〜第六十五章〜〜




狂ったような笑い声があたりに響く。
それは見るものが見ればゾッとするような狂喜を含んでいた。




流石の黎深も足を止める。




何だろう?激しく嫌な予感がする





このままではいけない




このままノンビリしていたら何か取り返しのつかない事が起きそうな、そんな予感





それは、彼の勘が齎す警告




もしかしたら、彼がその場で足を止めたのも勘の一つだったのかもしれない





何故なら、彼が足を止めたその瞬間





ドスっ!




上から何かが降ってきたと気づいた瞬間、自分のすぐ前に刺さったのは一本の短刀。



深々と突き刺さるそれに、一体どれだけの力が込められていたのかと恐ろしさを覚える。
そして、もし自分が立ち止まらなければ確実に頭の真上から串刺しにされていた事だろう。



微動だに出来ない黎深に、飛翔 が、そして今まで呆然とその光景を見守っていた菊花が悲鳴を上げた。



「黎深っ!」


「紅 尚書っ!」


「っ!」


二人の声に、黎深はわれに返る。

すると、狂った様に笑い続けていた道化師がニタリと不気味に笑った。




「このボクに逆らった事、後悔すればいいんだっ!ボロボロにされてしまえっ!




叫び声に混じる狂喜。




「さあ行けっ!この男を殺してしまえっ



それに呼応するかのように辺りの空気が禍々しさを増す。
そして膨れ上がる殺気。



次の瞬間、沢山の短刀が黎深を襲った。




「おわっ!!」



目の前に飛んできた短刀を何とか避けきった黎深。が、バランスまでは保てず、後ろにひっくり返っていった。
と、今まで自分が居た場所に数本もの短刀が深々と突き刺さる。


「おいっ!大丈夫かっ?!」


「くそっ!誰だか知らないが、中々の腕前の腕前のようだなっ!」


危うく死にかけ肝を冷やしたものの、それを悟られないように居丈高な様子で叫ぶと、
黎深は短刀が飛んできた方向を振り返り、鋭く睨み付けた。



「だが、そう簡単にはこの私は倒せんぞ――」



そして、その存在が視界に入ったその時



突如、そこで黎深の動きが止まった。続いて、大きく息を吸い込む音が聞こえた。
一点を注視したまま動かなくなった黎深に、彼の後ろに居た飛翔 が叫ぶ。



「おい、どうしたっ」


しかし、黎深は何も答えなかった。唯、前を向くのみ。
が、ほどなくその体が小刻みに震え出すのを見て取る。
あの黎深が震えている?


しかも、その震えは寒さなどの気温に関する物ではない、何か予想だにしないものを見た際に起きた恐怖によって
起きたものだった。というのも、黎深が強く握りしめた拳や、発せられるその気配がそれを顕著に伝えてきていたからだ。


そんな、それまで、決して余裕のある態度を崩さなかった悪友の変化に、飛翔 は黎深が見つめるものに興味を持った。





一体、何がこの男を此処まで





だが、ほどなく飛翔 もその原因を知ることとなる。





「あはははははははははははは!!驚いたみたいだねっ!」





道化師はケラケラと笑い続けた。





「さあ、あの男を、おまえの義理の養い親を殺してしまえ!」






まさか








「李 絳攸っ!!」








なん……だとぉ?!






飛翔 は黎深を押しのけるようにして、前に出た。
すると、先程まで黎深の背中で陰になって見えなかった――自分達から数m離れた場所に立つ
絳攸の姿をはっきりと見て取る事ができた。




そう――異空間にて蒼麗と対決し、その後羅雁によって連れさらわれ消息不明となっていた者の一人。



あの時と同じく、空ろな眼差しを此方に向け立っていた。



「こう……ゆう……」




何で、よりにもよってこの時に



再び自分と対峙した養い子との再会に、黎深は呆然とした面持ちで彼を見つめた。





「黎深、アブねぇっ!!」




飛翔 の叫び声に我に返った黎深は、続いて凄い力で後ろへと引っ張られる。
そのまま後ろにひっくり返ったその上方を、数本の短刀が飛んでいく。



「なっ?!」


「馬鹿っ!!何チンタラしてるんだっ!!ボケッとしたら速攻で串刺しにされるぞっ!!」


ボンヤリとその場に立ち尽くし、危うく短刀が突き刺さりかけた黎深の胸倉を掴み、飛翔 は叫んだ。
しかし、黎深がそれに言い返すことはなかった。


「絳攸……」


「黎深……」


呆然とした面持ちで養い子の名を呼ぶ黎深に、飛翔 は眼を細めた。

まずい……完全にショック状態に陥っている。


「ちくしょう……一体どうすりゃ」


「管尚書!!後ろっ」


「どわっ!!」



菊花の叫び声に振り向くと、既に眼前にまで絳攸が迫っていた。
大きく上体をそらして何とかかわすが、目の前を鋭い銀の刃が通り過ぎていったその光景に隠しきれない恐怖を覚えた。
が、ホッとしている暇はなかった。




ドガっ!!




腹部に深く入った蹴り。一撃目をよけられると予測していたのか、その切れの良い見事な足技は
飛翔 ごと黎深の体を後ろへと吹っ飛ばしていく。



「ぐは……」


受けた衝撃で胃の中のものが逆流し、食道を通って口から吐き出される。
その殆どが胃液ではあったが、そのお陰で食道にダメージを受け、飛翔 は大きく咳き込んだ。
胃酸で食道が焼ける嫌な感触に生理的な涙がこみ上げてくる。


「がはっげほっ!!」


「管尚書っ」


「おいっ、飛翔 っ!!」


どうやら今の攻撃で、黎深も我を取り戻したらしい。
この男にしては珍しく気遣うような眼差しに、飛翔 は苦しさを抑えニヤリと笑った。


「ようやく元に戻ったか」


「う、煩いっ」


呆然自失となっていた事を指摘された恥かしさからか、黎深は顔を紅くして叫んだ。


「べ、別に私は唯呆然としていたわけじゃないぞっ!!あれは、絳攸がここに居る事を驚いたのと、
どうやって元に戻すかを考えてだな」


何だかおかしな文法になっている事にも気づかず、黎深は次から次へと言い訳を述べていく。
それは、一種のパニック状態といってもいいだろう。そんな黎深の様子に、飛翔 は不敵な笑みを浮かべた。


「つまり、養い子が心配で心配で堪らなかったと」


「んなっ?!」


心の内を正確に当てられ、黎深はギクリとした。何時もの氷の長官の姿は、今や何処にもなかった。
飛翔 はカラカラと笑った。


「今ぐらい正直になれって。それに、そんなに養い子が心配なら、さっさととっ捕まえて元に戻さなきゃな」


「?!――飛翔 、お前…………ちっ!お前に言われんでも分っとるわ!」


恥かしさを隠すように、黎深は再び叫んだ。


「なら、とっとと立ち上がれ。とっとと行くぞっ」



二人は満身創痍となった体を起こし、立ち上がる。
幾つもの傷口から血が流れ落ちるが、そんなものに構っている暇はない。



一方、最初の衝撃から立ち上がった黎深達に、道化師は眉をひそめた。



もう二度と立ち上がれないと思っていたのに――




「ちっ!ま、いいよ……どうせ、どんなに頑張っても勝てやしないんだから!!だってそうだろう?
お前に傷つけられるわけがないよね?!紅 黎深っ!!」




道化師が高らかに笑う。




「邵可、李 絳攸。お前にとって大切なこの二人に殺されてしまえっ!!」



道化師の瞳が妖しく光った瞬間、邵可と絳攸が襲い掛かってくる。
それを、黎深は冷えた眼差しと、熱い叫びで迎え撃った。



「このっ!!私をなめるなよっ!!」



目指すは、道化師唯一人。
先程は驚きのあまり動けなかったが、今は違う。








「おりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!!」







飛翔 が渾身の力で、黎深に襲い掛かろうとした邵可を横から弾き飛ばす。
一方、黎深は絳攸の攻撃を寸での所でかわし、そのまま走り出した。


右に左に、けれど決して立ち止まらずに



そうして見事な軽やかさで道化師の武器となる絳攸達を上手く抜けた黎深の前には、
道化師が一人いるのみとなった。





「これで対等になったな!!」





黎深は走りながら道化師に向かって怒鳴った。
そして、懐から扇を取り出すと、しっかりと握り締める。これを、力いっぱい道化師の横っ面に叩きつけてやるのだ。
今までおちょくってくれた分のお礼は全力で返す。




「お前だけは絶対に許さんっ!!」



黎深の強い眼差しに、道化師はたじろぐ。
その瞳には、恐怖さえ浮かんでいた。
しかし、最強の武器である邵可達は今黎深の後ろであり、自分の身を守るものは何もなかった。


そうこうしている内に、黎深との距離はどんどん縮まっていく。


「これで、終わりだっ!!」



黎深が、扇を振り上げる。







「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」










道化師が恐怖に満ちた声を上げる。












「なんちゃってvv」





道化師の顔が、歪んだ笑みを浮かべたかと思うと、口からベロンと大きな舌を出した。





その異様な光景に、黎深の動きが止まる。





「うわぁぁぁっ!!」





背後から飛翔 の叫び声が聞こえた。



「なっ?!飛翔 っがっ?!」



ドンッと背後に何かがぶつかったかと思うと、それが黎深の動きを封じようとする。
それを力いっぱい振り払い、後ろを振り向き目を見開く。




そこ居たのは







「絳攸っ!お前っ」





そう叫んだ瞬間、絳攸に今度は正面から向き合うようにして押さえつけられる。




「油断したね!!さあ、ジ・エンドだっ!!」




軽やかな動きで黎深達から離れた道化師が叫ぶ。
























「くっ!このっ、離せ絳攸っ!!私がわからないのかっ」



今度は先程とは違い、大きく暴れても絳攸の体を引き剥がす事はできなかった。



「れ、黎深……」



絳攸によって腹部を切り裂かれ地面に倒れ付す飛翔 が必死に名を呼ぶ。
と、自分の眼前に見えたその靴が踵を返す。


飛翔 は霞む目で必死に見つめながら、その靴の向かう先を思い浮かべ青ざめた。




「ま、まさか……黎深、に、逃げろ……」



飛翔 は少しでもその靴の持ち主がそこに行かないように引き止めようと手を伸ばすが、無情にも届く事はなかった。
どんどん離れていくその相手に、飛翔 は祈った。



逃げろ



逃げてくれっ!!














「くっ!!離せ絳攸っ!!」



必死に体をゆすり、怒鳴りつけるが絳攸の体は離れない。覆いかぶさるようにしてしっかりと自分を捕らえ続ける。



「くそっ!!一体どうすれば………兄上?」


絳攸の背後――10mほど離れた場所に立っている邵可がゆっくりと此方に向かって歩き出してくるのに気づいた。
が、すぐにその速度は増し、更には持っていた刀が構えられる。


「兄…っ?!絳攸っ」



絳攸が自分を押さえつける力を増した。
と、そうこうしている間にも邵可が迫ってくる。


「は、離せ絳攸っ!」



と、その時だ。ふとその事実に気づき愕然とした。
邵可は、兄上は一直線に此方に刀を向けて近づいてくる。
が、自分の前には絳攸が、自分を覆いかぶさるようにして押さえつけている。



という事は、もし、このままで行くと――





――っ!!離せ絳攸っ!お前まで串刺しにされるぞっ」





そう――操られている兄は、自分を絳攸ごと串刺しにするつもりだ。
その事実に、黎深の道化師への怒りは、もう何度目かになるか分らない怒りのメーターの針を吹っ切れさせた。





あの優しい兄に何てことを!!そして自分の養い子まで巻き込むなどっ!!















あ、あの野郎ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ















「あははははははははははは!これでようやく終わりだね!」





邵可が眼前に迫り、その刃が絳攸の体目掛けて繰り出されていく。



もはや迷っている暇はなかった













「くそぉぉぉぉぉぉ!」












その叫び声と共に、唯景色を写すのみとなった絳攸の瞳に写る景色が大きく回転する。




そうして地面に体を強かに打ちつけ、その瞳に映し出されたのは






















ド ス っ ! !





















養い親の――苦痛に染まった顔










そして










胸から刀を生やしたその姿












続いて、飛び散る大量の血が絳攸の顔や服に飛び散っていく

















……………」



痛い――という感じはなかった。唯胸が焼けるように熱かった。
息を吸うと、ゴポリと、喉から血が溢れていく。その上、息を吐いてもまた血が流れ落ち、呼吸が苦しくなるのを感じた。



しかし、そんな苦痛を必死に堪えながら、黎深はゆっくりと下を見下ろしていく。
そこに居るのは、人形の様に無表情な自分の養い子。
自分が流した血を浴びた為に所々紅く染まっているが





「……
どう……や………傷は………負っ……ていな………いよ……だな……」





自らの傷を顧みず、黎深は安堵のため息を吐いた。が、その行為さえも吐血の為に上手く行かない。
また、目も霞んできた。しかし、それでも必死に手を動かし、絳攸の頬へと触れる。




「……はは……
人など……どうで……もいい……
このわたし………がな……」





けれど、それでもあのまま絳攸まで巻き添えにするわけには行かなかった。
この養い子だけは………。






せめて、この養い子だけでも………元に戻して……やりたかった………






今にも消えそうな意識に必死に縋りつきながら、黎深はそう思った





「れい…しんっ」



「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」




後ろで、誰かが叫んでいる。たぶん、飛翔 達だろう。
が、最早何を言っているかまでは分らない……。






瞼が重く、体からはどんどん力が抜けていく





悔しい




悔しくて堪らない………







きっと、今もあの道化師は楽しそうにこの光景を笑いながら見ているのだろう







とうとうあいつには一撃も入れる事が出来なかった






絳攸と兄上を元に戻せなかった事を除けば、それが一番の心残りだ







いや、違う







秀麗も







あの子は一体何処に行ってしまっのただろう?






大切な大切な姪






きっと探し出すと誓ったのに









ああ、自分は何も出来ずに逝ってしまう








きっと、向こうに居るあの義姉上に思い切り叱られるだろうな









黎深は自嘲する様に笑った




ゴポリと血が喉からあふれ出る。



体から最後の力が抜けていった

支える為の力を失った体は最早崩れ落ちるだけ

けれど、それでも最後の力で、自分の胸から突き出た刃先が絳攸を傷つけないように
反転させ、絳攸の左隣へと崩れ落ちていく






その瞬間






「黎深っ!」





耳が、その声を捉える。霞む視界に写ったその人物をはっきりと認知する。





ああ、あれは



黎深は笑った




そうか……きっと自分達を心配して此処に来たのだろう

いや、もしかしたら勝手な事をした自分達に怒り心頭かもしれない





とはいえ、もう謝罪している暇もない





もう、自分にはその時間はない




「黎深、お前……」






その人物の悲痛な声に、黎深は最後の力を振り絞って笑った






「あと……
……
頼んだ









鳳 珠








そして体が地面と接触した感触を最後に、ゆっくりと瞼が閉じていった。














「黎深んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんっ!」















黎深の悪友であり、この場に到着したばかりである鳳珠の叫び声がその場に響き渡った。










―続く―