〜第十九章〜二度目の対面〜








キュッキュッキュッゥ――――――――――――!






「ふっ、完璧」




そう自画自賛した瞬間――








ガシッ 







ポイッ!!








目にも留まらぬ速さで奪われたそれは、綺麗な放物線ではなく、地面に叩き付けられる様にして
放り投げられていった。ほどなく、ガシャン!!と言う破壊音が響き渡る。






ああ、俺が創作した代物が…………て……







「何するんだよっ!」



艶やかな緑の髪を振り乱し、その誰しもが息を呑む程の秀麗な美貌を怒りに歪ませた
10代後半と思わしき外見を持つ青年は、自身の後方に現れた馴染みの人物を振り返り、
腹の底から怒鳴った。自分の最高傑作になんて事をしてくれるっ!!
しかし――相手の対応は実に冷ややかだった。




「何もかにもないでしょう――緑翠」




音も無く現れ暴挙に出た20代前半ほどの青年は、自身の青みがかった銀の髪を
素早く手で纏め上げながら、穏やかな口調に棘を含ませ言い放つ。
加えて、その緑翠と呼んだ青年に負けず劣らずの麗しき美貌にも、何処か険を含ませていた。
それを一目見た瞬間、緑翠は怒鳴るのを止めた。だって、これはもう疑いようも無く――





(うっわ……機嫌、最不調!!)





緑翠は自分よりも年上の同僚の機嫌の悪さに、思わず此処からの逃亡を企てたくなった。
しかし、此処で逃げれば男が廃る。



「……ぎ、銀河……」



青みがかった銀の髪を器用に首元で纏めて髪紐を結んでいく同僚に、緑翠は
恐る恐る声を掛けた。



「何でしょう?」


「もしかして……めっちゃくちゃ……機嫌、悪い……ですよね」


「私が今最高な気分に見えるのでしたら――末期はもう近いでしょうね」





末期?!末期って一体何?!





普通の神経を持つ者ならば、まず間違いなく凍死するほどの冷やかな声色で
とんでもない発言をしてくれる銀河に、緑翠はダラダラと冷や汗を流した。
本来なら、人の心の癒しに成るだろう優しげな風貌も丁寧な口調や振る舞いも今は、
恐怖をそそる物でしかない。い、一体何故こんなにも機嫌が悪いっ?!




「ぎ、銀河さん……その、一体何が……」




それでも、緑翠は勇気を振り絞って質問した。
子供の頃からの付き合いで――将来は自分の義理の兄となる銀河。
此処で普通に逃げたら、まず自分は落第者の烙印を押され――聖との婚約を
破棄させられる。それだけは絶対に嫌だ。




「何が?……別に何も無いですよ……あのお方が拒否した事以外」







「――――は?」






銀河は懐から自然な動作で一枚の紙を取り出し緑翠に渡した。
そこに書かれていたのは――




























苦しめて……悲しませて……あの女は敵……憎むべき……





また、声が響いてきた。自分を包み込むように雄大で……優しさに満ちた声。
その声は、自分を浮遊感に包み込み、霧の中を泳がせる。現実とも夢とも区別の付かない
空間を彷徨わせる。しかし……それが、今の劉輝にとっては心地がよかった。
劉輝は、執務机で書き物をしながら、その声を聞いた。顔を上げると、楸瑛と絳攸も
それぞれ書類から顔を上げている。その様子から、二人も声を聞いているのだろう。
何故なら、自分達3人はあの女が憎いから。いや、自分達だけではない。
この前ようやく再会した兄も、邵可も、皆秀麗が憎くてたまらない。憎くて、だから苦しませて、
悲しませて……この手で殺したい。


劉輝は筆を置き、自分の両手を見詰めながら、聞える声が語るように、
秀麗を殺す甘美なる望みを思い描いた。


その瞬間、激しい頭痛と嘔吐が襲う。





「――――――っはっ!」





両手で口を押さえた。暫く咳き込むと吐き気は収まりを見せたが、今度は脳裏に先ほどの
声とは違うあの忌々しい方の声が響いてきた。それは今までにも何度か聞えてきた、
今にも消え入りそうなもの。しかし、やはり今までと同じ様に、その声が伝える内容は、
今度もまた劉輝の耳にしっかりとこびり付く。






ヤメロ……やめろ……ユルサナイ……傷つけるな……






その声は――自分の声色と全く同じ物だった。
いや、まるで自分の中にもう一人の自分が居て、その自分が喋っているようであった。
しかし、どちらにしろ、それが忌々しい事この上ないと言う事には変わりはない。
あの、自分の気持ちを尊重してくれる声とは違う。殺したいと思う気持ちを増長させて
くれるものとは違う。自分の思いを、強引に押さえつけようとする忌々しいもう一人の自分の声。





「うる…さい……」





その声は、気を抜けばどんどん大きくなる。そして、自分に言うのだ。
今のお前は間違っている、と。自分の思いを全て否定し、忌まわしき考えを植えつけようとする。






――今までと同じ様に







「余は……余は……」





オマえは間違ってイル……ヨの本当のオモイは……





「止めろ……ヤメロ……」






マチガッテイル……知っている筈だ……余のホントウの……苦しませて…
殺すの……それが貴方の……








劉輝は歓喜した。また、あの声が聞こえてくる。
自分を包み込み、神経を支配するような、けれど何とも言えず心地のよい声。
秀麗を憎む自分を応援するように、後押しするように語り掛けてきてくれる。
戸惑い、立ち止まる自分の手を引き、本懐を遂げさせる力を与えてくれる。
そうして再び、霧の中に意識は包まれる。もう一人の自分らしき声が
聞こえていた時のもどかしさの入り混じる不快感は、綺麗に消えていた。








そう、消えた筈だったのに―――――――




















「主上、お会いしたいと申します者が」














官吏と共に現れた人物が自身の瞳に写った時、再びその声は聞こえだした。
今までも何度も聞えてきた声が――ついさっきも聞えてきた声が――そして昨日、
その人物を攻撃する間、必死に、自分から少女を少しでも遠ざけろと警告し続けた
もう一人の自分の声が――急速に力を取り戻していく。


劉輝はそんな忌むべき声に力を持たせる原因ともなるべき少女を睨み付けた。






「また来たのか……」









紅 秀麗






自分達が憎むべき少女








そして


















苦しませて悲しませた挙句、最も殺したいと願う相手






































同時刻。「ちょっとちょっと奥さん」ならぬ――





「黄葉、聞いとくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」





「絶対に嫌だ」




貴陽でも名医と名高い医師――葉医師は、昔馴染みの姿を認めると、即座に扉を閉めた。
ドンドンと物凄い勢いで扉が叩かれるが、断固無視。自分の貴重な時間をこんなジジイに
費やして溜まるか、と自分もジジイなのを棚に上げ捲り、居留守を決め込む。
――が、そう甘くは行かない。




「ちょっとでいいから、聞けぃ!」




何時の間にか目の前に立っている昔馴染み――霄太師に、葉医師の額に
青筋が軽く10数個は浮かんだ。このジジィ!!



「このっ!住居不法侵入だぞ、貴様っ!」


「ふんっ、これが住居じゃと?こんな犬小屋が?!」


「貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!わしの楽園になんて暴言を!!」


「何が楽園じゃ!正真正銘の楽園が聞いたら滂沱の涙を流すわ!!」



そんなこんなで二刻は軽く言い合いをする二人。
しかし、それは余りにも激しすぎた。加えて止める者が居なかったのも敗因の一つだろう。
結果、それが終った時、二人は見事に床に倒れた。そして体力回復に努める事となる。





先に口を開いたのは、黄葉だった。




「で、一体何があったんだ」


「なんと、蒼麗が来たんだ」


蒼麗?黄葉は自分の記憶の糸を手繰り寄せ――間も無く、顔に笑みを浮かべた。
それはそれは優しい笑みだった。


「ほぉ〜〜、そりゃあ久しぶりだ。大きくなっただろう」


「まあな。とは言え、まだまだ子供だ」


「確かにな。で、一体何故此処に来たんだ」


「何でも……許婚に懸想した女人に家に押し込まれ、刃物を振り回されたそうだ。
それで、逃げてきたらしい」


「なんてデンジャラスな生活を送っとるんだ」


「いや、それは本人が悪いわけじゃないだろう」


寧ろ、放置した許婚が問題だ。


「それで、蒼麗は何処に居るんだ」


自分にとっては可愛い妹のような存在。これは一度会いに行かなければ。


「紅家に滞在しとる。ほら――黒狼の所だ」


「妥当な場所だな。――勿論、知らないのだろう?」


「当たり前だ」


「それにしても……お前はあまり嬉しそうじゃないな」


「ふん、わしは子供が嫌いなんじゃ」


プイッと横を向く霄太師だったが、黄葉は騙されなかった。


「何を言っている。子供が嫌いなのが、蒼麗蒼麗と可愛がっているものか」


この男もまた、蒼麗を可愛がっていた。誰よりも温厚で優しく、純真な心を持ちながらも、
誰よりも強い意志と心を持った少女を、紫霄は大切にしていた。


「まあ……確かにあの悲劇はな」


「そうじゃ!あれはわしのせいじゃないっ!」




蒼麗の服の中に顔を突っ込んだのは、明らかに偶然の産物だ。
しかし――




「偶然で許されるのは、二回までだ、紫霄」



流石に五回はやばいだろう。偶然どころか――ワザとと思われても仕方がない。



「うぅ……」


「でも、まあ蒼麗もそこの所は解っていると思うぞ。でなければ……お前が高熱を出したあの時、
わざわざ危険な森に入って薬草を取って来たりはしないからな」


「は?」


「お前、知らなかったのか?」


お前が助かったのは、蒼麗のお陰だぞ、と言う黄葉に、霄太師は呆然とする。
あの蒼麗が、自分の為に?




「紫霄、笑み崩れている」


「ふ、ふんっ!そんなことないわ!!」


「ま、お前が思うほど嫌われてないさ。と言うか、あの少女が嫌いなのは――あの一族位だろう」


霄太師の顔が真顔になる。


「まあ……な」


「で、あれが高楼から動かされたが……一体如何した」


その言葉に、霄太師は不敵な笑みを浮かべる。やはり――この男も変わらない。


「今日はその件についても話そうと思って来たのじゃ。長い話になる。酒を持って来た。
だから、お前は茶菓子でも出せ」


「やれやれ、注文の多いジジイじゃわい」




いそいそと自分の席を確保する霄太師に、黄葉は肩をすくめ、茶菓子を用意するべく
室の奥へと消えていったのだった。












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