第一章 忘却の罪




Chapter.4

 

「でね――職員さんがそう言ってたの」
 夕食を食べながら話す娘に、父である連理はにこにこと笑う。
「その職員さんは凄い人だね」
「うん、私もそう思う」
 今日出会った職員との会話を、香奈は夕食で話題にした。
 といっても、椿の件や今調べている事件については内緒の上で話している。
 つまり、未解決事件について図書職員とした会話だけを伝えた。
 普段であれば、両親に一々今日あった事を話さないが、何故か今回だけは香奈から話し出した。
 未解決事件の関係者の思いについて話し合った時に抱いた、いまだ燻り続ける幾つもの思いがそうさせたのだ。
 一人でも多くの人と、この事について話し合いたい。
 それは、楽しい事や哀しい事があった時に、子供がそれを周囲に話したがるのとはちょっと違うが……。
 しかし、両親――特に父は香奈の話を熱心に聞いてくれた。
「サイトが更新され続けて……そして、被害者達の詳しい情報が残されている、その意味を――か」
 図書職員が言った言葉を父が反芻する。
「お父さんは、分かる?」
「ん?」
「その意味が」
「……そうだねぇ~」
 たぶん、これだろうと言う考えはあるが……。
「でも、言わないよ」
「なんで?」
 不満げな顔をする娘に、父は笑う。
「だって、これはお父さんの考えであって香奈の答えじゃないから」
「え?」
「その人は言ってたんだろ? 貴方なら、分かる筈だと」
「う、うん」
「なら、自分で考えて答えを出してみないと」
「けど、参考にするぐらいなら良いじゃん」
「確かに参考程度ならね。でも、そういう難しい問題は、結構他人の意見に引き摺られやすいからねぇ。やっぱり先に自分の答えを出した方がいいと思う」
「お父さんの意地悪」
「はは! 別に大丈夫だよ。こういう問題の答えに決まったものはない。たとえどんな答えだろうと、香奈の出した答えが香奈にとっての真実だよ」
「でも、それだと私の考えであって、関係者の人達の思いじゃないよ」
「ふふふ……それはどうかな?」
 くすくすと笑う父に、香奈はまた頬を膨らませる。
 今度は母が口を開いた。
「なんだか図書館では有意義な時間を過ごしたようね。で、ついでに勉強とかは」
 思い切り視線を逸らした娘に、母が溜息をつく。
「はぁ……全く」
「しゅ、宿題はきちんとしてるし」
「……まあいいわ。で、今日はずっと図書館に居たの?」
「ううん。図書館はお昼過ぎぐらいには出たよ。その後は椿の家に行ったの」
「椿ちゃんって、鷲崎さんの所の? 確か火曜日からずっと休んでいるのよね」
 ずっとと言っても、今日は祝日だから実質は、一昨日と昨日の二日ぐらいだ。
「明日は出てこれるかしらねぇ」
「う~ん」
 その可能性は低いだろう。
 今日も椿の家に行ったが、椿の母から体調が優れず、もしかしたら今週いっぱい休ませるかもと告げられた。
 だから椿に印刷した第五の被害者の写真も見せられずにいた。
 ならば、椿の所に毎日通っている梓達にとも思ったが、その日は来ていないらしく、梓や理佳の家まで行ったが留守だと言われた。
 まあ――会えたところで、素直に見てくれたかは謎だが。
 椿を見捨てたと、梓は怒り心頭だったし。
「明日は金曜日か……」
 ポツリと、口から漏れる。
 来週の火曜日の午前二時~午前四時までが勝負だ。
 だが、もう残り四日ほどしかない。
 今考えてみれば、強引にでも写真を見せるべきだっただろうか?
 しかし慎重に行わないと、初日の時みたいに椿が恐慌状態に陥って話どころではなくなる。
 はっきりいって、自分と美鈴だけでは難しい気がする。
 梓達にも協力を頼んだ方がいいかもしれない。
 と言っても、昨日までの梓の様子からすれば、完全に香奈の事を拒否していて難しいだろう。
 理佳に間に入って貰おうにも、あの子の性格では酷く厳しい。
 それに――、他にも問題はある。
「あのさ、お母さん」
「ん?」
「土曜日の親族会議……出なきゃ駄目だよね? やっぱり」
 月に一回。
 香奈の母の実家で行われる親族会議――分家筋全てが一同に本家本邸にて介する会議が、二日後の土曜日に迫っていた。
 一族の者にとってどんな用事よりも優先するべきものとされているそれは、香奈にとっては朝から晩まで自由を拘束する厄介なものでしかない。
 だが、母の実家の分家は全部で百余りあるのだから、挨拶だけで時間がかかるのだろう。
 因みに分家は日本各地に散らばっているが、親族会議や本家である母の実家の鶴の一声で集合するほど本家に忠誠を誓っており、例え外国に居ようとも即座に帰国する。
 香奈からすれば、毎回毎回集まるのは良いが、交通費はどうなっているのかと聞きたい。
 が、他の分家にその心配はいらないらしい。
 何せ、母の実家は古くから続く名家というだけではなく、日本、いや世界でも有数の大財閥の総帥一族なのだから。

 大財閥総帥一族――神有家。

 各世界でその名を知らぬ者は居ないとされ、本家はおろか分家筋に至まで、各世界で有能な人材を輩出し続けている名門一族。
 香奈の母は、そこの本家長女として生まれ育った。
 つまり、香奈は神有家本家直系の孫の一人。
 いわば大金持ちを母方の実家に持つ令嬢であり、時代が時代ならお姫さまである。
 ――が、香奈からすればそれは遠い話でしかなかった。
 というのも、香奈の母は確かに本家の長女だが既に家を出ている。
 同じく結婚して家を出た次女もいるが、そちらとは違い、香奈の父と結婚するにあたり全ての権利と恩恵を返上したのだ。
 つまり、家を捨てたようなものである。
 何故そんな事をしたのか――それは簡単な事だった。
 香奈の父は、天涯孤独で身分も地位も財力もないしがない地方公務員。
 一方母は、地味で平凡かつ神有家の醜いアヒルの子と周囲から蔑まされていても、本家の姫。
 誰が見ても不釣り合いだった。
 当然、普通に考えれば反対される仲。
 だから、家を捨てて駆け落ちしたのだろうと周囲は見る。
 香奈も話を聞いた時にはそう思った。
 というのも、生活レベルなどを考えたら、到底普通の一般家庭にしか思えない生活をしていたからだ。
 だが、母と実家の間で完全に縁が切れたわけではない事も香奈は理解していた。
 証拠に、香奈の一家は実家本邸からそれほど遠くない場所に住んでいるし、月一の親族会議には一家揃ってきちんと出席している。
 これが母だけならまだしも、父も呼ばれているという事は、分家として認められているという事だ。
 そして香奈も、孫と認められているらしい。
 他の従姉妹達と同じ扱いをされているし、本家の屋敷に出入りする事も自由だったから。
 それは家を捨てて完全に縁を切った娘の一家に対する本家の態度としては、明らかにおかしい。
 しかし――それだけだった。
 母は実家の財力に頼らず、父の給料だけで生活し、お金が足りなければパートに勤しむ。
 スーパーのチラシを毎日チェックし、大安売りの時には夫と娘を荷物持ちにして突撃する。
 それどころか、他の従姉妹達は小さい頃から社交界に出ているが、香奈は一度も出た事がない。
 寧ろ、大金持ちの孫を思わせる様なイベントもなければ生活もした事がなかった。
 だから、母の実家が名家だという事は何となくわかっても、あの有名な大財閥だという事は全く現実味がない。
 まあ――今の暮らしの方が気が楽だから、香奈にとってはどうでもいいが。
 それに、他の分家とは違い、平々凡々すぎる香奈は間違っても有能な人材として輩出される事はないだろう。
 幼い頃から社交界の華としてもて囃されている従姉妹達を見ても、そんなに羨ましさは感じないし、今の生活で満足している。
 ようは、香奈は根っからの庶民なのだ。
 そして出来るなら、分家に至まで有名どころが一同に揃う親族会議には出たくない。
 それに今は椿の事もあるから、余計に出たくなかった。
 そう――先に挙げた他の問題が、これである。
 椿の事で時間がないというのに、朝から晩まで拘束される親族会議など香奈にとっては邪魔な行事でしかなかった。
 これで一族の恩恵を受けているならまだしも、そんな様子は殆どないのだから、出る意味すらよく分からない。
 ってか母、家を出たんだよね?!
 なのになんで行くの?!
 更に親族会議に出席出来ない香奈は、他の従姉妹達と一緒にいなければならない。
 が、分家筋の親族の子はまだしも、本家筋の従姉妹達との気のあわなさと言ったらどうしようもない。
 特に、柚緋とか、綾乃とか、柚緋とか、綾乃とか。
 いや、今はそれは関係なくて、大事なのは椿だ。
 椿の件で、もうあまり時間がない。
 だから、無理だと分かっていても、期待を込めて母に親族会議の欠席を願ったのだが……。
「無理ね」
「むぅ~!」
「お父様の命令は絶対ですもの」
 現在も、神有家本家当主として一族を纏める祖父は、一族の王として君臨している。
 逆らう事などとんでもないと言わんばかりの母。
 だが、その祖父に逆らって家を出たのが母だろう。
 当時は、その事で凄い騒ぎとなったらしい。
「それに、香奈も孫の一人だから顔を見せなければ」
「それは優秀な孫の場合。他に沢山いるじゃん」
 特に優秀な孫では、柚緋や綾乃だっている。
 別に、自分一人いなくても問題はない。
 筈なのに――。
 どれだけお願いしても母は頷いてくれず、香奈はふて腐れたまま布団に潜り込む事となった。
 その日、香奈は一つの夢を見た。


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