「え〜と、秀麗ちゃんと静蘭さんは別として、邵可様に挨拶して、街の人達にも挨拶したでしょう?
後は、劉輝様と楸瑛様と絳攸様、そして黎深様に鳳珠様に、管尚書に欧陽――」


蒼麗は1年半前の件で未だに挨拶をしていない面々を紙に書き出していく。
――ふと、聞えてきた鐘の音に、顔を上げた。それは――秀麗と悠舜の国王陛下との会見が
無事に済んだことを知らせる合図。様子を見に行ってもらった銀河からのものだった。


「秀麗さん……無事に済んだんだね」


自分にとって姉のような存在でもある秀麗の官吏としてまた一歩進んだ快気に、蒼麗は笑顔を浮かべた。
しかし、直にそれは消える。


「あちらも間も無く……ううん、もう動き出してる頃ね」


蒼麗は、懐から一つの木管を取り出す。それは、見た目的には普通の木簡。
しかし、この木簡に書かれている文字の塗料は――七彩夜光塗料。紅家が数ヶ月前まで占有し、
今は全商連にその権利が移譲され始めている貴重な物。そして……秀麗の為に紅本家が手放した物。
その価値に、玉と称される者達は直に気が付いただろう。加えて、秀麗が紅家直系長姫である事も――
間も無く知る事になるだろう。そうなれば、まず間違いなく――


「お見合い合戦かぁ〜〜」


今、秀麗の花嫁としての価値は公主並に上がっている。秀麗を巡って凄まじい争いが起きるのは
もう目の前だ。予想していた事とは言え、実際にそうだと解ると何だか感慨深いものがある。


「まあ、あの紅本家だから、変な所は即座に潰してると思うけど」


でもなぁ……と、蒼麗は思う。


「いいなぁ……そんなにお見合い話が来て」


確かに、自分の場合は既に許婚がいるけれど、あれは両親同士が決めた物だし……と言うか、
他の幼馴染達女性陣や双子の妹なんて既に相手が決まっていても大量にお見合いが来ている。
なのに、なぜ!!自分には、一つも来ない??!!
逆に許婚である青輝が、自分の弟や他の幼馴染達男性陣と同様大量にお見合い話が来ている分、
余計に惨めになる。別に、大量に来いとは言わない。けれど、少しぐらい……私だって……なのに……。
蒼麗は悲しくなった。いや、別にいいんだけどさ。どうせ自分は可愛くないし、綺麗じゃないし、スタイルは
寸胴で頭も悪くてモテないし、お見合いしたって、幼馴染達や妹弟、秀麗とは違って何の利益も
生まないって事ぐらい解っている。青輝だって、両親が決めたから仕方なく………………。


「あ、涙出てきちゃった……」


寧ろ自分が惨めになってきた。


「はぁ……駄目だ、気持ちが後ろ向きになってる」


顔をパンパンと叩き、気合を入れる。昔、秀麗がやっていたように。
頬の痛みに、思ったよりも悲しみが飛ぶ。少し赤くなった頬をさすり、蒼麗は立ち上がった。


「さてと……それじゃあ、行きますか」


蒼麗は紅邸の屋敷の窓に足をかけ、外に飛び出していく。自分のやるべき事をやる為に。











数日後――








「あはははははははははははははははははははははは!!」



望遠鏡を片手に己が居る風雅の高楼の屋根をばんばんと叩く緑翠に、銀河は怪訝な表情を浮かべた。
それさえも思わず溜息を付くほどに美しかったが、残念ながら此処には誰もおらず、その美貌は
垂れ流し状態となる。が、やはり誰も居ないのでそんな事すら関係なかった。


「一体如何したというのです」



「あはははははははははははははははは!!だ、だ、だって、ははははははははは!!」


正に馬鹿笑いと言う表現が相応しい様子で転げまわって笑う緑翠から望遠鏡を奪い取り、
銀河は同僚を此処まで笑わせるその原因を眺めた。そして――間も無く、緑翠には劣る物の、
銀河も肩を、体を震わせて笑い出した。


「な、なんですか、あれはっ」



望遠鏡から見えるのは、宮城と王を守る精鋭中の精鋭である羽林軍の酒盛り場。――に、居る静蘭の姿。
あの年ごまかし野郎は酒の飲み過ぎか、ぐぅすかと机の上で眠っていたが――その顔が問題だった。
その類まれな容姿、白磁の様な肌には幾つ物黒い線が走っている。所謂、墨による落書きが
成されているのだ。目の周りを囲むような二重丸、そして細い顎一杯に書かれたもじゃもじゃの髭。
言ってみれば、もじゃもじゃ髭のパンダである。あの何時もすかしたお上品なサバ読み男の普段からは
到底考えられないその姿に、笑いは留まる事無く溢れ出て行く。しかも、幾ら酒が入っているとは言え、
何故あそこまで書かれて起きない?!次々と込上げて来る笑いのままに笑い続けながら、
緑翠と銀河は静蘭が起きた場合にどんな反応を示すのかを思い浮かべ、更に笑った。
その後、静蘭が実際に起きて怒り狂い、楸瑛に弓を放つのを見て、二人は更に腹筋を
酷使する事になるのだった。












「じゃあ、鳳珠様。私は失礼しますね」


悠舜と柴凛と共に挨拶にやってきた蒼麗は、ゆっくりと立ち上がって告げた。


「ああ、暇が出来たらまた来い」


1年半ぶりに出会った戦友とも言える少女に、鳳珠は仮面を外した殺人的絶世の美貌に
極上の笑みを浮かべる。それは、人の100人や200人普通に殺していても可笑しくない程の威力を
持っていたが、凄すぎる審美眼の高さを持っている蒼麗はにっこりと微笑み返した。
また、周りに居る者達も鳳珠の美貌に耐性を持っているので、誰一人として命を奪われる事はない。


「はい。それでは、景侍郎様もお元気で」


ぺこりと頭を下げる蒼麗に、黄尚書と同じく1年半ぶりの再会を果した景待郎も優しい笑みを浮かべた。


「またいらして下さいね」


最後に、悠舜と柴凛にも別れを告げ、蒼麗は戸部尚書の部屋を跡に、戸部からパタパタと退出した。





「さてと、次は黎深様の所に挨拶かな」



本当なら、白大将軍と黒大将軍の所に先に行きたいが……どうやらあそこは危険地帯だと
邵可から聞かされていた。また、楸瑛も現在巻き込まれているだろうから、此方も後になる。
となれば、残りは絳攸や劉輝の所だが、どちらも今仕事中らしいとの事なので、後ほどと言う事に
決めていた。また、管尚書は欧陽侍郎も現在正月と言う事で酒飲みバトルがヒートアップしていると
予想される。そうすると、当然残りは黎深となる。あの人ならば、きっとどこかで姪ストーカーしているだろう。
なんでも、何時も仕事を絳攸に押し付けてはふらふらと何処かに行ってしまっているらしいから。


「まあ、一番捕獲率が高いのは、邵可様の所だけど」


あの兄大好き尚書。邵可の所で罠を張れば確実にひっかかる。
――が、とりあえず仕事をしているかもしれないという方面からの捜索をしようと思う。
せめてもの、尚書として真面目に取り組んでいるだろう面に値して。



そうして、蒼麗はスタスタと歩き出す。




――が、程無くして歩みは止まった。
ちょうど近くを通り掛った工部の上部の窓から飛んで来た一本の酒瓶によって。
それは、見事に蒼麗の後頭部に当った。そして、それはそれは綺麗な花畑と川を見た。
川岸の向こうから呼ぶのは、見た事もない曽祖父。おいで、おいでと此方に優しく手招いていく。



ああ、ひいおじいさん。









ひいおじいさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!









――って








行っちゃ駄目だよ、私っ!!






というか、あれは本当私の曽祖父?曽祖父?!






蒼麗は見知らぬ相手について行ってはいけません、という幼少の頃に言い聞かせられた教訓を
心の中で何度も繰り返す。そして、グワッ!!と凄まじい勢いで目を見開き、現実世界に戻って来た。

あ、危なかった……危うく逝ってしまう所だった。


大きく息を吐き、激しく動悸する心臓を押える。やばかった。かぎりなくやばかった。


「これで逝っちゃってたら、絶対に怒られた……って、こ、これはっ!!」


手元にコロコロと転がってきたそれに、蒼麗は目を見開く。
少々口が欠けた酒瓶。紛れもなく自分の後頭部に当った代物だ。蒼麗は即座にそれを掴み取り、
工部の建物の壁に駆け寄っていく。そして、ガシッと壁に手を掛けると、リ○グの貞○宜しく凄まじい
勢いで微かにある窪みに手をかけ足をかけ、上っていった。
目指すは、この酒瓶が飛んで来た窓。蒼麗は燃えていた。全てはとある目的を果たす為に。









「頭の形が歪んだらどう責任をとってくれるんですこの鶏頭!もともと歪んでるあなたの頭とは
価値が違うんですよ!」



自分の上司が投げた酒瓶で頭を打った欧陽侍郎は叫んだ。そして、ふと思う。
そういえば、もう一本窓の外にとんでいった酒瓶はどうなったのだろう?
その途端、外から窓枠に手がかかり、勢いよく一人の少女が入ってきた。驚く暇も無かった。








バキイイイィィィィィィィッッッッッ!!!!!!!!!!








少女の手に握り締められていた酒瓶が、凄まじい勢いで投げつけられていった。
投降先である管尚書の顔面にそれが深くめり込む程に。
そのまま、後ろにドスンッという大音を立てて倒れていく。それは……あまりにも一瞬の出来事だった。



「い、一体何が……」



賊か、と欧陽侍郎が少女を見る。と、同時に傍に居た秀麗の声が飛んで来た。



「蒼麗ちゃん!!」



「そ、蒼麗?!」



欧陽侍郎が驚きに目を剥いた。蒼麗?蒼麗ってあの1年半前の――



「あの、欧陽侍郎……知っているんですか?」


「え?あ、知っているも何も」



彼女は自分達の命の――



「って、てめえは蒼麗っ?!くっ!!1年半ぶりに突然現れたと思えば一体何しやがるっ!!」



跳ねる様に飛び起き、バキンっと己の顔にめり込んだ酒瓶を握り潰しながら管尚書が怒鳴りつけた。
しかし、蒼麗も負けては居ない。



「何なんだはこっちです!!1年半ぶりの再会をする前によくも人を三途の川に送り込んでくれましたね!!」


「「は?三途の川?!」」



秀麗と欧陽侍郎が声を揃った。



「お陰でこっちは見たこともない母方の曽祖父にばったり出会っちゃったじゃないですか!!」


「お前、見たこともねえのになんで自分の曽祖父だって解るんだよ!!」


「ひ孫の勘です!!」


「一番当てになんねぇだろ!!しかも、祖父じゃなくて曽祖父なんてどれだけ離れてんだ!!」


「たった四親等の間柄じゃないですか!!」


「はっ!!ジジイなら三親等だ!!」


「なんですって?!」


「蒼麗ちゃん、話がずれてる!!」


「はっ?!そうでした」


秀麗の指摘に、蒼麗は我に返った。


「とにかく、謝ってください」


「はっ?何言ってんだよ。下をチンタラ歩いていたお前の方が悪いんだろ?そもそも、女官でもない
お前が何でこんな所にいるんだよ。1年半前はともかくとして、今なら不法侵入で訴えられるぞ?」



明らかにそこらの街娘の格好をした蒼麗の風貌を目ざとく確認した管尚書は、不適な笑みを浮かべる。
しかし、蒼麗も負けては居なかった。



「確かに私は女官ではありません。でも、1年半前と同じく宮城を自由にうろつける許可は持ってます」


「何をぉ?」


「なら、証拠を見せます。はい」



蒼麗は、一つの木簡を管尚書に見せる。途端、流石の管尚書、そして状況を見守っていた
欧陽侍郎の顔色が変わった。



「お前、それは……」



百官の長の一人とも言われ、名宰相と名高い霄太師の印が成された木簡に、工部の尚書と侍郎は
まじまじと見詰める。それは1年半前、蒼麗が持っていたものとなんら代わりが無い代物。
但し、使用期限は大幅に変わっていた。



「お前、今度はどうやってジジイから奪い取ったんだ?!」


「そうですよ。これをどうやって手に入れたのですか?!」


「前と同じく下さいって言ったらくれました」


「「はい??」」


「蒼麗ちゃん、霄太師の木簡を使ってたんだ」


「はい。これが一番効力を持ってますからね」


「てめぇ……また脅したのか」


「んなっ?!脅すなんてそんなっ!!唯の主と
舎弟の関係です」



秀麗は、その場が完璧に凍りつくのを全身全霊で感じた。
しかし、相手も只者ではない。悪夢の国試を突破した者。何とか自力で解凍する。



「舎弟だと?」


下僕でもかまいません」


「同じだろ!!」


「まあ、本当は旧知の仲ですけど。でも、この前も霄太師ってばまた新たに借りを作っちゃったら、
私の思い通りに動き、私が呼べば直に馳せんじて、私の言う事を何でも聞いてくれる都合の良い人に逆戻りしてしまいましたが」


「そ、それって下僕っていうんじゃ」


「はい、言います。直接的な表現で凍りつかれたので、せめてものと婉曲に言い直してみたんですが」



最終的に同じだろ、という突っ込みは誰もが心の中でだけで行った。



「で、とにかく謝罪して下さい。非は完全に管尚書にあります」


「けっ、だからチンタラ歩いていたそっちが……いや、待て」



管尚書は良い事を思いついたと言う様に笑う。



「おい、お前も俺に飲み比べで勝てたら謝罪してやってもいいぞ?」


「は?」


「管尚書?!そ、それはっ」


「てめぇは黙ってろ。で、どうする?このまま引き下がるか?」



管尚書の挑戦的な笑みに、蒼麗は即座に答えた。



「いいえ、やります」


「そうこなくっちゃ」



「ちょっ!!この凡愚の鶏頭!!あんた一体何考えてるんですかっ!!しかも、蒼麗は私達の
命の恩人なんですよ?!恩を仇で返すつもりですかっ?!」



今年で18歳になる秀麗はともかく、まだ11,12歳位の蒼麗に酒を飲ませるなど冗談じゃない!!
しかも、命の恩人の少女に!!と流石の欧陽侍郎も慌てる。が、再び頭に酒瓶をぶつけられる。



「てめぇも黙ってろ!選んだのはこいつだ。それに……1年半前にした約束を果たしてもらうだけだ」



約束したのに果たさずに、勝手にとっとと居なくなってしまった少女。管尚書も口には出さなかったものの、
再会できた事は心のそこでは喜んでいた。しかし、何も言わずにとっとと居なくなってしまったのは
幾ら自分といえど傷ついたのだ。少しぐらい意地悪した所でバチは当たらないだろう。
それに……蒼麗も気づいている筈だ。



「つぅぅ……この鶏頭!!ご両親が怒鳴り込んできたらどうするんですか!!」


「大丈夫です!!笑って国を焼くぐらいですから!!」


「余計に悪いです!!って国を焼くって貴方の両親は一体何者ですか!!」


「一言で表せば……怜悧冷徹冷酷非道鬼畜腹黒極悪大魔王的な破壊神です」


「絶対に止めてください!!」


「いいえ、やります!!そして、謝罪してもらって、これから1年間の禁酒に勤めてもらいます!!」


「何?!俺は謝罪するとしか言ってないぞ!!」


「ついでに禁酒して下さい!!司農寺の人達の心を癒す為にも!!思い出しましたよ、お酒の
ブラックホール尚書。貴方のせいで司農寺の人達がどれほどの涙を飲んでると思うんですか!!」


「くっ?!てめぇ、実は司農寺の回しもんだな!!」


「回しもんだなんてっ!!唯の
通りすがりに司農寺の人達の気持ちを代弁する偶然に
見舞われた者
です!!」


「それを
回しもんっつうんだよ!!」



ギャアギャアワアワアと蒼麗と管尚書の言争いが激しさを増していく。それを、欧陽侍郎の後頭部の
手当てをしつつ、秀麗は見守った。が、偶然にも蒼麗の後頭部を垣間見てしまい、心の中で涙した。


(蒼麗ちゃん……)


蒼麗が此処まで切れるのは本当に珍しい事だ。何時も、笑って許してくれると言うのに。
しかし、あの後頭部の脹れ具合では……。蒼麗の後頭部は、今や拳大の大きさに晴れ上がっていた。
欧陽侍郎のたんこぶなど問題にならないぐらい。




そういえば、管尚書が投げて外に出てしまった一本は、それはそれは
凄まじい勢いと力
籠められていたような………………………………気がする………………………
(汗)





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