〜第十八章〜戸惑い〜








心を切り替えたせいか、何時も感じる朝日も新鮮なものに思えた。





秀麗は久しぶりに取る事が出来た十分な睡眠によって齎された快適な目覚めを満喫すると、
急いで着替えをする。昨日は蒼麗に沢山お世話になった。料理も掃除も洗濯も、全て
彼女一人にさせてしまった。いや、数日前から殆どそんな感じが続いていた。
しかし、今日からは違う。今までお世話になった分、蒼麗を楽にさせるつもりだ。
秀麗は、帯をギュッと締めると、決意を胸に元気よく室を出たのだった―――――











「お早うございます」



笑顔で迎えてくれた蒼麗。しかし、秀麗は室の入り口で崩れ落ちた。






――――朝食の用意……………………全部整ってる






食卓には、美味しそうな料理が載っていた。よくよく見れば、洗い物も全て片付いており、
塵の仕分けも全てなされている。心なしか、室全体が綺麗になっている気も……。



「蒼麗ちゃん……」



「おはようございます、秀麗さん。ちょうど今準備が整ったんですよ」


「いや、そうじゃなくて……用意しちゃったのね……」


「え?」



「今までお世話になったから、今日からは私がやろうと思ってたのにぃぃぃぃぃぃぃ」



申し訳なさ一杯の秀麗は両手で顔を覆い大いに嘆いた。
私って、私って、私って!!こんな幼い少女に沢山仕事をさせて自分は
今まで安眠を貪っていたなんてぇぇ!情けなくて先祖に顔向けが出来ないわ!!



「あの、その、慣れてますから大丈夫ですし……私がしたくてしてるんですから」



蒼麗が駆け寄ってきて嘆き捲る秀麗を優しく慰めた。
その気遣いがまた……。



「ごめん、本当にごめんなさい!強引に此処に居候させているって言うのに……
こんなんじゃ、家事をして貰うために居候させてしまった様な物だわぁ!」


「え、あの、秀麗さん、そんな事ありませんよ。本当に、私が自分で好きだからやってるんです。
私、実は一人暮らしが長くてこういう家事は毎日やっていたんです。だから、全然苦に
なりません。それに……こうして私の料理を食べて下さる人が居るのって、
今まで殆どなくて……だから、嬉しいんです。だって、秀麗さん、本当に美味しそうに
食べてくれますから」



秀麗は深い感銘を受けた。



「蒼麗ちゃん……ふぇ〜〜ん、ありがとう!本当に蒼麗ちゃんはいい子だわ!!」



しっかりしていて、優しくて、家事も万能で―――――自分が男ならば、
お嫁さんに欲しい位だ。いや、妹に欲しい!!



「蒼麗ちゃんの事、大好きよ」


「嬉しいです。私も秀麗さんの事、大好きですvv」



その言葉に、秀麗は蒼麗に抱きついた。本当に、いい子である。











「え?!あの、今日も静蘭さん達に会いに行くんですか?」



たった今秀麗から齎された言葉に、蒼麗は料理をつつく手を止め、驚きの声を上げた。



「で、でも、昨日の今日で……それに、秀麗さんの体調が」


「体調の方はもう平気」



と言うか、元々具合が悪かった訳ではない。



「その、如何しても話したい事があって……昨日、ほら、途中で帰っちゃったから」


「そうですか……でも、流石に昨日の今日は……一応、王宮は一般人立ち入り
禁止ですし……」



昨日、霄太師を脅して通行許可証をもぎ取り、戸惑う秀麗をつれて堂々と中に入るという
驚くべき行為に走った蒼麗ではあったが、それでも王宮に一般人が勝手に入る事に
関しての常識は当然ながらあった。唯、それでも秀麗の様子を見ていて、如何しても一度、
静蘭達に会わせたかったのだ。しかし、忍び込む、または無許可で入る事は出来ない。
だから、昨日は霄太師から通行許可証をもぎ取ったが、だからと言って、それをそうそう
乱用する訳には行かない。出来るならば、昨日の一回きりで終る筈だった。
自分達は一般人。特に、聖宝探しでピリピリしている王宮にそうそう入り込むのは、
通常時よりも迷惑が掛かる。例え、通行許可証を持っていても、だ。そして、そんな思いを
知っていたからこそ、霄太師も自分達に木簡をくれたのだ。しかし――秀麗の何かを
決意した様な眼差しの前に「行くな」とは、 蒼麗には如何しても言えなかった。






だから―――――








「――私は、今日は一緒には行けませんよ」



「うん、解ってるわ。賃仕事があるものね」


「一人で大丈夫ですか?」


「ええ」


「解りました。昨日貰った霄太師の木簡の効力は1週間あります。だから、あれを
門番の方にお見せしたら一発で通れる筈です」



秀麗の真直ぐな眼差しに、蒼麗は通行許可証である木簡を渡す事に決めた。
昨日、秀麗の室に転がっていたのを、もう使わないだろうと霄太師に返す為に己の道具箱に
保管していたのだ。椅子から立ち上がり、道具箱のある部屋に向かう。そして、戻ってくると、
取ってきた木簡を秀麗に手渡したのだった。



「ありがとう」



「一応、気をつけて下さいね」


「解ってるわ」



木簡を持っていても、自分が一般人である事には変わりない。
蒼麗の言うとおり、十分に気をつけなければ。











「行ってきます〜〜」



元気よく門を出て行く秀麗を、蒼麗は随分元気になってくれたと思いながら見守った。
数日前までは、静蘭と邵可が居ない寂しさで体調を崩しかけていたが――今日は、
その影は殆どなかった。昨日体調を悪くしたのが心配だったが、この分では大丈夫だろう。
秀麗の後姿が見えなくなると、蒼麗は邸へと戻る。賃仕事の前に、部屋の片付けするのだ。
秀麗には言っていなかったが、蒼麗は使っていない部屋を一部屋ずつ掃除し、
修繕していた。素性もあやふやな自分を快く受け入れてくれた秀麗達に、
少しでも恩を返したかったから。秀麗が聞けば、もう十分だというだろう。
けれど、自分が此処を去るまで、少しでも何かしたいのだ。






「あれ?」




蒼麗は、掃除する部屋に向かう途中、洗った食器が乾いたかどうか確認しようと立ち寄った
台所で、あるものを見つけた。それは、まな板に乗った折り畳まれた紙。何かと思い、
近付き手にとって見る。先ほどまでは確かにこんな物はなかった筈だ。
蒼麗は、訝しげに紙を開いていった。










「――――――――――――っ?!」








蒼麗の目が、大きく見開かれる。深く息を呑んだ。






紙には、流れる様に書かれたであろう達筆な字で、数行に渡って文が書かれていた。
それも――――自分に充てて。最後に、書かれた書き手の名。しかし、それがなくても、
この達筆な字が誰の物なのか、蒼麗には痛いほど解った。たぶん……自分が秀麗を
見送る間に、あの者達は此処に来て、この手紙を置いたのだろう。
だが、今問題なのは、手紙が置かれた事や、書き手が如何こうと言う問題ではなく――
この文の内容だった。




「……私……は……」




その手紙の内容に従う事は――――直ぐには出来そうにもなかった。













昨日は蒼麗に連れて来られた此処に、今、自分の意思でやってきていた。
宮城の門を見上げ――秀麗は大きく息を吸った。この奥に、静蘭達が――3週間前とは
別人の様に変ってしまった静蘭達がいる。もしかしたら、昨日と同じように泣いて此処を
出て行くかもしれない。でも……もし、静蘭達の変貌に何か理由があるとするならば、
如何にかして元に戻さなければ。それまでは、自分は此処から出ない。昨日の決意を
改めて胸に秘め――秀麗は、持って来た木簡を門番に見せたのだった。



木簡の効果により、門番達は咎める事も、止める事もなく秀麗を通すべく門を開いていく。









――賽は投げられた――




























『どうして……私……何か…気に障る事……したかな……』




涙を溢れさせ、そう呟く少女。
自分にとっては―――――昔から憎かった存在。






ズキンッ!






「ぐっ!」



激しい頭痛が頭を襲った。
まただ。あの少女を憎いと思うと、こうして激しい頭痛が起きる。特に、昨日、少女と対面し、
その身勝手な行動に今までの憎しみも交えてぶつけ続けた間――ずっと、頭痛が
襲い続けた。まるで……抵抗するように、まるでそんな自分を戒めるように。何故?
いや、それどころか、何に抵抗をしようとするのか?如何して戒めようとするのか?
だって、あの女は憎い存在だ。ずっと昔から。みんな憎んでいる。
今年ようやく会えた生き別れの弟も、自分を拾って育ててくれた旦那様も、将軍も吏侍郎も、
いや、全ての者達が。なのに、この頭痛はあの女を憎み、そして傷つける間ずっと
襲い続ける。忌々しい事この上なかった。そして、何よりも少女と対面した後、何度も
浮かぶ少女の傷ついた姿、泣き顔、嗚咽交じりの声が疎ましかった!!
少女の声が、傷ついた姿が、泣き顔が蘇る度に、自分は言い様のないもどかしさに包まれる。
本来なら喜ぶべき事なのに!!そして、自分は苦しむのだ。いや、弟や旦那様、
将軍達も苦しんでいる。自分と同じ様に、あの少女が脳裏に浮かび、憎む毎に激しい頭痛や
嘔吐等が襲っているのだから。








憎い







憎い







憎いっ!!









あの女が、自分を、皆を苦しめるあの女が憎い









静蘭の中で大きく膨らんだ増悪が終に殻を破り、新たなる感情を生み出す。
そして、その感情のままに―――その呪いの言葉を吐いていった。






「あの女を―――――――」















―――――私は殺したい











その瞬間、それまで以上の頭痛が静蘭を襲う。
余りの激痛に悲鳴を上げ、静蘭は座っていた自身の寝台から転がり落ち、床に転がった。
苦痛の声を上げるが、頭痛は治まらない。





「くそっ……一体何故……」








さない……








「――――――?!」









させない……
様を……殺させは……










――まただ!!







頭の中に響いてくる――自身の声。それは、本当に弱弱しく今にも消えそうだったが、
静蘭にはしっかりと聞えた。あの時と――昨日、秀麗と対面した時と同じ様に。
対面し、増悪をぶつける間中、歓喜する気持ちを萎えさせ罪悪感を植えつけようと
起こる頭痛と共に、頭に響き続けた自分の物と同じ声。収まったと思ったのに!!



なのに再び聞えてきた声に、静蘭は予想を裏切られ、動揺を露にする。
その間にも、声は自分を咎めるように響き続ける。







「何故……私は、あの女を苦しめたい筈だ。あの女が憎い筈だ。苦しめて、悲しめて……
そして……殺したい…筈だ―――――がっっっ
ああ
ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!










更なる頭痛に、限界を超えた静蘭の意識は、終に途切れた。静蘭は、気が付かなかった。
聞えてきた声。それこそが、艶妃の術によって支配されていく自身の精神が、寸前で
切り離し心の奥底に沈めた最後の理性なのだと。それが今も必死に抵抗し続けているから
こそ、あの時秀麗を殺さないでいられたのだと。そして今現在も殺しに行かないでいられる
のだと。そして、その声が言った言葉こそ、自分の本当の思いなのだと―――。
精神を深く支配された静蘭には、気が付く事は出来なかった。










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