〜第十一章〜適応者〜








「あ、こんにちは、艶妃様」




「これは秀麗様、今日も差し入れですか?」





4日前に初めて出会って以来、饅頭を差し入れる際は毎日の様に会う様になった
女官――艶妃に、秀麗は笑顔を浮かべた。


初めてあったあの日の翌日、何時も饅頭を運んでくれる門番の代わりに、親切にも饅頭を
届けてくれた艶妃にお礼を持ってきた所、丁度門の近くを通った艶妃は優しく声を掛けて
来てくれた。それからは、こうやって饅頭をもってくる度に少々だが世間話の様な物を
する様になった。秀麗は最初は本当に驚いていた。艶妃は本当に気さくで、話から大貴族の
姫君であると解った後も、嫌な顔一つせずに優しく接してくれる。貴族の姫君特有の気品は
あっても、嫌なほどの気位の高さは無く、秀麗はこういった人も居るんだと心から尊敬した。




「はい、今日も帰ってこれないと聞きましたので」




本当なら3日前に一度帰ってくる筈だったが、何やら問題が起きたとかで邵可と静蘭は
未だに家に戻れずに居た。きっと物凄く大変なのだろう。寝る暇もないほどに。だから、
今回は饅頭は饅頭でも中身を餡だけではなく、惣菜やら何やらと色々な種類を作ってきた。
これで少しでも体力をつけて欲しい。



「では、お届けしますよ」


「あ、その、何時もすいません」



あれ以来、自分が来る頃に此処を通ってくれては届けに来てくれる艶妃。
しかも、色々と話を聞いてくれた上に、寂しそうにしているとさり気に慰めてくれる。
秀麗は本当に感謝していた。
家では、蒼麗が何時も一緒に居てくれるが、やはり父や静蘭が
居ない事への寂しさを完全には拭えない。それを、艶妃は優しく拭おうとしてくれる。
本当に……心優しい人。だから、大丈夫。あの家で、邵可と静蘭を待てる。
そして、寂しさに負ける事無く無事を祈れる。







ゴ〜〜ン ゴ〜〜ン







休憩時間終了の鐘が鳴り響く。





「あら、もう休憩時間が終るのですね。それでは、秀麗様。 わたくし、失礼しますね。
また明日、お話しましょう」



「はい、それでは失礼します」













「これは、艶妃殿」




今日は、邵可が奥の方に居るのか、静蘭が出迎えてくれた。艶妃は恋い慕う相手の
出迎えに、正に天にも昇る気持ちであった。一方、すっかり顔見知りとなった艶妃に、
静蘭は丁寧な対応をする。



「秀麗様からの差し入れをお届けに参りました」


「何時も有難うございます」


「いいえ、これを受け取る際に秀麗様とお話するのが今ではわたくしにとっての楽しみと
なっていますので…………――あの、秀麗様、お元気そうでしたよ」



秀麗の話題が出ると、3日前に帰れなかった罪悪感からか顔を曇らせる静蘭に、
艶妃は慰める様に言った。



「それと、お体には十分にお気をつけて下さいと仰ってました」


「そうですか……あの、お手数とは思いますが、明日もしお嬢様にあったら、
3日後には必ず家に帰るとお伝えしてくれませんか?」



「――あ、はい。解りました」



突然の申し出に、静蘭の美貌に心奪われていた艶妃は慌てて返した。
しかし、静蘭の方はこれっぽっちも不振に思わず、快く引き受けてくれた艶妃に
心からの礼を述べる。



「有難うございます、本当に。――後宮でも高位の女官である貴方にこんな事を
頼むのは本当に心苦しいのですが」


「いえ、高位と言っても、私はそこらの女官の方となんら変わりありません。
それどころか、他の方の方がずっと優秀で……それにしても……静蘭様。貴方様は、
本当に秀麗様の事が大事なのですね」



そう告げてから、自分は何を言っているのだろうと艶妃は心の中で舌打ちをした。
静蘭の美貌に見惚れていると、本当に余計な事まで言ってしまう。当然ながらその答えを
聞きたくない艶妃は他の話題に変え様とした。










――しかし……













それよりも早く、艶妃の言葉をそのままに受け取った静蘭が―――――















まるで……………












愛しい者の姿を思い出したかのような










笑みを浮かべた











そして―――――








その形の良い口から、艶妃にとって死んでも聞きたくもない言葉を――発したのだった。














「ええ。――私にとって本当に大切なお方です」









視界が…………一瞬にして暗くなった









その、静蘭の言葉は――――――








鋭い刃となって艶妃の心をズタズタに切り裂いた。








更に、秀麗の事を語る静蘭のその表情が追い討ちをかける。











声が―――――震えなかったのが……本当に凄かった位だ。
何とか、その場を笑顔で辞した艶妃は府庫からの道を暫くしずしずと歩く。
が、途中横道にそれ――――――間も無く、走り出した。









苦しい









苦しくて堪らない









こみ上げる苦しみと悲しみ、そして嗚咽が喉を振るわせる









それだけじゃない










あふれ出る涙が視界を歪ませる










何度も……何度も躓きそうになった









しかし










それでも走り続ける









走って……







走って……








艶妃は心の赴くままに走り続けた









そして―――走った距離の分だけ









心にそれらは募っていく









増悪と言う名の黒い塊











そうして、中庭の片隅――人が滅多に通らないそこに辿り着いたその瞬間――











とうとう、その呪いの言葉は吐かれた










                          「殺してやる―――――――――!」                   





















                           ―――――見つけた―――――    











クククククと、木の枝に座っていたその存在は笑った。
そう、見つけたのだ。この鏡と契約するに相応しい――増悪の持ち主を。










                                  後は   












                               契約させるだけだ   




















―戻る――長編小説メニューへ――続く―