〜第六十二章〜自分で考え自分で決断〜






「よいしょっと!」



歪められ一つの別空間を作り出すそこに人一人分の穴を開け、緑翠は躊躇う事無くするりと
野生の豹さながらの動きで城内へと再び侵入した。



「………う〜〜ん……さっきよりも闇が濃いな」



加えて、邪気が増している。



そこれそ、油断したが最後、誰しもが持つ意思や思考、存在すらもその禍々しい黒き触手でもって絡めとられた挙句、
奥深くに引きずり込まれるのではないかと思うほどの得体の知れぬ禍々しい闇が其処にあった。




普通の者ならば完全に発狂していても可笑しくはないだろう






だが、そんな中でも緑翠は特に動じる事もなくスタスタと歩いていく。







それも









「この位の闇なんて何時もの事だしな、どうせ」








なんてことを言いながら。







その顔には、それはそれは楽しそうな笑みまで浮かべつつ。














辺りに何があるかさえ解からなくなってきているその場所を








堂々とした足取りで







緑翠は歩いていく









そして彼の姿は闇の中へと消えて行ったのだった。

















轟くのは、魔獣達の咆哮。




その数、凡そ100。
醜悪な姿形を持ったそれらは仙洞宮を取り囲むようにして夫々が腹の底から鳴き声をあげていた。




はっきり言って、何を言っているのか解からない禍々しすぎる鳴き声。
けれど、見るものが見ればすぐに解かったであろう。その瞳に輝く爛々とした欲望の光が。




彼らの中にある残虐な殺戮欲と貪欲なまでの食欲を満たすものが、その仙洞宮の中に満ち溢れている事に対する狂喜が。






それによって、その鳴き声にはどんな意味が含まれているのかを――














それらは恐れるだろうか?




泣き喚くだろうか?




死にたくないと――生きながら弄ばれ、最終的に食われる恐怖と絶望に狂うだろうか?





魔獣達は舌なめずりをした。




それこそ願ってもいないもの。




獲物の恐怖や絶望が濃くなればなるほど、食らった自分達の欲は満たされる。力を得られる。




自分達にとって負の感情はこれ以上ない最高のスパイスなのだ!!




人間を、神、精霊を、仙人を、その他の者達を食わないで仲良くしようとする奴等など邪魔なだけだ。





魔獣の誇りを捨てた忌々しい奴等。





それと自分達は違う。






目の前に用意された美味しい獲物。




目の前の建物など一瞬にして叩き潰してやろう。





そして怯えきった奴等を一人残らず食らい尽くしてやる!!





そう、現在かかっている命令さえ解けてしまえば





魔獣達はその魅惑的な未来を予想しながら更なる狂喜の咆哮をあげた。







中に居る者達の心を甚振る様に――







近づく生き地獄と死の足音に深い絶望にその心を狂わせてくれるように――













だが














そんな魔獣達の努力は思ったほど仙洞宮の中に居る者達にダメージを与えはしなかった――りする











何故かと言うと









「果たして俺たちで何処まで出来るか解からないっ!!だが、相手が魔獣だろうが何だろうが
最後の最後まで戦ってやるっ!!」





と、仙洞宮内に居た者達が、今から一刻ほど前にしっかりと心の底から決めてしまったからである。





その理由は、風祢にあった。



近づく沢山の魔獣達を察知した後、彼女は心底怯えつつも、すぐに我を取り戻し
その場に居た者達を逃がそうとした。






それも、命を懸けて。







『奴等は一番力の強いものを狙う。此処で力が強いのは我だ(後、葉医師)ならば、奴等は
一目散に我に向かうだろう。その間にお前達は逃げろ』







そう淡々と述べる彼女に、恐怖に打ち震えていた者達は暫し唖然とした。







この人は一体何を言うんだろう?






それってつまりこの人は食い殺されてしまうと言う事で






自分達はこの人を偽性にして助かると言う事で












本音の本音を言えば、こみ上げて来る例えようもない恐怖と絶望に誰を偽性にしても
助かりたい気持ちはあった。








それはどんな生物の中にもある生存本能であろう。








それこそ、幾ら武術の腕がたつ自分達でも、あんな人外のものなど相手に出来ない。







だが――






なぜだろう?それを納得できない自分が居る。






本当ならば直ぐにでも頷いて、了承してしまっていてもおかしくない。







だって生きたい、死にたくない、助かりたいのだっ!!







誰を犠牲にしても、誰が死んでも







裏切り者、薄情もの





そう言われても死ぬのは怖い





生きながら食われるのは怖いっ!!







けど






けどっ!!







……………風祢が偽性になるのも嫌だっ!!






不思議だった。会ったばかりの存在なのに。






どうしてそう思うのかと聞かれれば自分達は解からないと答えるだろう。






けれど………






と、そこで気づいた。






もし、自分が偽性になると言い出したのが風祢ではなく別の人物だったならば自分達はこう思っただろうか?






答えは――是






それこそ不思議な事実だった。








でも、思ってしまうのだ。誰か一人を偽性にするのは嫌だと。





だからと言って偽性の人数が増えればいいのかといえばそうではなく、全滅などは寧ろ絶対にお断りする。







では、自分達は何を望んでいるのか?














「俺、生きたい……生き残りたい、皆で」











そう呟いたのは誰だったか?









だが、それを皮切りに皆が口々に騒ぎ出した。









言い方や言い回しは違えど同じ事を











皆で助かりたい











その場に居た全員の思いは同じ、心は一つ









となれば、やることは一つ。








全員で生き延びる為に何をするかを考え実行することであった






そしてそれを開始する宣言の如き声が上がる。





それが、一人の武官から齎された




「果たして俺たちで何処まで出来るか解からないっ!!だが、相手が魔獣だろうが何だろうが
最後の最後まで戦ってやるっ!!」






という力強い叫びであった。





そして方針が決まればあの二大将軍に鍛えられている武官達の動きは早い。




お前達に何が出来ると説得しようとする風祢を逆に説得し、彼らはありったけの知恵を搾り出して実行にうつし出す。







全ては、皆で生き延びる為に







そして――







『……今、自分達が何をするべきかを改めて考え直せ』








それは霄太師の言葉。





周囲を頼ろうとし、自分で考え動く事を知らず知らずの内に拒否してしまった自分達を彼は激しく叱咤した。





恥かしかった




そして自分自身に怒りを覚えた。







そうして誓ったのだ。






次に霄太師の前に赴く際には、自分で考えられる存在になろうと。






それがどの様な有事の時であっても






何故なら、それは自分達の本業――武官として最も必要なことでもあるからだ。





言われなければ何も出来ない




それでは物言わぬ人形と同じである





二大将軍が統治する軍はそんな人材は望んでいない。





常に何をするかを、何を出来るかを慎重に考え判断する事は、武術の腕を磨く事以上に求められている。






そう、自分達は武官として最も大切な事の一つを放棄してしまっていたのだ。




これでは、霄太師に叱られても仕方ない。





武官、いや、一人の人間としても失格だろう。








けれど、同じ間違いは二度としない。






自分達で為すべき事を考え判断し、実行していくのだ。







そして自分達は決めた。







全員で無事に生き残ると。







実際問題として、それが叶う確率はかなり少ないだろう。







けれど、願うならば最後の最後まで自分達は戦う。



もし駄目ならば風祢達だけでも逃がせばいいから。
駄目ならば、一人でも多くの者を逃がす準備も勿論しておく。




でなければ、『何かをやる時にはあらゆる事態を考えて動けっつったろ!!』と二大将軍に怒られる。


また、『自分達で為すべき事を考えろとは言ったが、それで全滅してれば唯の馬鹿だ』と霄太師にも呆れられるだろう。


そうなりば、死んでも死に切れない。死んでも顔向けできない。






ってか、勿論最初から死ぬ気はない







そして彼らは全力を尽くす。









万が一にも、その願いをこの手に掴み取る為に








それは誰かに強制されたのではない、自分達の心からの願い







だから……彼らは知らなかった。








そんな彼らを、葉医師が出来の悪い、けれど可愛くて仕方のない生徒を見守る教師の如き眼差しで見ていた事を







そして……葉医師の中でも一つの決断が下されていた事を









―戻る――長編小説メニューへ―/―続く―