〜第九章〜聖宝大百科〜






「ふむ……結局、仙洞省を脅して言い包めて全てを出させたものの、新しく見付った
有力な書物はこれだけか」



執務机に座る劉輝は、数刻前に楸瑛から渡された一冊の書物に視線を落とし、呟いた。
目の前にある、この2日間の捜索によって仙洞省から発見された、唯一の新情報が記載されている
その書物の名は――『聖宝大百科』。異邦人が与えた聖宝の種類全てが、その実物の姿絵と、それについての
詳しい説明で載っている。加えて、既にその聖宝が壊されているか、または隠されているか、そして何処の州に
隠されているか等の情報も記載されていた。とは言え、より詳しい――州の何処のどの部分に隠されていると言う様な
説明が無い為、はっきり言って聖宝探しについて新たな進展は何ら見受けられなかったが、それでも紫州、
つまり王都に隠されている聖宝がどんな種類の物なのかは解った。勿論、何処に隠されているかの記載も大事だが、
その聖宝が如何いった姿をし、如何いった名前でどんな能力を持っているのかも当然知る必要がある。
でなければ、隠し場所が解ったとしても、その姿が解らず、例え目の前にあっても気が付かない場合が出て来るからだ。





だから――今は、それらが解っただけでも十分に儲け物なのかもしれない。






「それで、主上。この王都に隠されているとされる聖宝はその書物に描かれている中のどれなのですか?
そして、幾つ隠されているのですか?」



楸瑛の質問に、劉輝は一つずつ答えていった。




「まず、王都に隠されている聖宝は全部で5つ。夫々の名は、『光我琺瑯』、『薬鉱季森』、『響影波斬』、『久音睡嵐』、
『大地雷鳴』。その中でも、最強と謡われるのは『光我琺瑯』と呼ばれる聖なる光の力を宿す剣で、これは既に邑一族の
屋敷から略奪された『闇華剣戟』と対になっていると書かれている。ふむ……第一級聖宝である『闇華剣戟』を
抑え付けるには、対であり、同じく第一級聖宝である『光我琺瑯』でもって対抗するしかない様だ」



遥か昔、異邦人から与えられた総数1000個の聖宝。
それらは全て、その能力と力の強さによって、上から第一級、続いて第二級、第三級、第四級、そして一番最後を第五級と、
それぞれに分類されていた。『闇華剣戟』はその中でも最高の第一級に属しており、その事実からしても、既に相手の手中に
あると言う事実は、此方側にとってかなり辛い物であるのは言うまでも無かった。
――だが、実は辛いのはそれだけではなかった。それは、よりにもよって現在残っている聖宝の殆どが、第一級と第二級が
主であるという事だ。特に、8つあるとされる第一級の聖宝は、華樹から聞いた話によれば、『光我琺瑯』以外は
全て奪われている。つまり、王都に残る最後の第一級聖宝である『光我琺瑯』を奪われてしまえば、奴らは殆ど
無敵状態となると言う事だ。そもそも第四級の聖宝一つでさえ、小さな村を一瞬にして消し去る力を持っているのだ。
第一級聖宝が8つ全て奴らの手に渡れば、国は一瞬にして滅んでしまうだろう。
加えて、その他の現在と言うか……既に奴らは無敵じゃないだろうか?




「……弱音は吐きたくないが……辛いな」




王都に隠されている聖宝全てを回収できても、果たして勝てるか如何か……。
今現在、現存しているとされる聖宝は40個。その内の35個を奪われているとして、大雑把に分けて35対5の戦い
――勝ったら奇跡かも……。




「……如何するべきか」




劉輝でなくとも頭を抱えたくなってしまう。



「確かに……完全に此方側が不利な状況だな」



解っている事ではあるが、改めて口にすると気分は垂直降下していく。
本当に如何するべきか……余りにも戦力の差が大き過ぎた。
まず間違いなく、奴らは戦いの際には聖宝を使ってくるだろう。
そうなると、普通の一般兵では太刀打ち出来ない。ならば異能を持つ縹家に支援を頼めばとも思ったが、
幾ら縹家でもそんな町一つ破壊する聖宝の力には勝てないだろう。と言うか、能力の種類が違うだろう、絶対!



彩雲国でも優秀な頭脳を持つ劉輝、楸瑛、そして絳攸でしても、良い打開策は直には浮かばない。









「「「う―――――――――――――ん」」」














コンコン!









扉を叩く音が3人を我に返す。




「誰だ」




劉輝の発した誰何の声に、返って来たのは静蘭の玲瓏な声だった。




「静蘭です。何時ものが符庫に届きましたので、一段落つきましたら御出でください」




途端、劉輝から耳と尻尾が生えた――と、楸瑛と絳攸は思った……つぅ――か、見た。
今までの重苦しい気配は消え、嬉しさと喜び一杯の明るさが部屋を覆い尽くす。
理由を知っているだけに、そしてそれを半ば自分達も心待ちにしていただけに、楸瑛と絳攸は顔を見合わせ、
苦笑した。そして、劉輝に声を掛ける。




「取り敢えず、一休み致しましょう。どうせ今のままでは良い案は出ないでしょうし、まる1ヶ月徹夜したような、
この2日間の徹夜で頭も疲れています。秀麗殿のお饅頭は疲れを取りますしね」




楸瑛の言葉に、劉輝は狂喜乱舞とばかりに部屋を飛び出していった。











コポコポと美しい黄緑色の液体が精緻な造りの湯飲に注がれていく中、劉輝は机の上に置かれた饅頭が山盛りとなった
皿の上から次々と饅頭を取っては頬張っていく。その膨らんだ頬に、ちょっと詰込み過ぎでは、と思うが、それもこれも
愛しい少女の手作り饅頭。まだまだ詰め込み足りないと言うのが劉輝の本音だろう。
程よい甘さのそれは、静蘭が入れてくれたお茶と共に、劉輝の疲れた頭と心を優しく包み込んでは癒してくれる。
その癒しを求めて、更に饅頭を頬張る速さを加速させていく主に、楸瑛と絳攸は半ば呆れの眼差しで見つめた。



「主上、それは幾らなんでも食べ過ぎでは」


「お前、そんな速さで食べていたら窒息するぞ」




ふぐはぐはぐはふはうっ





何やらモゴモゴと劉輝が言うが、はっきり言って何を言っているのか全く解らない――




「そんな事はないそうですよ」




さらりと劉輝の意味不明な言葉を解読した静蘭に、楸瑛と絳攸は一種の神秘を見た。





何故――
訳せる????! !!!





「はぐはくっ!!余と静蘭は以心伝心で?がって居るからな」



ようやく口の中の饅頭を食道へと流し込んだ劉輝は鼻高く宣言した。




「以心伝心……」



いや、それも如何かと思うのだが、此処で突っ込んだ所でややこしくなりそうなので、絳攸は懸命にも口を
閉ざす事にした。変わりに、楸瑛が口を開く。



「……まあ――本当に秀麗殿の饅頭は美味しいですからね」



皿の上に載り、また自らが持つその饅頭は本当に大ぶり且つふっくらとしており、また常に美味しそうな匂いを
漂わせていた。それが、匂いだけではなく中身も伴っている事を楸瑛は知っている。彩雲国中を探しても
これだけの饅頭を作る者は両手の指の数も居ないだろう。一噛みし、何度か咀嚼する。口中に上品な甘さが
広がり、と同時に頭に掛かった深い霧が見る見る内に晴れ渡って行く様な気がした。




「それで、主上。調査の方は如何ですか?」



劉輝の前に座りお茶を飲んでいた邵可が進展を聞く。



「う〜〜ん……まあ、一歩進んで十歩下がったと言うか……」



取合えず、劉輝は現在までに解っている事を説明した。
邵可は黙って聞いていたが、やがて説明が終ると、神妙な面持ちで口を開いた。



「確かに……此方が圧倒的に不利ですね」


「それで、邵可。符庫の方からは新たな書物は見付ったか?」


「残念ながら、全てをひっくり返して探してみましたが、今の所は見付りません」



となると、やはり仙洞省で見つけた『聖宝大百科』が今一番の成果と言う事だ。
――にしても……



「……邵可……その……ずっと言いたかったのだが……これは流石に……」



今現在お茶を飲んでいる机の周りこそ綺麗だが、そこから少し離れれば、正に本の海が広がっていた。
しかも、なぜか幾つも本棚が倒れている。まるで大地震の後の状況の符庫に、劉輝達も来た当初は絶句した。
――と言うか、昨日までは綺麗だった筈だ。……一体どんな捜索を?因みに、静蘭も本来なら今頃は聖宝探しの
機動力として他の数人の兵士達と共に王都を駆け回っている筈だが、邵可がやらかしたこの惨事に、
半ば強制的にお目付け役として居座る事にしたのだ。




静蘭曰く「見ていなければ旦那様が埋まります」




実際に静蘭が此処に様子を見に来た今日の朝、本の海に埋まっていたらしい――いや、埋まっていたので、
その言葉を笑い飛ばせる者は誰一人としていなかった。
本の海に飲み込まれて水死ならぬ本死等と言うアホな死に方の第一人者が邵可だなんて
事になったら、まず間違いなくとんでもない事になるだろう。特に、あの紅尚書がどう出るか?
鎖の解き放たれた狂乱剤を打ち込まれた獅子の如き暴走するのは眼に見えている。





「え〜〜主上、私にもその『聖宝大百科』と言う本を見せて貰えますか?」



机の上に置かれている分厚いその本を指差し、静蘭が言った。
続いて、邵可が自分も、と乗って来る。



「ああ、好きに見てくれ」



劉輝の言葉に、静蘭と邵可は『聖宝大百科』を開き、眼を通していく。
その真剣な眼差しは、正に一字一句見漏らさないという決意が含まれている。




劉輝は湯飲に残ったお茶を飲み干すと、立ち上がった。



「主上?」



邵可が呼びかける。



「時間が惜しい。今こうしている間にも向こうは王都に来ているかもしれぬ。いや、既に入り込んでいるかも
しれぬのだ。一刻も早く聖宝の在り処を突き止めなければ。――茶と饅頭、上手かったぞ」




そう言うと、劉輝は執務室に戻るべく符庫の出口へと歩いていった。
颯爽としながらも、この国を背負っているという責任感と王としての威厳が滲み出るその背に、楸瑛と絳攸は誇らしげに笑う。
着実に王として前に進んでいる、と。




「それでは邵可様、静蘭。私達も失礼します」




軽く一礼すると、楸瑛、そして絳攸は、既に符庫から出て行った劉輝の後を追いかけたのだった。










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