第一章 忘却の罪




Chapter.2

 

 放課後、学校正面玄関前に通学バスが待っていた。
 一度に二十五人が乗れるバスは、教員含めても二往復もすれば全員を運ぶ事が出来る重宝品。
 運転手は校長先生。
 何時ものスーツを脱ぎ捨て作業服に身を包んだ姿は、もう少しで六十に届くというのに、お腹の出ていない長身痩躯の体型をより魅力的に見せる。
 頭の方は白髪混じりだが、以外と筋肉質な体である事を生徒達は知っていた。
 よく、朝礼でその隠れマッチョを披露してくれるし。
 優しげな眼差しを浮かべ、校長が生徒達一人一人を確認していく。
「はい、みんな乗ったかい?」
 校長の言葉に乗り込んだ生徒達が元気よく返事する。
 今回は午前授業の一年生だけが乗っているのでも、運転手を除けば十人だけだった。
「じゃあ出発〜」
 のんびりとした声と共にバスのエンジンがかけられ、大きな車体がゆっくりと学校の敷地の外に向けて進みだす。
 すぐそこの正門を出ると、整備されたアスファルトの道に入る。
ここから麓までは、途中砂利道が幾つかあるが、基本的にはアスファルトの道が続く。
 だが、決して走りやすくはなく、急勾配の坂とカーブが幾重も続くことになる。
 運転手からすればヒヤヒヤものだが、乗車しているだけの気楽な生徒達からすれば、両側を深い木々が生い茂る山道をバスの窓から眺めるのが楽しみでもあった。
「それでは、一時間あまりのドライブをお楽しみ下さい」
 気を利かした校長のアナウンスに、生徒達の歓声が上がる。
 バスのスピードが上がり、時速三十キロほどのスピードで走り出す。
「やっぱり天気が良いと、眺めも良いよね~」
「だね」
 隣の座席に座った美鈴の言葉に、香奈も頷いた。
 実際、眺めはとても良かった。
 太陽の光に照らされた木々の緑は美しく、まだ幼い子供達の心にもしっかりと刻み込まれる。
 暇潰しのテレビも設置されていたが、それは終点の麓の駅まで点けられる事はなかった。
 麓にある駅に辿り着き、生徒達は一斉にバスから降りていく。
 バスをUターンさせ発車させる校長に手を振り、その姿が見えなくなった後、生徒達はそれぞれ解散した。
 この後の遊びの予定を立てる者もいれば、用事があると帰る者達も居た。
 帰る者達の中には、歩きで帰る者や、バスターミナルに向かう者、ここまで列車で来ている者は駅の中へと入っていった。
 そんな中、香奈、梓、理佳、美鈴の四人が駅前に残る。
「じゃあ、椿の所に行こうか」
 美鈴の言葉に、香奈が頷いた。
 駅から椿の家までは歩いても十五分だから、すぐに着くだろう。
「渡すものは、パンと牛乳と理佳がとってくれた授業のノートだっけ」
「他にお見舞持ってく?」
「当たり前じゃ無い。それが見舞いの礼儀ってものよ」
 以外に礼儀関係に厳しい梓だった。
「そうか……なら、花とかどう?そこに花屋さんあるし」
 駅舎に隣接する花屋を香奈が指さす。
 自分の両親が良く利用している店で、そこの店長とは家族揃って顔馴染みだった。
「そうね。それがいいわ」
「椿の好きな花ってなんだっけ」
「そりゃあ~、椿?」
 梓の言葉に、香奈達が固まる。
 確かに椿の名前はあの「花の椿」だが、それは本人が好きというより、両親が好きな花の名前をつけただけだろう。
「いや、椿って綺麗だけど、なんだかね~」
「何よ! 私の選択に文句つけるの?!」
「だって、椿って花が落ちる時はボトンって落ちるじゃない。まるで首が落ちるような感じで、うちのおばあちゃんが恐いって言ってたし」
 美鈴の話に、香奈は椿の花を思い浮かべる。
 椿の花は花弁が一枚ずつ散るのではなく、丸ごと落ちる。
 それはもう見事なまでに、ボトンと落ちる。
 それが美鈴の祖母の言うように、首が落ちる様子を連想させるのだ。
 確か母も言ってたっけ。
 椿は首落ちを連想させるから、入院中の人のお見舞いに持って行く事はタブーだと。
「梓」
「何よ」
 どうやら、まだ朝の事を引き摺っているらしい。
 刺々しい梓の反応に溜息をつきつつ、香奈は椿について自分の意見を告げた。
「美鈴の言うとおり、椿って花ごと落ちて、それが首が落ちるのを連想させるから入院中の人には持っていったら駄目って聞いた事あるけど」
「……」
「お見舞どころか、トドメ刺しかねないよ?」
「……つ、椿の場合は自宅療養で入院じゃないわ……」
 一気にそう言い切るが、やはり梓もそれは不味いと思っているのだろう。
 単純に、退けないだけだ。
 しかし、退けないからといって、実際に椿の花を持っていかれたら困る。
「……お店の人に聞こうよ」
 香奈の提案に、一同は頷いた。
 二階建ての大きな駅舎隣にある花屋は、今風のお洒落なお店だった。
 開放的なオープンスペースに、白い石づくりの外観。
 青い屋根から垂れ下がる青い幕には、白い文字で『フラワーガーデン・May』と書かれている。
 お店前には、沢山の季節の花や鉢植え、ブーケが置かれており、道行く人達の足を止めている。
 店内にも沢山の人で賑わっているのが遠目からでも一目で分かった。
 話では、全国へ花の配送、インターネットでの受付など各方面での商売も行っており、実は左団扇なのだと父から聞いた事がある。
 何しろ、ここは本店だが、他に支店が二十軒ほどあるらしいし。
 というか、何処からそんな儲かっているなんていう情報を得たのだろう、あの父は。
「とにかく、早く入ろうよ」
 美鈴に促され、香奈は花屋へと歩き出す。
 梓と理佳は既に中に入っており、店員と話している姿が見えた。
「あ、いらっしゃ――って、香奈ちゃんじゃないかい」
「店長さん、こんにちわ~」
 黒いTシャツとジーパンの上に花屋のロゴが入った赤いエプロンを身につけた、三十代前半ぐらいの男性が香奈を見てにかっと笑った。
「ってか、相変わらず花屋さんらしくないですね」
「な、何を~!!」
 肩より少し長めの茶髪を首筋で一本に縛っているのはまだいい。
 花屋店長にしては、良い体をし過ぎているのも別にいい。
 Tシャツとジーパンが長身の鍛えられた体の線を露わにし、その肉体美を盗み見ては顔を赤らめる女性客が多いのを香奈は知っている。
 まるで獣の様にしなやかな体は、動く度に日に焼けた筋肉が波打ちフェロモンを垂れ流していると母が言っていた。
 だが、これも気にしない。
 だってそのフェロモンにひっかかる人が多ければ、より店の売り上げに繋がるだろうから。
 しかし、その顔にかけた黒い大きなサングラスと無精髭はどうだろう。
 本人はカッコイイと断言するが、香奈からすれば何処のヤンキー、いや、ヤクザだと言いたい。
 つまり、恐いのだ――花屋の店長としては。
 客商売は清潔感、いや人当たりが一番大事だ。
 話して見るとあっけに取られるほど今風の若者で、しかも気さくで明るいが、見た目でまず無理だ。
 しかし一般の女性客達からすれば、寧ろそれはワイルドで野性的に見えるらしく、店長目当てで来る客達はかなり多かった。
 しかもこの花屋。
 店長の後輩とかで、やはり顔の良い美青年、美少年系の店員が他にも数人居る。
 おかげで、客の八割は女性客で、残り二割は美しい男が大好きな男達だとやはり母が言っていた。
 後者はよく分からないが、前者はまあ当然だろう。
「で、今日は何の用なんだ?」
「友達のお見舞用の花が欲しいの。で、あそこに居る子達が先に相談してると思うけど」
 美形店員の一人を捕まえ、自分の要望を述べていく梓。
 他の女性客の場合は、目を合わせただけで腰砕けになっていたのに、流石だな梓。
「ああ、あそこの肝っ玉の強い子か」
「確かに強いね」
「香奈、それ梓に聞かれたら余計に怒らせるよ」
 美鈴がこそっと忠告するが、店長はしっかりと聞き取っていた。
「ん? 喧嘩でもしたのか?」
「うん。ちょっとね」
「なんだ? 恋バナか?」
 ニヤニヤと笑う店長に、大人の威厳を見出そうとするが無理だった。
「別に……そんなんじゃないよ」
「ふ~ん?」
「本当だって。ほら、先月から起きてる連続無差別殺人事件の事でちょっとね」
「え?」
 その時、店長の口調が固さを増したが、香奈は気付かなかった。
「梓の言い方があまりにも気に障ったから、ちょっと強く言ったら怒らせちゃって」
「香奈の事だから、理論整然と言い合ったんでしょ」
「別に理論整然じゃないよ、美鈴」
 しかし美鈴は納得しなかった。
「気付いてないのは香奈だけだよ」
「何が」
「だ~か~ら!! 香奈の言い方は淡々とし過ぎてるって事!! そういうのって、好ましい時もあるけど、場合によっては馬鹿にされてるって思う事もあるんだから」
「は~」
 あんまり分かっていない香奈に、美鈴がくりっとした目をつり上げて頬を膨らませる。
 怒りのオーラが全身が沸き立てているのに、可愛い顔は相変わらず。
 小学校一の美少女と謳われ、超名門校では三大美女の一人として数えられる桜子には負けるが――いや、あれは最早人間じゃない。
 人外級の美少女だ。
 それに比べれば、美鈴の方が人間らしい可愛らしさでホッとする。
 もし自分が男の子なら、美鈴と付き合いたい。
「……ごめん、なんか不穏な事考えてない?」
「いや、何にも」
 以外に勘の鋭い美鈴の指摘をごまかし、香奈は鼻歌を歌う。
「香奈……まさか、桜子」
「知らない~、私は知らない~」
 そう、知らない。
 何にも私は知らないのだ。
 なのに――。
「あ、桜子ちゃんなら、今日もう少ししたら来る予定だけど」
 店長の爆弾発言に、香奈は凍り付いた。


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