色々と用件を済ませ、蒼麗が紅邸に戻った時、そこではちょっとした騒ぎが起きていた。




「何よそれ!!わかった、小耳に挟んだヤリ逃げってやつね?!」




秀麗の怒鳴り声が聞こえてくる。続いて、劉輝の怒りの声も。





……………ていうか、ヤリ逃げって何?





もし此処に居れば緑翠と銀河に聞いたが、何分二人は自分を此処に送った後、直に何処かに
行ってしまった為、質問は無理だった。というか、聞いたら聞いたで二人は秀麗達に殺意を抱いただろう。
とまあ、それは置いておき、蒼麗は視線を巡らし、劉輝ばかりかあの人も此処に居る事に気がついた。



「あの後姿は」



遠目にでも解る、邵可の隣に座って幸せオーラを放っているあの後姿。それは間違いなく黎深だった。


蒼麗はゆっくりと足を踏み出した。









「王の結婚も、官吏の結婚も、すでに政治の問題だ。互いの気持ち云々以前の話だ。劉輝様はもとより、
秀麗も茶州でその事に気づいた。だからこそ真っ向からぶつかりあう。秀麗も劉輝様も、一歩も退かない
だろう。たった一人で、劉輝様が秀麗と朝廷と……縹家と、君を始めとする小姑官吏たちを相手に、
どこまで粘って意志を通せるか――だね」



「縹家も相手ですか。大変ですね、劉輝様は」



1年半前と変わらない、けれどよくよく聞けば入り混じる凛とした強い意志に邵可は半ば予想した様に、
黎深は愕いた様に後ろを振り返り、そこに立っていた少女の姿を認めた。


「お帰り、蒼麗」


「ただいまです、邵可様。そして……1年半ぶりのお久しぶりです、黎深様vv」


トンッと跳躍し、己に抱きついてきた蒼麗を抱きとめ、黎深は目を見開いた。


「お、お前……本当に」


「はい、蒼麗です」


三つ編みにした髪、渦巻き眼鏡。少女は何も変わっていなかった。1年半前と全てが同じ。


「他の方達への挨拶は済んだかい?」


「え〜〜、黄尚書には挨拶してきましたが、絳攸様、楸瑛様、劉輝様はまだ。黎深様には今
挨拶をしてますんで」


ギュウ〜〜、と黎深に抱きつきながら蒼麗は答える。もし、此処に絳攸達が居たら顔色を完全な蒼白色に
変えていただろう。黎深にこんな事をするのは完全なる自殺行為だからだ。当主を守る影に惨殺され
たって可笑しくない。いや、黎深自身に抹殺されても可笑しくは無かった。だが、黎深は蒼麗の背中を
ポンポンっ、と絳攸達が見たら卒倒するような仕草をする。


「別に、私としては再会しようがしまいがどっちでも良かった」


「黎深」



「けれど………会えて嬉しかった」



最後の方は殆ど聞こえないような声量だったが、蒼麗と邵可はしっかりと聞きとった。
黎深を抱きしめる腕に力がこもる。その様は、父親に甘えている子供のようだった。



「はい、蒼麗。お茶が入ったよ」


「あ、有難うございます」


実の娘さえ裸足で逃げ出す父茶。しかし、蒼麗はそれを笑顔で飲み干す。
別に、蒼麗の味覚が壊れているわけではない。今までの経験数が多いお陰だ。


「それで、蒼麗。君はどうやら縹家が好きではないようだね?」


「……解りました?」


「うん。微かに声に険が含まれていたからね」


「……私もまだまだ未熟ですね」


黎深の隣にチョコンと座りながら蒼麗は大きな溜息をついた。


「ええ、そうです。私は…………………縹家が大嫌いです」


しっかりと前を見据え、言い切った蒼麗に黎深は愕いた。
馬鹿が付くほどにお人よしで、底なしに優しいこの少女が、大嫌いな相手がいるとは。
しかも……………縹家。


「あの一族だけは嫌い。縹家で好きな人達もいるけれど、でも………遥か昔から続く縹家の教えを
守りそれを忠実にこなそうとする者達は大嫌い。いっそのこと……………」



だが、その先を――蒼麗は言わなかった。いや、言えなかった。一度口から零れ落ちたが最後、
封印し抑え付けたその心は溢れ出し、口からは止め止め無く憎悪と侮蔑の言葉が流れ出るだろう。
それだけは……避けなければ。幾ら力なしの自分でも、強い感情の入り混じる言葉をそのまま
口にすれば唯ではすまない。憎悪に塗れた言葉は、その強い感情によって力のある言葉――言霊へ
と変化し、それを実行する。




だから――




「蒼麗、お前……なんでそんなに縹家が嫌いなんだ?」





黎深の問いかけに、蒼麗は渦巻き眼鏡の裏で艶やかに微笑んだ。
















「――で、何でお前が此処に居るんだ」



陽月の不愉快そうな言葉に、緑翠はケラケラと笑った。


「いや、蒼麗様が影月さんと太陽さんが心配だからちょっと見てきて欲しいって」


「誰が太陽だっ!!しかも、何で影月の方だけきちんと名前を呼んでるんだよっ!!」


「いいじゃん。ほら、月って太陽の光を受けて輝くんだぜ。というと、太陽の方が格上じゃないか」


まあ、自分の主君である月神の君は別だけど。そしてそのご兄弟とそのご両親も同じく別だけど。


「余計な世話だ!!それより、それが理由ならとっとと帰れ、邪魔だ」


「っ……そうか……なら、少しでも多くの人達が影月を覚えてくれているように、お前を影月に戻して
服をひん剥いて写真を取り巻くって写真集を出しとくか。1000年先まで残るように」


「お前オレに何か恨みでもあるのかっ?!」


「あるっ!!お前がさっき香鈴を泣かしたお陰で、蒼麗様が心を痛められるだろうがっ!!」


「それこそ余計な世話だ!!オレが誰を泣かそうが構わないだろうが!!」


「駄目」


「何が駄目だっ!!」


「まあいいや。って事で、俺はこれからお前に数日間ぴったりとストーカーの如く張り付くから」


「何が、って事でだ!!帰れ、今すぐ帰れ、とっとと帰りやがれ!!」


「おい、何騒いでんだ」


余りの煩さに、仕事をしていた燕青が室内に入ってくる。そして、緑翠の姿を認め――


「げっ!!」


と呟きつつも、慌てて精神統一をし、


「な、何か様でございましょうか」


と、壁に張り付いて問いかける。
だが、はっきりいってその行動と引きつった顔が顕著にその心の内を表していた。


「お前、全然取り繕えてねぇよ。顔引きつってるよ。ってか、お前本当に彩雲国一の棍棒と武術使いか?」


「悪かったな!!ってか、何で此処に居るんだよ」


その言葉の裏には、俺の平穏を返してくれよという本音が思い切り見え隠れしていた。
馬鹿だ、と陽月は思いながらも、その本音に同意する。この緑翠と言う男。
銀河同様一筋縄でいかない肌は真っ白な美麗なお人、でも心は素敵に真っ黒黒助なのだから。


「いや、これから暫く此処に滞在するから」


「はい?」


「って事で、一番良い部屋を用意しろ。食事は豪華中華料理で」


「あんた山賊かよっ!!」


「山賊?海賊の方が好みだ。海賊にしろ」


「同じだろがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


「そうか……ふっ……なら、せっかく素晴らしい情報を手に入れてきてやったっていうのに、
全部墓まで持ってくか」


「は?」


怒り狂っていた燕青が冷静さを取り戻す。しっかりと相手が食いついてきたのを悟ると、
緑翠はにっこりと老若男女問わずに落す威力を持った艶やかな笑みを浮かべ、茶州の地図を出した。


「此処と此処と此処と此処と此処の橋。全部やばいぞ。後10日もすれば、完全に崩落だ」


「へ?」


「だ〜〜か〜〜ら〜〜、橋の作り方が完全に雑だ。宮城にある工部でちょっとそこにある書類全てと、
貴陽にある橋を幾つか調べて此方にある橋と照合した結果だがな。主要部分の釘の本数が足りない、
または支え木が明らかに足りないんだ。たぶん……茶家が支配していた時に作成したものだろう。
調べた所、茶家の息がかかっていた職人達が作っている。何故そんな事をしたのかは知らないが……
早く直した方が良い。その橋のどれもが、今現在正月と言う事で行われている催し物の際の通り道だ。
このままだったら……多くの奴らが死ぬぞ」


燕青の顔から色が無くなる。


「しかも……」


その後を、緑翠は口に出す事は無かった。唯、橋の場所が書かれた地図を見詰める。



(霄太師が色々やった筈なのに、何故こうも禍々しいものが集まり始めているんだ?)



まさか………。だが、緑翠はそれを決定付ける事は無かった。
確かな証拠が無い限り、断言するのは危険である。


「緑翠……さん、どうした?」


「いや、気にするな」


緑翠は地図をしまいこんだ。その地図に記された問題の橋が描く不思議な陣と共に。












絳攸に秀麗との縁談について発破をかけた後、玖琅はふと屋敷の外に足を向けた。
向かった先は、紅家直系の第一子たる直系が住まう邵可邸。屋敷は幾つか明りが灯っており、
家人の在住が示されていた。玖琅は――そっと、その名を呟いた。



「……兄上……」



「何か御用ですか?」





ビクウゥゥゥゥゥゥゥっ!!






突然聞こえてきた声に、玖琅は慌てて近くに止めてあった馬車に飛び込んだ。
い、い、い、一体誰だっ?!と言うか、今絶対――……いやいや、大丈夫だ。
見られてなどいない。自分の頬が少し赤かったなんて、兄上と愛しそうに呟いた所なんて、ってか、
まるで思いを伝えられない想い人(邵可兄vv)を思って顔を赤らめているような所なんて絶対!!


「あの――」




うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!!




「って、玖琅さんっ?!ちょ、ちょっと!!」


「もう私なんて駄目だ、こんな、こんな……
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!



叫びながらも影に命じて馬車を発射させる。
見る見るうちに見えなくなる馬車。取り残された蒼麗は絶句した。


なんか……今のってまるでこの家に思い人が住んでいるが、直接思いを伝えられなくて毎日毎日
通っては影からその姿をそっと見つめていた所、そこの家の人に見つかって恥ずかしさの余りに
逃げ出してしまった……という感じだが、そういう所には疎い蒼麗は全く気づかなかった。
唯、今起こった出来事に目を丸くするだけだった。





「蒼麗、今誰か来たのかい?」





玄関の煩さに、邵可が顔を出した。そして呆然とする蒼麗に気がつき、慌てて駆け寄った。



「ど、どうしたんだい?」



「い、いえ……何か、……えっと……」


顔を赤らめ、目を潤ませながら兄上と呟いた貴方の一番下の弟さんが、声をかけた瞬間悲鳴を上げて
突っ走って行きました、なんて言えない。よって、蒼麗は黙秘を通す事となった。




後に、人々は語る。正月のとある夜の日、豪華な馬車が一台、人知を超えた速さで突っ走っていったと。
しかも、その馬車から「
私なんてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」と、いう叫び声が
響き渡っていたと。そして……紅家の当主代理がそれから暫く引篭もって出てこなくなったと。



また、後にそれを知った邵可は言う。



「黎深と玖琅ってやっぱり兄弟だねvv」と、それはもう見るもの全てをキュンっとさせる笑顔で。



それに対し、黎深は怒り狂い養い子を巻き込んだ挙句、大騒動を起こしたのは、彩雲国の歴史書に
後に大きく記される事と成る。






『紅当主、紅当主代理狙い撃ちご乱心大事件』――と。







―戻る――終わり―