、何故なんだっ!!)







彼は見た目にはなんら変わりない気難しい表情を浮かべつつ、心の中ではムンクの叫びを
演じていた。不味い、不味すぎる!!部屋の入り口にしがみ付き、彼は大量の冷や汗を流した。



彼はこれが嘘であってほしかった。彼女が蒼き星の娘である事実を全力で否定したかった。






何故なら――








数日前の夜、邵可邸の前――





「……兄上……」



「何か御用ですか?」








ビクウゥゥゥゥゥゥゥっ!!








突然聞こえてきた声に、玖琅は慌てて近くに止めてあった馬車に飛び込んだ。
い、い、い、一体誰だっ?!と言うか、今絶対――……いやいや、大丈夫だ。
見られてなどいない。自分の頬が少し赤かったなんて、兄上と愛しそうに呟いた所なんて、
ってか、まるで思いを伝えられない想い人(邵可兄vv)を思って顔を赤らめているような
所なんて絶対!!



「あの――」




「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!!」




「って、玖琅さんっ?!ちょ、ちょっと!!」



「もう私なんて駄目だ、こんな、こんな……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」








なんて叫びながらも影に命じて馬車を発射させた所を見られてしまったからだ。
しかも、後々良く思い出して見れば彼女は自分の正体を知っていた。







なんて事だろう!!






自分は蒼き星の娘の前でとんだ失態をしてしまった!!






――いやいや、先走るな玖琅!!あの時は暗かったっていうか場は混乱していた。
それに……きっと彼女はその後色々な事があってその時のことは微塵も
覚えていないはずだ!!





玖琅は自らを叱咤し元気付けると、紅家当主代理に相応しい礼を持って
蒼き星の娘の前に傅き、挨拶をした。そして次の瞬間――暫し、玖琅は自分の
大いなる悩みを忘れる事となる。蒼き星の娘の――彼の想像を遥かに超えた
圧倒的なまでの気品と覇気によって。






「――初めまして、蒼麗と言います」





一転の曇りもなく揺らぐ事もない声。
続いて、流れるように淑女の礼に乗っ取った礼がなされる。





「現紅家当主代理――紅 玖琅様ですね?」





問いかける、と言うよりは確かめるように蒼麗の声が言葉を紡いでいく。
それに、玖琅は静に頷いた。


が、玖琅は心の中でガッツポーズをしていた。それは、蒼麗が初めましてと言ったからだ。
初対面の挨拶。つまり……彼女は数日前の夜を覚えていない!!
また、見た所事情を知っていて初対面の演技をしている様にも見えなかった。
喜びに声が震えなかったのが不思議なほどだった。



だが――





(いや、まだ安心してはいけない!)





例え今覚えていないにしろ、人の記憶というものはあやふやで、ちょっとした事で
思い出されてしまうこともある。このまま忘れててくれ。
そう祈りつつ、玖琅は一刻も早く挨拶を終わらせる事に勤めた。



そしてあせる気持ちを抑え付けて謎の生物と挨拶を交わすと、克洵をつれて別室へと向った。






寧ろ、謎の生物との完璧な挨拶のお陰で邵可を混乱の縁に叩き落したのだが、
頭が一杯な彼は知る由もない。









一刻後。別室に移った玖琅と克洵の会話は……時々克洵が意識を飛ばしかけて
中断する事もあったが、まあまあ上手くいったと玖琅は思った。
そして会話も終盤に差し掛かり、もう何の心配もないと思ったその時――





「そういえば、さっきは初めましてって挨拶してしまいましたが……数日前に会っているので
初めましてではありませんね」





その時、玖琅は全身の血が逆流したとはっきりわかった。凄まじい勢いで引いていく血液。
彼は思った。今すぐ此処に穴があれば入りたいと。





(な、何故なんだっ!





あまり彼女と話していると記憶が戻ってしまうかもと思い、克洵と話してばかりいた。
なのに、彼女はあっさりとその記憶を思い出してしまった。しかも、たった今思い出したと
いわんばかりに!!




「あ、あの、あの、その、あ、うっ」




玖琅は完全にパニックを起こす。もう駄目だ。あの時の事を全て暴露される―――――っ!!






「あ、もうこんな時間ですね。そろそろ夕食の準備をしないと秀麗さんが
帰ってきた時に間に合いません」





「へ?」





「克洵さんも一緒に料理を作りましょう」



「え?あ、うん!!」



玖琅との恐怖の話し合いから解放されるのであればもう何だって良かった。
克洵は手放しで蒼麗の提案に乗った。一方、玖琅は予想だにしない展開に呆然としていた。




(い、一体何故……)




すると、蒼麗が此方にやって来る。



「さあ、玖琅様もご一緒に料理を作りましょう」



「え?あ、そそそそそそうだな」



変にどもってしまった。が、玖琅は蒼麗に手を引かれるままに厨房へと歩いていく。
そしてもう少しで厨房という時だった。





「心配しなくても言いませんよ」



此方を見上げられ、にっこりと微笑んだ蒼麗はそう言うと、玖琅の手を離して
克洵と共に厨房へと一足先に入室していった。
後には、呆然とした玖琅だけが残されることとなる。



そうして暫く後。我に返った玖琅は心から呟いた。







「た、助かった……」







そしてこれより後、玖琅は別の意味でも蒼麗に頭が上がらなくなるのだった。









〜終わり〜