第一章 忘却の罪




Chapter.3

 

 今日も椿は休んでいた。
 まあ仕方がないのだが……と、事情を知る香奈達だけはそう思った筈だ。
 しかし十人しか居ない教室は、一人欠けただけでも広く感じられる。
 基本的にクラス仲が良い事もあり、二日続けての欠席に生徒達は椿を心配して見舞いに行こうかと提案する者も居たが、梓によって全て却下された。
 確かに、今のこの状態で会うのは色々と問題があるだろう。
 椿の方としても、遠慮願いたい筈だ。
「椿は具合が悪いんだから」
「けどよ~」
「心配したっていいじゃん」
「女子だけずるいよ」
「うっさいわね!!」
 梓の怒りの沸点は、昨日から下がりっぱなしだ。
 梓の性格を知り尽くしている男子達が、一斉に後退った。
「椿の事は心配しなくても大丈夫よ。それより、椿がきちんと授業について行けるように、サポートするのが私達の役目でしょう?」
「それは……」
「まあ、そうだな」
「って事で、あんたは椿の数学のノート、あんたは国語のノートをとる事」
「げっ!!」
「理佳がもうとってるじゃんっ」
「何よあんた達! 理佳一人に負担を負わせる気?!」
「そ、それは……けどよ~」
「香奈とか美鈴もいるじゃん」
「あの二人はいいのよ。薄情者だから」
 梓の言葉に、男子生徒達がキョトンとする。
「は?」
「何それ?」
 だが、詳しく聞こうとした瞬間、梓に睨まれて黙る。
 中には香奈達に視線を向ける者も居たが、それだけだった。
「香奈……」
「気にしない気にしない」
 今は放っておくしかないのだ。
 その後、香奈達は梓達と完全に没交渉のまま、バスで麓の駅まで戻ってくる事となる。
 昨日とは違い、梓は理佳だけを連れてさっさと椿の家に向かい、香奈と美鈴の二人が駅前に残された。
「梓……完全に頭に血が上ってるね」
「いつもの事だよ」
 にしても、暑いな。
 香奈は、今日も蕩けそうな暑さに頭が茹だっていた。
「で、好きに動くって言ってたけど、どうする気なの?」
「ん~、どうしよう」
「どうしよう? ……って!!」
「いや~、何にも考えつかなくてさ」
「香奈に期待した私が馬鹿だったわ……」
 項垂れる美鈴に、香奈は手提げの鞄からハンカチを取り出して汗を拭う。
「たって、ただの中学生だし、子供だし、出来る事なんて限られてるじゃん」
「香奈の言うとおりだけど、今言われるとムカツクわ」
「こういう時は、基本は情報収集だろうけど……そもそも事件がこの近辺で起きてるわけじゃないし」
「なら、近辺まで行くって事か」
 なるほど。
 確かにミステリー小説でも、犯人は現場に戻ると言われてるし。
「って、ちょっと待って。それって、私達で犯人調査するって事?!」
「どうだろう?」
「どうだろって!!」
 その事については、美鈴と梓で散々言い争った事だ。
「いや、梓と美鈴が言い争ったのは捕まえる事に関してで、調査に関してじゃないよ」
「調査だって同じだよ! 確かに調査したら何か分かるかも知れないけど、真相に近付くって事は犯人に近付く事でもあって、犯人側からすれば凄い目障りでしかないのよ?! 下手したら、私達が殺されるわっ」
「そうなんだよね~」
 気の抜ける様な口調に、美鈴は段々苛立ってくる。
「香奈!!」
「怒鳴らないでよ。私だって、何もかも知ってるわけじゃない。犯人を捕まえるのだって出来ない。でも、何もしないわけには行かないじゃない」
 香奈が美鈴をしっかりと見据える。
「椿の事は放っておけない。でも、犯人は捕まえられない。なら、犯人の手がかりとなるものを捜して警察に駆け込む。そうすれば、犯人が逮捕される確率が高くなるんじゃない?」
「……それ、犯人を待ち伏せして捕まえるより大変じゃない?」
 今回の場合は、椿の所に犯人が来ると宣言しているから、待っていれば必ず来るだろう。
 だから、待ち伏せするには絶好のチャンスであり、警察さえ協力してくれれば囮捜査だってできるはず。
 問題は、椿が犯人を化け物としている所だけであって……はっ!!
「犯人の容姿とか嘘付いて、警察に張ってもらえばいいんじゃ」
 改めて考えても、椿の件は警察側にとっては絶好の囮捜査の機会だ。
「美鈴……警察を騙す自信があるの?」
 失敗したら、二度と警察からの協力は得られないんだよ?
「……煩いわね」
 自分でも、警察を協力させるまでが難問だと思ったようだ。
「けど、化け物かあ~」
 それがひっかかる。
 それさえなければ、何とかなったのに。
「ねえ……もしかしたら、本当に化け物かもしれないよ」
「は?」
 美鈴の言葉に香奈が眉を顰める。
「だってさ、ニュースで流れてる殺害方法だって、不思議なことばかりじゃない。もしかしたら、さ。本当に人間以外が関わってるのかも」
「美鈴……それ、本気で言ってるの?」
「半分ぐらいは」
 美鈴も、ただ無駄に昨日の夜を過ごしたわけではない。
 椿の事を助けたくて、精一杯得た情報から考えたのだ。
 確かに、犯人が化け物なんて有り得ない。
 けど、もしかしたら……。
 何度も考えるうちに、何となくそう思うようになってきたのだ。
「あのね……それで考えれば、この世の未解決事件は全て幽霊とか化け物のせいになるじゃない」
「でも、人間じゃ出来ないような事だって起きてるよ」
「暑さで疲れてきたんだね、美鈴も」
 んな事がある筈がないではないか。
 呆れる香奈だが、美鈴はまだ何かを考えているようだ。
 とうとう暑さで頭の思考回路が歪んできたらしい。
「とにかく、何処かお店にでも入ろうよ」
「え? 事件現場に行かないの?」
 さっき、そんな事を言っていたではないか。
「行かないよ」
「へ?」
「お金無いもん」
 香奈の今月のお小遣いは既に消えて無くなっている。
「……」
「美鈴が出してくれるなら、別だけど」
「……私も、ないわ」
 だって、読みたかったミステリー小説を買ってしまったし。
「……現実はこんなもんだよ」
 お金がなければ何にも出来ない。
 所詮中学生の財力で出来る事なんてごく僅かなのだ。
「出だしから壁にぶち当たるなんて……ってか、これじゃあ何にも出来ないわよ」
 と、くらりと目眩が美鈴を襲う。
「八方塞がりで気が遠くなったみたい」
「いや、それ熱中症間近だって」
 香奈が美鈴の腕を掴み、昨日花を買った花屋へと歩き出した。
「で、此処に来たと」
「うん」
 出迎えてくれた店長に事情を話し、店員の控え室で美鈴を休ませた香奈は、出してくれたジュースを飲みながら頷いた。
 そんな香奈に、机を挟んで座る店長が苦笑する。
 美鈴はアイスノンを枕にしてすぐ横のソファーで休んでいた。
 冷房が効いている控え室は心地良く、ようやく人心地つけた気分だった。
「水分補給はきちんとしなよ」
「金欠なんで無理です」
 ジュースのストローを咥えたまま香奈が答える。
 空になったグラスを下げると、店長は新しいグラスに今度はお茶を入れて香奈の前へと出した。
「ジュース」
「駄目。二杯目はお茶にしときなさい」
「店長の意地悪」
 ここで母がいれば、人の世話になっておきながら何を言うと怒られただろう。
「あと、塩分もとっておいた方がいいから、そこの煎餅をつまみなよ。本当は梅干しとかあればいいんだけど」
「梅干しは苦手だからヤダ」
「あはははは」
 ふてくされた香奈に思わず声を上げて笑った店長だったが、一頻り笑った所で表情を改める。
「そういえば仲直りはしたのか?」
「は?」
「だから、梓って子とだよ。昨日喧嘩したんだろ?」
「その頬の傷も、その子と?」
「うん。私の言い方が悪くて怒らせちゃった」
「何が原因だったんだ?」
 店長の質問に、香奈はお茶を飲もうとしていた手を止めた。
 店長とは小さい頃からの付合いだ。
 それなりに気心だって知れているし、実は悩みとかも相談した事はある。
 しかし、幾ら店長だって、椿が話した事を伝えれば戸惑う筈だ。
 自分だって、信じられないのだから。
 香奈は考えた。
 考えて、考えて、結論を出した。
「別に、何でもない」
 店長には内緒にしておく事にした。
 証拠が何もないのだから、言った所で夢を見ていたのだと言われればそれで終りだ。
 わざわざ、困らせなくてもいいだろう。
 誰かに助けて欲しいという気持ちもあるが、今の時点では助けどころか鼻で笑われて終りだと、香奈は分かっていた。
「……まあ、何か相談したくなったら、すぐに話しなよ」
「は~い」
 それから数時間。
 夕方近くなって、ようやく美鈴が起き出してきた。
「なんか凄く寝ちゃった」
「疲れてたんだよ」
 結局、今日一日花屋で過ごしてしまった。
「あ~、もう!! 今日を除けばもう五日もないのに」
「だよね」
 そこに仕事に戻っていた店長が控え室に入ってきた。
「あ、起きたんだ」
「すいません、お世話になりました」
「いいよ。それより、熱中症で倒れる人が多いから気をつけなよ」
 店長の注意に美鈴が恐縮しながら頷いた。
「で、香奈ちゃん」
「何? 店長」
「さっきお母さんから花の注文が入ったんだ。で、丁度香奈ちゃん此処に居るし、持って帰ってくれると嬉しいんだけど」
「いいよ~」
「んじゃ頼むね。ちょっと今込んでて花束作るのに時間がかかるから、もう少し待ってて欲しいんだけど」
「じゃあ外で待ってる――って、代金は」
「あ、それは後で貰うから大丈夫」
 そう言うと、店長が再び店へと戻っていった。
「美鈴、歩ける?」
「うん。外に行こう」
 そうして二人で連れ立って控え室を出た。
 店内は、エアコンが効いていてひんやりとしていた。
 寧ろ、少し寒いぐらいで、香奈と美鈴は店の外へと出る。
 すると、昼間に比べて涼しい風が二人を包み込む。
「涼しい~」
「この位が丁度良いね」
 控え室よりも、少し暖かいぐらいの温度に香奈達はホッと息をはく。
 駅の直ぐ近くという事もあって、人通りは多かった。
 しかも、帰宅時間と重なり、多くの人達が家へと向かって歩いて行く。
 それをぼんやりと見ていると、こちらに向かってくる者達が見えた。
 どうやら、花屋に用があるらしい。
「うわ~、綺麗!!」
「ここが有名な『フラワーガーデン・May』なんだ~」
「一度来たいと思ってたのよね」
 カジュアルな服を華麗に着こなす、二十代中頃の女性三人。
 手には、東京都の有名花屋が載っている雑誌が握られていた。
「しかも、ここの店員は全部イケメンだって話だし」
「嘘!! 見たい見たい!!」
「けど中混んでるみたいよ」
「もうちょっとしてから入ろうか。外の花も見たいし」
 そう言うと、外においてある鉢植えや花束を手に取る。
 きゃあきゃあと騒ぐ彼女達に、美鈴は苦笑し、香奈は少しうんざりとした表情を浮かべる。
 こういう甲高い声は……なんというか、耳に酷くこたえる。
 だが、ふとその耳がある会話を聞き取った。
「そういえばさ、都心で起きてる事件の事なんだけどさ」
「ちょっと~、今話さないでよ~」
「楽しい気分ぶち壊しじゃない!」
「ごめん~。でさあ」
 一応謝りはするが、話は続けるようだ。
「実はさ、今回の事件でうちのおばあちゃんが言ってたのよね~」
「何がよ~」
 食いついてきた友人に気をよくした話し手でしたり顔で笑う。
「昔の事件を思い出すって」
「はあ? 昔の事件?」
「うん。昔にも、似たような事件があったんだって」
「似たようなって、今回の?」
「らしいよ~。やっぱり、殺された人はバラバラだったって話」
「ふ~ん。でも、死体をバラバラにする事件は結構起きてると思うけど」
「いやいやいや。殺し方だけじゃなくて、決まった日に犯行を行う部分とか」
「嘘!! じゃあ、まさかその時の」
 怯えた様子の友人に、話し手の女性がパタパタと手を横に振った。
「んなわけないじゃない。事件は三十年以上も昔だよ? 犯人は捕まってないらしいけど、もうおじいちゃんだよ」
「そ、そうだよね……あ~、びっくりした! けど、なんていう事件?」
「そこまでは知らない。けど、やっぱり東京で起きたらしいよ」
「へ~、でもそんな事件があったんだ」
「おばあちゃんもすっかり忘れてたって言ってたけどね。当時は凄く騒がれたらしいよ」
 と、そこで花屋に居た客達の半数が買い物を終えて出て来た。
「あ!! 中に入ろう!!」
 一人が促し、三人はさっさと店内へと入ってしまった。
「……今のって」
「うん……」
 似た事件?
 香奈と美鈴は顔を見合わせる。
「……まさかね」
「そんなわけ、ないよ」
 あの三人の一人ではないが、似た事件など起きている。
 その時の犯人は捕まっていないらしいが、三十年も経過している。
 だが……ひっかかる。
 何かが……。
『おばあちゃんもすっかり忘れてたらしいよ』
「忘れてた……」
 ワ ス レ ナ イ デ
「っ?!」
「香奈?!」
 ズキンと、頭が痛む。
 今の……は。
 すぐ近くで、耳元で囁かれた様な声は酷く弱々しく、けれど強い懇願に満ちていて……。
「香奈、大丈夫?!」
「う……うん」
 頭を振り、額を流れる汗を抜ぐう。
 もう、聞こえない。
 何だったのだろう……今のは。
「けど、なんかイヤだね」
「え?」
 イヤだと呟く美鈴を見れば、何処か不安げな視線とぶつかった。
「だって、同じような事件なんて……」
「……」
「あれかな? もしかしたら、模倣犯とかかも」
 何かの拍子に昔の事件を知って、誰かが同じ事をしているのではないか。
 ミステリー小説好きの美鈴らしい予想だった。
「……あのさ、美鈴」
「ん?」
「その事件、調べられるかな?」
「え……う、うん。出来るんじゃない? ネットとか……図書館とか」
「……じゃあ、調べようか」
「調べるって……図書館はもう閉まってるよ?!」
「じゃあ、ネット」
「ネットって……香奈持ってるの?」
「ううん」
「……明日にしよう。明日は祝日だから学校も休みだし」
 次の火曜日まで、今日を除けば五日と少し。
 余り時間はないから、急がなくては。
「って、時間がないなら徹夜で調査するもんだよね、普通」
「やったが最後、親に怒られて明日は一日部屋で説教よ」
 香奈は自分の両親を思い出すこと数秒。
「だね」
 母がツノを出して怒る姿が思い浮かび、素直に頷いたのだった。


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