〜第十三章〜静かなる崩壊〜









それは…………少しずつ………………少しずつ侵食していった








狂気と言う名の








悪夢が―――――――
















父と静蘭の二人と離れて暮らす様になって、今日で何日が経過しただろうか?




秀麗は、何時もの様に差し入れする為の饅頭を作りながら、そっと溜息をついた。
既に、静蘭と邵可が宮城に泊り込む様になって3週間弱が経過していた。
そして――その殆どを、静蘭と邵可は此処に戻ってくる事はなかった。
聖宝探しが始まった時から予想していた事とは言え――――やはり、寂しかった。
何時も傍にいてくれた静蘭や邵可の代わりの様に蒼麗が何時も傍にいてくれ、また、
饅頭を届けに行く度に話をする艶妃が優しく慰めてくれるが……それでも……



秀麗の心の中、寂しさと言う名のそれが静に溢れ出していく。









パンッ!!!








空気を切り裂くような音が響いた。


その音は更に続く。




「駄目、そんな後ろ向き思考じゃっ!」



自らの頬を気を入れるように叩き続ける。その音に、蒼麗が慌てて飛んできた。
一心不乱に自らの頬を叩き続ける秀麗に、蒼麗はすぐさま手を頬から外させる。




「何してるんですか、頬が真っ赤ですよ!」



既に少々赤く腫れだしている頬は、実に痛々しかった。



「大丈夫よ。気合いを入れる為にちょっとだけ叩いただけだから」



両手をしっかりと握られた秀麗は笑顔を浮かべ、蒼麗を安心させようとした。





させようとした――――――筈だった。







頬を伝う涙に……秀麗は自分が泣いている事を知った。



「え、あ、何……ごめん、ちょっと目にごみが……」




恥ずかしくなって、秀麗は慌てて誤魔化す。しかし、蒼麗は騙されなかった。



「目にごみなんて入ってません。凄く綺麗です。……秀麗さんは我慢し過ぎなんですよ」



蒼麗はそう言うと、秀麗の腕を放し――勢いよく抱きついた。
突然の行動に、秀麗が目を丸くする中、蒼麗は話し続けていく。



「時には、心を制御しなければならない。でも……何時もそれでは完全に参ってしまいます。
だから……せめて、私の前では心を露にして良いんですよ。愚痴なら幾らでも聞きます。
泣き叫んでも良いです。罵って、喚いて……とにかく、出してください。
今の秀麗さんの心は限界です」




この3週間弱、全く家に戻らず、顔見合わせる事のない邵可と静蘭の身を案じ、また何時も
居る二人が居ない事に大きなストレスを秀麗が感じていたのは知っていた。また、静蘭達と
同じく徹夜や泊り込みを続ける劉輝達や、王宮に身を移した華樹の安否、そして聖宝探しの
進展なども、それを更に増大させている事も。最初は多かった笑顔も、今では殆ど
無くなっていた。気がつけば、何時も溜息をつき、悲しみを称えた顔をしている。
夜も、静蘭と邵可が帰ってくるのでは。今日は4日に一度のご馳走日だから、楸瑛と絳攸が
一息つく為にも沢山の食材を抱えて来訪するのではないか。そんな二人に、劉輝がずるいと
言って忍び込んで来るのではないかと、帰ってこない者達を思い、寝ては起きるを
繰り返しては、寝不足になっている。秀麗の体力もまた、既に精神的なもの以上に
限界に達しようとしていた。




「蒼麗ちゃん、私は――――――」




それなのに、未だに意地を張って頑固に大丈夫だと良い募ろうとする秀麗に、
蒼麗の忍耐がとうとう切れた。速攻で腹部に当身を食らわし、秀麗の気を失わせる。
こうなれば、強制的にでも休息を取って貰わなければ。邵可や静蘭が帰ってきた時、
劉輝達や華樹がやって来た時、頬がこけ骸骨の様になった秀麗が出迎えたら―――
想像するだけで恐ろしかった。






「お願いですから……ゆっくりと休んで下さい」






今まで、多くの者達に愛されてきたのだろう。
だからこそ、何時もいる者達が傍に居なくなると、その寂しさと喪失感はよりいっそう強くなる。
愛しい者達を求め――でも、それは出来ないと、本来の責任感と我慢強さがその望みを
深く沈める。秀麗は典型的なそのタイプ。堅い殻で強くも儚い純粋な心を守っていく。
だからこそ、一度殻が壊されれば、それは無防備となり、ちょっとした事で壊れていく。
今の秀麗は、その殻に少しずつ皹が入り始めている。





如何か――静蘭達が戻って来るまでには何時もの笑顔を取り戻して






蒼麗は願う







自分の腕の中で眠る秀麗に






その顔にまた、満開の花の様な最高の笑顔が戻ってくる事を――――――































ハァ……ハァ……





夜の闇が支配する宮城の庭の一角で、静蘭は激しく己の胸を掻き毟った。




「あ……が……」




続いて、大きく頭を振る。込み上げて来るその思いを、その望みを、その声を強く振り払う様に。
しかし――――それは一向に心から離れる事は無かった。声が聞こえなくなる事は無かった。
まるで、しがみ付く様に、いや、最初から己の一部の様になっている。


それが、静蘭には心の底から嫌だった。




こんな……こんな思い……を……自らが生み出した物など――――――







『したい……殺したい……殺せ………苦しめて悲しめて…あの……憎い女……』







日が経つにつれ、ゆっくりとだが、それでも着実に濃くなって行く黒い憎悪。
愛しいと思う筈の心と摩り替る様に、相手を苦しめ悲しませる事を酷く望む憎悪が、
そして殺意がヒシヒシと己を支配していく。





「嫌だ……嫌……止めろぉ……」





朝は――まだ日が在る内は声も殆ど聞こえず、また冷静で居られる。
けれど夜は…………しかし、それも日を追う毎に深まり、少しずつ日の在る内にも、
憎悪という名の狂気が芽を出してきている。




「違う――――っ!私は……そんな…こと……」




特に、月の光が弱い今は、ふと気を抜けば自分が自分でなくなりそうであった。
静蘭は必死に、自分を押さえつける。












カサ……







落ち葉を踏みつける音に静蘭は後ろを振り返る。流れ行く汗の玉が流れ落ちる。






「あに……上……」





そこには、劉輝が立っていた。片手で頭を抑え、苦しそうに顔を歪めている。



「劉輝……」



「兄上も……同じ…なのですね……楸瑛も、絳攸も……邵可も……皆…」



皆、同じ状況に陥っている……と、劉輝は小さく呟いた。


殺せと己の中にその声は語りかけていく。
また、自分達の中に殺したいと言う思いが生まれ、増長して行く。


一体、何時からこの声が聞こえてきたのかは、もう覚えていない。
そして、その声が誰のものなのか……聞き覚えのある声にも思うが……必死に
抑え付ける今、それを思い出す余裕もないし……そもそも、思い出す事事態が無理だった。
だって……………こんな深い霧に包まれている頭では、正常に物なんて考えられない。




「……お嬢様……」




本当なら、もうとっくの昔に秀麗の元に帰っている筈だった。秀麗の笑顔に出迎えられ、
秀麗手作りの美味しい料理を食べて………………なのに、現実はどうだ!!
今、自分達は秀麗の元に帰るどころか必死に己を保たねばならない。
こんな状態で帰ることなんて、もってのほかだった。本当に――蒼麗が居てくれて
よかったと思う。蒼麗が居てくれるから、秀麗は家に1人ではない。




「お……じょ……」




頭の中に響く声が更に強さを増す。




苦しめろ、苦しめろ、殺せ、殺せ、殺してしまえ――――と!!




怖い。大切な者を苦しませろ、悲しませろ、そして殺せと囁く声が。
そして、その思いが自分の本当の思いなのだと思う事が。何よりもしたくない事を、
自分が本当にしたい事、望む事だと思ってしまう。
それが正しいと、抗う事自体が馬鹿なのだと思ってしまう事が……。


















―――苦しめて……悲しませて……沢山……沢山……そして最後は……











「――――――っ!」






ダンッと、大樹を叩き、痛みで何とか気を持とうとする。
しかし、それも一時凌ぎにしか過ぎない。




「止めてくれ……」




「兄上……」






もう、間もなくそれは起こるだろう。






自分が……自分で無くなり――――







秀麗を殺すと言う最悪な悪夢が―――――























「クスクス……そうよ……貴方様達が殺すんです……貴方達にとって大切で、
私にとっては憎いあの女を……苦しめて、悲しませて、最高の苦しみを与えてから……」




高い塔の上から、悠然と苦しむ静蘭と劉輝を見下ろし、艶妃は怪しく微笑んだ。
既に――術は佳境を迎えている。もう間もなく……静蘭と劉輝――あの女に関わる者達が、
込み上げてくるあの女への殺意と憎悪を自分の意志だと思う事になるだろう。
自分が操られているなんて全く思わず、それが自分の本当の気持ちなのだと。







「クスクスクス…………
アハハハハハハハハハハハハハハハっ!!








抵抗が激しく、以外に時間はかかったが、その分術は深くかかっていく。
相手を強く思うほど、相手を苦しめ、悲しめ、そしてその滅びを望むようになる『愛憎転換』の術。
洗脳の術を元に、自分が作り出した新しい秘術。『鏡華変化』を与えてくれた男は言った。
お前は、特に力がある。選ばれた者の中でも最高だと。






そう……自分は選ばれたのだ。







そこらの者達とは違う至高の存在。だから――人の心を操る事など、何でもないのだ。






「わたくしに見せてください。貴方様達が愛しいものを殺める姿を」






唯、それでも直ぐには殺させない。最高の屈辱と恥辱を与えてからでないと。
自分が与えられたものと同等のもの、いや、それ以上の苦しみを与えてやる。







「それもこれも静蘭様、いえ、清苑公子様。貴方が悪いのですよ……わたくしよりも
秀麗を見ていたから……わたくしよりも秀麗を大切にしているから……」





貴方がわたくしの心をズタボロにし、このような行為に走らせたのだと艶妃は笑った。
その笑みに、悲しみが含まれている事を悟ることなく……。











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