第一章 忘却の罪




Chapter.2



 椿から聞いた有り得ない話。
 連続無差別殺人事件の犯行現場を目撃しただけでも、信じがたいのに。
 犯人は、生きている筈のない血塗れの少女。
 有り得ない。
 有り得ない。
 有り得ない。
 香奈は心の中で何度も唱えた。
 片腕を失って、首に大怪我をしていて、片目もなくて。
 しかも血塗れで。
 生きているどころか、動けるわけもない。
 それこそ、完全なホラーだ。
 そう――ホラー映画なら、有り得る。
 幽霊とか化け物とか、日常には有り得ないものが人を襲うのが、定番の一つだからだ。
 でも、現在にはないのだ。
 そんな事は、有り得ないのだ。
 椿の話では、化け物か幽霊が事件の犯人だという。
 ならば、化け物や幽霊が人を殺したというのか?
 いや、実際に肉切り包丁を持っていたらしい。
 いかにも、今殺したばかりですと言わんばかりに血に濡れた状態で。
 確かに、ニュースでは四肢を切断した手際の良さとか、殺害方法とか不思議なことが沢山あると叫ばれている。
 しかし……。
 化け物?
 幽霊?
 心霊特集などで、悪霊が呪いをかける話とか、心霊写真とかよく話題になる。
 けど、香奈はそれらは全て作り物だと思っている。
 そもそも、この科学技術の発展した現代日本で、幽霊?
 恐い話は嫌いではないが、所詮はただのお話だ。
 そんなものが、本当にいる筈が無い。
 カッパの死体とか、宇宙人の死体とかも、オカルト雑誌で一つの読み物として見るのはいいけれど、実際には信じていない。
 だって、いる筈が無いのだ。
 心霊現象とか、超能力とか、この世とは別の世界とか。
 占いぐらいは楽しみで見ているが、それだけだ。
 それに、呪いだって蓋を開けてみれば簡単だ。
 呪われていると本人に知らせる事で、本人が心筋梗塞を起こして自滅する。
 そう――説明出来るのだ。
 だから、有り得ない。
 化け物も幽霊も、いる筈が無い。
 椿の見間違い。
 それだけなのだ。
 しかし、椿はガタガタと震えていて、下手にそれを告げればまた大騒ぎするのは分かり切っていた。
 だが、このままにしておけないだろう。
 相手がなんであれ、椿は殺害現場を見たという。
 もし、相手がただの人間であったならば、目撃者である椿の口を塞ごうとするのは間違いない。
 この前見たミステリードラマでも、犯人が目撃者の家に出向いて……というのがあった。
 となれば、一刻も早く警察に出向いて助けを求めなければ。
 しかし……そこで問題がある。
 椿の証言だ。
 椿は、化け物を見たと言っている。
 まさか、警察に犯人は化け物でしたなんて言えば、保護どころか頭のおかしい人として相手にすらされないだろう。
 もしかしたら、犯人を見たが記憶の混乱で化け物を見たと勘違いし、記憶の書き換えとかいうものが起きているのかもしれない。
 どうすればいいのか……。
 だが、そこに香奈を更に困惑させる事態が起きる。
「椿、安心して!!」
「梓ちゃん?」
「そんな化け物に椿を殺させたりしない!!」
「梓ちゃん……」
 梓が力強く宣言すれば、椿が瞳を潤ませる。
「む、無理だよ……だって、来るって……絶対に来るっていったもの」
「そうね。でも、寧ろそれはチャンスじゃない?」
「あ、ああ、梓ちゃん?」
 理佳が梓に声をかける。
「どういう事よ」
 美鈴も聞いた。
「だから、椿の所に来るって事は、逆にいえば今まで逃げ回っていた犯人を捕まえるチャンスにもなるんじゃない? って事よ」
「え?」
「捕まえ……って、警察にはどう言うのよ!! 犯人は化け物って言った所で動いてくれないよ」
 美鈴の言葉に、香奈も頷く。
「確かに警察は動いてくれないわね」
 梓も同意する。
 しかし、その物言いに美鈴はひっかかった。
「警察は――って」
「はなから警察なんて頼りにしてないわよ」
「はぁ?!」
「ど、どどど、どういう事?」
「だ~か~ら、私達でどうにかするって事よ」
 梓の言葉にぶっ飛んだのは、美鈴だけではなかった。
「ちょっ! なんで私も入ってるのよ」
「何よ!! 椿の危機を見捨てる気?!」
 怒りを露わにする椿に、美鈴がムッとした。
「違うわよ!! 椿の事は心配だけど、私達じゃ無理って事よ!! ってか、梓の思考回路が分からない!」
 美鈴は強い口調で続ける。
「もし、仮に本当に椿が犯人を見ていて、犯人が来るとする。けど、それをただの中学生の私達が捕まえられる筈がないじゃない!! 頑張れば何とかなるもんじゃないのよ!! それにもし失敗したらどうするのよ!!」
 椿は殺され、自分達も死ぬ。
「まだ一週間あるもの。考えればいいのよ」
「バッカじゃないの?! 考えてどうにかなるわけないじゃない!! 素人の、ただの中学生に!! 相手は今まで何人も殺して、しかも警察の捜索を潜り抜けてるような知能犯なんだよ!!」
 実はミステリー小説好きの美鈴は、大人でさえ舌を巻くような単語を幾つも使う。
「無理無理!! 出来るわけないじゃない!!」
「最初から諦めてどうするのよ!!」
「だから諦める諦めないの問題じゃない!! 私は客観的に言ってるのよ! よく考えてよ!! 私達はただの中学生で、スーパーマンでも凄い能力の持ち主でもないのよ!!」
 うんうんと、香奈が頷く。
 そうだ。
 自分達はただの中学生。
 映画やテレビに出てくる様なアニメのヒーローでもなければ、超能力や魔法なんていう不思議なものも持っていない。
 というか、超能力も魔法も、俗に言う不思議な力というものは、全て物語やアニメの中での話である。
 実際に使える相手が居たらそれこそお目にかかりたいし、そんなものが使えたら科学文明でなく魔法文明が発展している筈だ。
「確かに、テレビでは主婦探偵とか、女子高生探偵とか出てくるけど、あれはただのお話!! 実際の主婦や女子高生にそんな事が出来るわけないじゃない!!」
 美鈴は更に畳み掛けるように言う。
「私達に出来る事は、椿を警察に守ってもらう事よ!!」
「ならどうやってよ!!」
 梓が怒鳴る。
「椿が見た犯人をそのまま伝えて、警察が本当に守ってくれると思ってるの?! んなわけないじゃない!! 馬鹿にされて終りよ!!」
 梓の言う事も正しい。
「それに警察なんて、何か事件が起きてからじゃないと動いてなんてくれない!! それこそ、椿が殺されない限り、動くものですか!!」
 殺されるという言葉に、椿から悲鳴が漏れる。
 再び震え出す椿を、理佳が慌てて宥める。
「梓……」
 美鈴の呼びかけに、梓は叫ぶ。
「もし椿が殺されたらどうするの? 警察に行って、馬鹿にされて、殺されたら――責任とれるの?!」
「っ!!」
「何よ!! いいわよ!! 美鈴みたいな薄情者の助けなんていらない!!」
 吐き捨てる様な梓の言葉に、美鈴が今にも泣きそうな顔をする。
「美鈴は椿が殺されても良いのよ!! そういう冷たい人なのよっ」
「ち、違」
「違わない!!」
 梓が美鈴を睨み付ける。
「理佳!」
「は、ははは、はいっ」
「あんたはどうするの? 手伝うの? 手伝わないの?」
「あ、わ、わわ、私」
 オドオドとしながら、視線を彷徨わせる理佳に、梓が怒鳴る。
「早くしてよ!!」
「わ、わわわかった! て、手伝うっ」
「香奈は?!」
「え?」
 矛先がこっちに来た。
「手伝うの? それとも、美鈴みたいに友人を見捨てるの?」
 どうしてそうなる。
 手伝わなければ人間失格みたいな言い方に、香奈はふつふつと怒りが湧いてくる。
 そこに十人いれば十通りの考え方がある。
 なのに、梓は自分の言う事が正しくて、それ以外の考えは全て間違っていると言い切る。
 自分はまだ十二年間しか生きていない。
 何が正しくて、何が正しくないか、なんていう確固たる基準が出来るほど人生経験など積んでいない。
 しかし――これだけは分かる。
 自分の考えを、押し付けて、それ以外の考えは全て駄目と言い切るのは、間違っている。
「椿は見捨てない」
「じゃあ」
「でも、私達だけでどうにかするのは、得策じゃない」
 水を打ったような静けさが支配する。
「……そう、つまり、香奈も薄情者って事ね」
「そう言われてもいいよ。今の梓には何を言っても駄目そうだし」
「っ!!」
「か、香奈」
 美鈴が慌てて香奈の口を塞ごうする。
 だが、間に合わなかった。
 パンっと、何かを破裂させた様な音が部屋に響く。
 ジンジンと、左の頬が熱と痛みを持つ。
「あ、梓!! なんて事を」
「煩い!!」
 美鈴を睨みつけると、梓が香奈へと怒鳴り散らす。
「あんたの言い方、腹が立つのよ!!」
「ごめんね。でも、こういう言い方なの、私」
「ええそうよ!! あんたの言い方はいつもいつも人を見下した言い方よ!! いかにも私達の事を馬鹿にしたようなね!!」
 そんなつもりはない。
 けれど、言っても無駄だろう。
「そんなに自分は特別とでも言いたいの?! あんたが?! 小学校時代、いつも桜子の引き立て役って言われていたあんたが?!」
「梓!!」
 美鈴が梓に掴み掛かるが、強い力で押しのけられる。
「あんたなんて特別じゃない!! あんたはただの何処にでもいる中学生よ! 特別なのは、あんたの側に居た桜子よ!!」
「……」
「なのに、お高くとまって!! 馬鹿にするのもいい加減にしてよ!!」
「……」
「もういい。手伝わない薄情者なんて必要ない!! さっさと出てって」
 梓が言い捨てる。
 しかし、香奈は中々動こうとしない。
「っ!! 出てけって言ってるのよ!!」
 そう言うと、美鈴と一緒に香奈を部屋の外へと押し出してしまう。
 バタンと、目の前で勢いよく締まった扉から漏れる拒絶に、香奈は暫く扉を見つめた。
 だが、再び開く事のない扉に終には溜息をついた。
「か、香奈……」
「……帰ろう。このまま、ここでこうしていてもどうしようもないし」
 警察に行くにしろ、どうするにしろ。
 此処に居ても、どうにもならない。
「でも……椿が」
「うん。でも……私の考えが正しいなら、まだ時間はあるよ」
「え?」
「……とりあえず、外に出ようよ」
 香奈は、ちらりと階段の方を見た。
 一階部分に一瞬だけ見えたあの水色の布は、たぶん椿の母の着物だ。
 どうやら騒ぎすぎたので、隠れて様子をうかがっていたのだろう。
 ここで話せば、椿の母にも聞かれてしまう。
「椿のお母さんに言わなくていいの?」
「今の状態では、やめた方が良いと思う」
 混乱しか、引き起こさない。
 香奈と美鈴は、階段を降りていく。
 そうして、いかにも今通りかかったと言わんばかりの椿の母に先に帰る事を告げる。
「まあ……何のもてなしも出来ずに」
「いえ……騒がしくして、すいませんでした」
「また来ますね」
 そう言って、玄関へと向かい靴を履く。
 最後にもう一度挨拶をして、ドアを開けようとした時だった。
「あの」
「え?」
 椿の母の呼びかけに、香奈が振り向く。
 そこには、心配そうな顔をした椿の母が縋るような眼差しを向けていた。
「つ、椿は……椿は、大丈夫ですよね?」
「……もちろん」
 香奈は笑って返す。
 本当なら、こんな他人の、しかも年下の小娘にこんな事を聞きたくはないだろう。
 しかし、今は何かに縋り付きたくてたまらないのだ。
 誰にだってそういう時はある。
 本当なら、こういう時は頼れる夫が居ればいいが、椿の母には夫は居ない。
「また、遊びに来ますね」
 そう言って、椿の家を後にした。
 辺りは夕日で緋色に染まっていた。
 歩道には帰宅途中のサラリーマンや学生の姿が多く、横の車道も帰宅する車で交通量が増す。
 それでも、一つ横道にそれれば一気に人気は減り、何時のまにか香奈と美鈴の二人だけになっていた。
「それで、さ」
「ん?」
「さっきの話だけど」
 美鈴の問いかけに、香奈はああと声を上げる。
「そうだったね」
「まだ大丈夫って、どういう事?」
「言葉通り。まだ、椿は大丈夫だと思うの」
「どうして? 根拠は?」
「根拠は……犯行日と時刻だよ」
「え?」
 キョトンとする美鈴に、香奈は歩きながら続ける。
「椿が言ってたでしょ? その犯人らしき人が、言ってた言葉を。それを聞いた時、思ったの」
「何を?」
「普通さ、目撃者なんていれば、その場でどうにかしようとするじゃない。なのに、その場でどうにかしようとせず、わざわざ見逃した」
「椿が逃げたんじゃなくて?」
「確かに逃げた。でも、それはその犯人が居なくなった後でしょう? 犯人が目の前に来て、色々と呟いて……普通なら、口封じをする。ミステリー小説とかドラマだってそうじゃない。何もせずに、立ち去るなんてしない」
「そりゃあ……そうね」
「だから、椿をその場で殺さずに生かしたまま帰す事が目的だったんだと思うの」
「な、なんで?」
「……美鈴ってば、察しが悪いよね。いつものミステリー魂はどうしたのよ」
「ご、ごめん――って、あれはただのお話だから!! 椿のは今現実に起きてる事だもの!!」
 美鈴の反論も一利ある。
「まあ……そうだね」
「で、どうして生きて帰す事が目的だったの?」
「次のターゲットにする為」
「へ?」
「だから、次のターゲットにする為よ」
「ええ?!」
「じゃないと、考えられないもの」
「いや、だってその前に警察に駆け込まれたらどうするのよ!! それこそ一気に指名手配よ!!」
 そう――そんな事になれば、一気に動きにくくなる。
 しかし、実際にはそんな事にはなっていない。
「でも、なってないわよ、指名手配に」
「そ、それは、椿が訴えないから」
「そうよ。訴えてないの。だって、化け物が犯人だって訴えたところで、警察が相手にしてくれないから」
「香奈……」
「私の予想としては、何か化け物みたいな被り物をしていたんじゃないかな? で、恐慌状態に陥っている椿に、更に意味不明な言葉を呟き、絶対に行くと告げて脅しをかける」
「それなら、話したら殺すと言った方が良くない?」
「犯人なりの拘りがあるんじゃない?」
 ミステリー小説とかでの連続殺人鬼には、必ず花を置くとか意味の分からない事をするのも居た。
 まあ、読み込めばそれは大事なキーワードだが、香奈にはあまり興味はない。
「じゃあ、今までの被害者達もそれ?」
「う~ん、それは分からないよ。ただ、椿の場合は犯人にとっても、思いがけない事だったんじゃないかな?」
「つまり……たまたま見られたって事?」
「うん」
 そうそう、目撃されて居てはたまったものではないだろう。
 だから、椿のもたまたまな気がする。
 たまたま、目撃してしまった。
 そう考えれば、椿の運の悪さが余計に哀しくなる。
「で、たまたま目撃してしまった椿が、次のターゲットにされたと」
「うん。このまま殺しても良いけど、何か犯人の心を刺激するような事があって、次のターゲットにしたんじゃないかな」
「そうか……って、ちょっとまって。次のターゲットって事は、次の被害者って事だよね? で、今までの被害者達は全員火曜日の午前二時~午前四時までに」
「うん。だから、すぐには危険はないと思う」
 青ざめていく美鈴に頷きながら、香奈は椿の顔を思い出す。
 痛ましいほど震えていた椿。
 殺されると、死にたくないと泣いていた。
「犯人は、次の火曜日の午前二時~午前四時までの間に来る。だから、それまでにどうにかしないと」
「でも、どうやって?」
「う~ん。それが問題」
「って、そんなのんきな!!」
「のんきって、私は普通の女子中学生。女子中学生探偵じゃないの」
 ここが大事。
 香奈は普通の女子中学生で、探偵ではない。
「けどさ、よくよく考えたら警察って来るんじゃない?」
「え?」
「ほら! よく殺人現場とかでは、鑑識の人達が情報収集の為に色々と調査するでしょ? 靴後とか、遺留品とか。なら、椿の所にも来ないかな」
 だって、そこに行ったのだから。
 靴跡とか、髪の毛とか色々残ってるのではないか。
「あ~、駄目駄目」
「なんで?」
「知らないの? 今日の明け方に大雨が降ったの」
「へ? 降ってた?」
 眠っていたから分からないが……いや、その前に起きた時には地面は濡れていなかった。
「うん。雨が降ったのは、その現場周辺や都心の方だから。こっちは曇り」
「で、どうして雨が降ると駄目なの?」
「流れちゃうからよ、雨で。足跡とか、遺留品とかね」
「髪の毛も?」
「場合によっては。朝の四時頃からだいたい一時間ぐらいかな~? 凄い集中豪雨!! 知らない?」
「……知らない」
 そういえば……ニュースの中の現場って……濡れていたような気もしてならない。
 というか、そこまで見ていなかった。
「私、朝は毎日六時起きだけど、バタバタしてるし」
 学校は朝の八時五十分から始まる。
 学校行きのバスは二台あって、一台目は朝の七時に、二台目は七時半に駅前を出発する。
 因みに、一台目は校長先生が運転手で、二台目は教頭先生が運転していた。
 香奈は今日は一台目に乗って学校に行った。
「まあ、確かに……家の近辺にでも降らない限り、遠くで雨が降ってたって言われてもね……」
 美鈴の言葉に、香奈はその通りと頷く。
 連続無差別殺人事件ではないが、所詮はテレビの中の映像は対岸の火事なのである。
と、気付けば香奈の家の前まで来ていた。
「とりあえず、家に帰ろう」
「うん……そうだね。こんな事、私達の手には到底負えない」
 椿を見捨てるつもりはない。
 けれど、今は混乱し過ぎていて、何も良い考えが浮かばなかった。
「あ、でも、さっきのターゲットの話は椿達には」
「う~ん、梓なら気付いてるんじゃない?」
「え?」
 躊躇う様な美鈴に香奈はパタパタと手を振る。
「気付かなかった? 美鈴」
「何が?」
「美鈴が梓と言い合ってた時、梓はこう言ったわ。『まだ一週間あるもの。考えればいいのよ』って」
 思い当たり、美鈴の目が見開かれる。
「つまり、梓の頭には椿が次のターゲットっていう考えがあったのよ。それを本人が認識しているかどうかは別として」
「香奈……」
「そう。事件は火曜日に起きる。今日は火曜日。厳密には一週間もないけど、それでも次の火曜日までには、大雑把に見ても一週間近くの時間がある」
 それは、何よりも梓の中で、犯人によって椿が次のターゲットとして見られたと気付いている事に他ならない。
「でも、認識してないかもって言うのは?」
「言葉の通りだよ」
 頭が良い相手が時々良くやる事で、答えは一瞬にして分かってもそこまでの解答方法が分からないという現象がある。
「梓って、時々そういうの、あるんだよね」
 みんなが困り果てている問題で、一瞬にして答えを出す時が。
「でも、なんでそうなるかをあの子は言わないのよ」
 だから、そこで問題が起きるのだが。
「けど、そういうのって頭が良い子の場合でしょう?」
「まあね。でも、時々生まれつきの才能として持っている事があるのよ」
 梓の場合はそのパターンだと、香奈は踏んでいる。
 しかし美鈴はまだ不安げだ。
「でもさ……答えが分かっても、何故そうなっているのかが分からないと困らない?」
「ん?」
「今回みたいな場合は、特にそうだと思う。なんで、どうしてそうなるか――ただ、椿は次のターゲットになった、だけだと」
 それこそ、香奈のように、一つずつ順序立ててその答えに行き着く必要があるのではないか。
 特に、誰かを動かす時には、説明というものが必要になる。
 何故?どうして?どうやって?何の為に?
 それらを説明し、相手を納得させなければ、助けは得られない。
 周囲は動かない。
 それは、今の自分達のように、自分達の力だけではどうしようもならない時には、絶対的な死活問題になる。
 現に、警察に対して犯人の正体を上手く説明出来なくて困り果てているのだから。
「大丈夫だよ。梓はああ見えて、勘の鋭い子だもの。冷静になったら、しっかりと思いつくって。何故、どうしてそうなっていくのかって」
「そ、そうかしら」
「心配なら、明日話して見るよ」
「き、聞いてくれるかな?」
「難しいけど、聞いて貰うしかないよ。いざとなったら、椿を守るって事をつついて」
「……香奈」
「椿を守るんなら、知っておいたって損は無いよ~って」
「以外と、策士だね」
「そう?」
 梓の正義感と友情を上手く利用した方法である。
「香奈らしいよ」
「でも――」
 香奈が、ポツリと呟いた。
「私の説明が全部正しいわけじゃないよ」
「え?」
「私の説明も、所詮は推測に過ぎない。今まで得た情報をつなぎ合わせて推測した結果の一つ。限りなく正しく思えても、それが真実かどうかは分からない」
だから。
「あらゆる可能性を考えて動く事――ってのが、お父さんの口癖なんだ」
「香奈……」
「だから、私が言う事全てが正しいとは美鈴も思わないで。間違っていると思ったら、言って。でないと、見失ってしまうかもしれないから」
「……わかった」
 いつも淡々とした物言いが、時には他人を怒らせる事もある香奈。
 けれど、今はその物言いが好ましいと思えた。
「……あ、そうだ」
「何?」
「その頬だよ。そのまま帰ったらやばくない?」
 指摘されて、香奈はようやく自分の頬が腫れている事が分かった。
 と、認識した途端に痛みと熱を感じる。
 ズキンズキンと脈打ち、かなりの力で叩かれたのかプックリと腫れ上がっていた。
「冷やした方がいいよ」
「うん」
「けど、娘がそんな顔で帰ったら、お父さんとお母さんが心配しない?」
「体育のバスケットでボールがぶつかった事にするよ」
 ケラケラと笑う香奈に、美鈴が頬をひくつかせる。
 親というものは子供の事をよく見ている。
 そんな見え透いた嘘など、すぐにばれてしまうだろう。
「……まあ、頑張って」
 そう言って美鈴と別れて家に入った香奈は、丁度玄関を入って横のドアから出て来た父と鉢合わせした。
 そして――。
「香奈?! どうしたんだその頬はっ!! 痴情のもつれかっ!!」
 十二歳の娘に痴情のもつれを考えるなんて、娘に対して父は一体どんな考えを抱いているのか。
 しかし、すぐにそんな考えは吹っ飛ぶこととなる。
「娘が!! 僕の香奈が、僕の娘を傷付ける相手なんてぇぇ!!」
 髪を振り乱し叫ぶ姿に、香奈は全力でひいた。
「潰す!! 世界潰す!!」
「ちょっ!! やめなさい連理!! あんたが言うとマジで洒落にならないっ!!」
 母に後ろから羽交い締めにされながらも、凄まじい黒いものを放出しながら玄関へと移動していく父。
「洒落じゃない! 本気だ!!」
「堕ちる気?!」
 なんだか、話が凄い事になっている。
 ってか父よ……世界を潰すなんて、そんな事、一介の地方公務員、それも下っ端に出来るわけがないではないか。
 そして母。
 おちるって、父は何か試験でも受けているのか?
 まあ、確かに試験を受けているのに何か問題を起こせば、簡単に不合格にはなるだろう。
「香奈、手伝って!!」
「う、うんっ!!」
「止めるな!! 娘を傷付けられて黙っていられるかぁぁ! 何処の男だこんちくしょう!!」
 なんで男限定なんだ。
 だから、一体どういう評価を娘に抱いてるのだ。
 とにかく、このままでは本気で相手の身が危険だとして、香奈は母と共に父に縋り付くこと一時間。
 ようやく父が落ち着いた――と思ったが、そこに今度は母のいらない一言が落ちた。
「はぁ……夫に持つなら、もっと落ち着いた大人の余裕がある人がいいわ」
 第二の暴走が勃発した。


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