~第十章~艶妃~









私の方がずっと貴方を見ていたのに








私の方があの女の知らない貴方を知っているのに








貴方は決して私を見てくれない








口惜しい








悔しい








けれど、私は諦めない








手に入れる








絶対に貴方を……








例え












ドンナシュダンヲモチイテモ!!!!!!!












漆黒の闇夜の中を、一人の存在が駆け抜ける。
その懐には、一枚の美しい鏡が納められていた。敬愛する主から託された大切な品。
それと同時に、一つの命も下されていた。








『その鏡を操るに相応しい存在を見付けて来い』








その命を成し遂げるべく、その存在はひたすら命に適う相手を探す。
この鏡を操るに相応しい、憎悪の持ち主を―――――。











その日は、何時もよりも温かい日だった。
何時もと同じ様に携えて来た手作りの饅頭を、此処数日泊り込みを続ける静蘭と邵可、そして劉輝達へと差し入れするべく、
秀麗と蒼麗の二人は既に通い慣れた王城への道を 仲良く歩いていた。しかし――今日は、何時もとは少しだけ違った。
それは、王城の手前で蒼麗が私用で別れる事となっているのだ。なので、今日は王城には秀麗一人で行く事になっている。
と、そろそろ二人を別つ道が見えて来た。秀麗はそのままの道を直進し、蒼麗は別れた左の道を進む。



「それじゃあ、また後で」



「うん、じゃあ」



笑顔で手を振ると、二人はそれぞれの道を進んでいった。それから、半刻。
秀麗は見慣れた王城の門に辿り着いた。此処で、門番の兵士に父か静蘭を呼んで貰うのだ。
――といっても、何時も二人は忙しく、最終的には静蘭と顔見知りである此処の門番が休み時間を使って
届けてくれているのだが……。



――が、今日はその門番を守る兵士が居ない。





「……なんで?」



実は、門番の交代員が何時まで経っても来ない為、不謹慎にも此処を守る兵士が自ら探しに行ってしまったのだが、
そんな事、当然ながら秀麗は知らない。勝手に入る事も出来ず、秀麗は門番の兵士が戻って来るのを待った。



「……一体何処に行ったのかしら」



何時まで待っても、門番は来ない。この時、交代要員と激しい言い合いが勃発していたのだが、やはり当然ながら
秀麗はそんな事、まっっっっっったく知らない。門の前に座り、青い空に流れ行く白い雲を見詰めながら、
暫し意識を彼方へと飛ばす。……勝手に入ってしまおうか。そんな事を考え始めた時だった。







「如何なされたのです?」







突然――予想だにしなかった可憐な声が、後ろから振ってきた。
秀麗は慌てて振り返ると、そこには20歳前後の麗しい美女が立っていた。
その服装から、女官である事が見て取れた。何故此処に女官が?と言う疑問も浮かんだが、それよりも此処で
座り込んでいた事を見られた恥ずかしさに、秀麗は顔を真っ赤にする。が、それでも門番の所在だけはきちんと
聞いたのだった。




「門番の方でしたら、先ほど交代要員を探しに参られましたが……」




「そ、そうなんですか……って、門の警護は……」



「……完全に忘れていますわね……それで、貴方は何様で此処に参られたのですか?」


「え、あ、その私の父と家人に差し入れを持って来たんです。何時もは門番の方に呼んで来て……っていうか、
最終的には運んで貰うんですが……」



困ったとばかりに悩む秀麗に、女性はその麗しい美貌をよりいっそう引き立てる艶やかな笑みを浮かべると、
優しげな声音でこんな提案をした。



「では、わたくしがお渡ししましょうか?」


「え、あの、でも……」


「良いのですよ、わたくし今は休憩時間ですから」


「そ、そうですか……あの、それじゃあ……お願い出来ますか」



予想外に時間がかかった為、この後に予定していた賃仕事への出勤時間が差し迫り始めていた事もあり、
秀麗はその提案に飛びつく。



「では、確かにお預かり致しますね」


「宜しくお願い致します」



秀麗は重ねて頭を下げると、賃仕事場に向かうべく、走り去っていった。



その後姿を、女官はにこやかな笑顔で見詰めていた。










秀麗の後姿が完全に視界から消え去る頃、女官は饅頭の入った包みを両手で持ち、しずしずと門の中へと戻って行く。
その後、途中人とすれ違うのを極力避け、とある場所に向かった。その道は、明らかに秀麗から聞いた邵可の居る府庫とは違う。
しかし、女官はひたすらその道を進んで行く。








そして、目的の場所である人気がない中庭に辿り着いた時――――それは起きた。















バサバサバサッ!!













饅頭の包みを開くと、その中身を全て近くの池に投げ込んだのだった。
続いて、ハラリと地面に落ちた手縫いの風呂敷を憎らしげに踏みつける。











忌々しい小娘がっ!!










先程までの天女の様な表情とは一変。悪鬼の形相で土まみれとなった風呂敷を睨み付けた。
紅家の落ちぶれ者のくせに、これ程までの見事な刺繍をする事も腹立たしい。
挙句の果てには、その風呂敷をビリビリと見る影もなく引き裂く。その一連の行動は正に狂女の如きではあったが、
幸か不幸かそれを目にする者は誰一人としていない。いや、最初から人目に付かない場所を選んだのだ。



「あの小娘……分不相応にも程があるわっ!!あのような不細工な物をあのお方に食べさせようなど……」



女官の口からは留まる事の知らない呪詛じみた言葉が吐かれ続ける。
その目にはギラギラとした鋭い光が宿っていた。



「あのお方は私のものよ!なのに、あのお方を自分の物の様に扱って……」



女官は自分の恋い慕う存在を想い頬を赤らめるが、直ぐにその存在を独り占めにする少女に憎悪を深める。



紅秀麗――自分から、静蘭を奪う憎き少女。憎んでも憎み足りない、忌まわしき娘。



幾ら、紅家の長姫だからといっても、所詮は追い出された身。
彩七家には劣るものの、財力も権威もそこらの貴族とは段違いの家の出であり、自身、後宮の女官達の中でも高位の
女官である自分とは、到底比べ物にならない。なのに、あのお方は自分よりもあの忌々しい小娘ばかりに接し、話しかける。
許せない、憎いっ!!あのお方の関心を独り占めにするあの小娘がっ!!
あのお方には私こそが相応しい。今でこそ落ちぶれた家の家人に身を窶すが、昔は公子一優秀と謡われた第二公子。
あの女、秀麗が忌々しくも貴妃として後宮に来た時から、その守りとしてやって来たあのお方を見てきたのだ。
いや、ずっと前から――第二公子として生きていた時から見てきた。そして一目で分かった。
どれ程の苦境に陥っても、なんら変わる事のない美貌と才。あのお方こそ、自分が望む相手。
そして、この自分を手に入れるに相応しい相手。
元第二公子――清苑であり、現在は紅家の家人―― 茈  静蘭として生きるあのお方。
あのお方の隣に居るのは、この私だ。あの女ではない!!





「手に入れるわ……必ず……どんな手段を使っても!!」





これまで以上に禍々しい声で呟き、女官は増悪を濃くする。
全てを手に入れるのは、自分。最後に笑うのも、自分で有る筈なのだ。











一刻後。池に捨ててしまった饅頭の代わりとして用意された高級饅頭を、あの女の刺繍の風呂敷に良く似た布に包み、
しずしずと府庫への道を行く。あの女に会ったのは、心憎い出来事だったが、それでもあの女の饅頭を届けると言う名目を
得た為、極自然にあのお方に会う事が出来る。それを考えれば、心も自然と浮き上がっていく。




「艶妃」




浮き立つ心に水を差すように、後ろから凛とした声が自分を呼ぶ。
振り向くと、そこには後宮の筆頭女官である珠翠が立っていた。




珠翠様」




「此処に居たのですね。何時までも貴方が帰って来ないと、皆が心配しておりましたよ」


「も、申し訳ございません、珠翠様。実は、休憩中に――」



艶妃は簡潔に先ほどの件について話した。散歩をしていた所、秀麗と出会い饅頭を託された事。
それを届けるべく、今、府庫へと向かっている事。秀麗と言う名に反応した珠翠は暫し思案するが、直ぐに微笑を浮かべた。



「そうでしたか……では、わたくしも一緒いたしましょう」


「え?」


「実は、わたくしも府庫に用があるのです」



そう言うと、珠翠は隣に立ち連立つ様に歩き始めた。艶妃は予想外の事態と、あのお方に会うのに女官長の様に
才色兼備な女性を隣にするのに内心舌打ちするが、仕方がない。此処で断れば怪しまれる。
それに、女官長は噂では別に好きな人が居るという。ならば、あのお方を見ても如何も思わないだろう。
あのお方だって、この様な年上の女性より若い女性の方がいい筈だ。その点では、自分は勝っている。






そうして暫く歩くと、目的地である府庫へと辿り着いた。扉を叩き、返答がなされると、ゆっくりと押し開いていった。
そこには、府庫の主である邵可と主上である劉輝、その側近の楸瑛と絳攸、そして――あのお方、静蘭が居た。
珠翠は別として、思わぬ来訪者である自分に、皆目を丸くしている。
艶妃は自分の持つ一番の笑みを浮かべ、すると、直ぐに府庫の主である邵可が優しく礼の言葉を紡いだ。



「それは、如何も有難うございます。また、此処までの御足労、心痛みいります」



「いいえ、とんでもありません。寧ろ、わたくし、邵可様の御息女である秀麗様と言葉を交わす事が出来て
とても光栄に存じているのですから」



にっこりと笑みを浮かべ、邵可の娘を褒め称える。すると、娘を溺愛する邵可は笑み崩れた。



「貴方の様な方にそこまで褒められるとは、此方こそ光栄ですよ」


「そんな……あ、そうですわ。秀麗様からの託もありましたので、お伝え致します」



その言葉に、周りの視線が集中する。



「頑張るのも良いですが、お体には是非とも気をつけて下さいとの事です」


「そう、ですか……」



娘の託に、邵可は感慨深いものを感じる。
ここ数日は宮城に泊まり通しで夜は寂しい思いをさせていると言うのに……。



「旦那様、もう少ししたら一段落致しますし、たぶん明日には一度、家に帰れると思います」



今直ぐにでも秀麗の元に飛んで帰りたいと言う邵可の気持ちと同じ気持ちを抱く静蘭は、邵可を慰める様に言葉を掛けた。



「そうだね……え~~と、それじゃあ」



邵可は艶妃を見る。名前を呼ぼうとして、そこで自分が艶妃の名を知らない事に気が付いた。
すると、艶妃はにっこりと笑って名乗った。



「わたくしは艶妃と申します。どうぞ、お見知り置きを」


「艶妃殿か……あなたに似合う良い名ですね。それでは、艶妃殿。改めてお礼を言います」


「此方こそ、突然の来訪に快く迎え入れて下さり恐悦至極の次第です。――それではわたくし、仕事がまだ
ございますので、此処で失礼させて頂きます」




優雅に礼をし、艶妃はその場から退出していった。









「珠翠殿、あの女官は?」




今まで何度も後宮に出入りを繰り返していたが、あれほどの美女は不幸にも見た事が無かった。
楸瑛は好奇心丸出しで聞いた。



「艶妃と言う名の高位女官です。才色兼備な上に仕事は非常に優秀、その穏やかで優しい人柄から多くの者達に
慕われています。実は……紅貴妃様付きの女官として最有力候補に挙がっても居た者なのですよ」


「そ、そうだったのか?」



秀麗のくれた饅頭を方張りながら、劉輝は聞いた。



「はい。最終的には香鈴に決まりましたが、わたくしとしては艶妃殿にも紅貴妃様の傍について頂きたいと思った位で……」


「それは本当に優秀なんだね」



「はい。それに、人格者でもあります。香鈴が最終的に貴妃付きとなった時、それはそれは他の女官達が非難したのです。
艶妃殿の方が相応しいと。艶妃殿は、公にはされていませんが、彩七家に次ぐ大貴族の家の出身なのです。ですが、
それにも関わらず、周りの者達に訳隔てなく接していましたから……とても慕われていたのです。ですから、
中には艶妃殿を熱狂的に慕う女官達が香鈴に嫌がらせ等をしたのですが、その際、その者達に艶妃殿は何度も何度も説明し、
説得したのです。自分と香鈴は正々堂々と争い、そして自分は負けたのだと。それは、香鈴殿の努力と才能が自分を
上回ったからであって、そこには何の策もない。香鈴殿を責めるのは筋違いだと。そして、心無い中傷に悲しむ
香鈴に対してもそれは優しい言葉を掛け、慰めたのです」



珠翠から聞かされる艶妃の人柄は、正に天女のようだった。
饅頭を飲み込んだ劉輝が、口を開く。



「ふむ……となると、その者に決めようか」



「主上?」


「実は、華樹付きの女官を誰にするかを決めかねていたのだ。華樹は普通の客人とは違う。出来れば、仕事に優秀なだけではなく、
気遣いにも溢れた者がいいと思っていたが……よし、その者を華樹姫付きにしよう」


「解りました。では、その様に伝えて置きます」


「頼む」



劉輝の言葉に、珠翠は深く頭を下げたのだった。









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