〜第二章〜楽しい夕食〜





「え〜〜と、さっきは色々とあって名前とか聞いてなかったわね」



あの後、程なくして一家の主である邵可も帰り、腕を振るった秀麗の料理が大量に並べられ、さあ夕食となった今、
秀麗はそんな事を言った。その言葉に、楸瑛達が一瞬ではあったが、唖然とした表情を浮かべた。



「も、もしかして名前とか聞いてなかったのかい?」


「はい。お医者様に見て貰ったりと色々と忙しくって」



聞くのを完全に忘れてしまったと、秀麗は照れた様に笑う。



「私の名は秀麗。紅 秀麗よ」



それに続いて、他の者達も名を名乗っていく。最後に、少女が自分の名を名乗った。



「清 蒼麗と言います。この度は行き倒れていた所を助けて頂き、本当に有難うございます。その上、医師にも診せて頂き、
こうして夕食まで振舞って下さり、感謝しても仕切れないほどです。必ずや、この恩はお返しさせて頂きたく存じます」



流暢に、心地の良い声色で紡ぎ終えると、蒼麗と名乗った少女は椅子から立ち上がり、淑女の礼に則って優雅に
頭を垂れる。その見事なまでの口上と礼儀作法に、秀麗はおろか、他の者達も思わず目を見張る。
そして、ふと、気づく。少女から、先ほどまでは感じられなかった気品が感じられるのを。
加えて、今の口上から教養の高さも窺い知れる。もしかしたら、蒼麗は良い所の姫君なのかもしれない。




――いや、となると何故ボロボロの形でこんなボロ邸に行き倒れに?




――謎はますます深まって行く。
そして、それを解き明かすべく、秀麗は口を開いた。



「ねぇ、蒼麗ちゃんは何故うちの門の前で倒れていたの?……あ、その、話したくないのなら話さなくて良いからね!!」



疑問を待ちながらも、それでも蒼麗を想いやる心からの言葉に、静蘭達は優しく笑った。
蒼麗も、そんな秀麗の言葉に優しい笑みを浮かべ、とんでもないと言う様に口を開いていった。



「え〜〜私が倒れていたのは……あ、口調、元に戻しますね」


「え、あ、うん……戻す?」



秀麗は蒼麗の言った言葉に、首を傾げる。



「はい。えっと、実はさっきの口上は所謂余所行きなんです。普段はもっと砕けた今の様な感じで話してて、
だから、あまり長い間話していると疲れて……」



そう言うと、蒼麗は困った様に笑った。
どうやら蒼麗は外と内、二つの言葉遣いを上手く使い分けている様だ。
しかし、秀麗は此方の方が先程よりもずっと好感が持てる気がした。勿論、さっきの口上の口調も良かったが、
あちらは何か、壁みたいな物を感じたから。けれど、今の口調で話す蒼麗にそれは全く感じられない。また、
砕けた口調に戻った際に、沸き立つ様な気品は消え、何処からどう見ても何処にでも居る様な町娘の感じになっている。
口調一つで此処まで変わるのか。いや、自分とて、目上の者や特別な客の時は、母に鍛え抜かれた礼儀作法で
もって口調も仕草も変えていく。それを考えれば、そう不思議な事でもない、秀麗はそう結論付ける。



「それで、此方の門の前で倒れていた理由なんですが……」



蒼麗はゆっくりとその理由を語り出した。



「実は……とある人に何故か逆恨みされて、家から叩き出されたんです」


「え?!」



蒼麗の思っても見ない発言に、秀麗は目を見開く。家から叩き出された?
しかも、逆恨みが原因で?



「い、一体何でそんな事が……ってか、そのある人って一体誰?!」


「貴族の姫君です」



蒼麗はさらりと言った。



「き、貴族のって……な、何したの?!」



そんな貴族に恨まれる何をこの少女はしたのか?



「所謂痴情の縺れですね。あ、但しその原因を作ったのは、私ではなく、私の許婚です」






「「「「「「「「「許婚?!」」」」」」」」」






驚きを含んだ秀麗達の声が辺りに木霊する。




「い、許婚……居るの?」



「まあ、居ます。と言っても、私が小さい頃に親同士が決めたもので、今では名ばかりの物となっていますが」


「……そう、小さい頃に………しかも親同士………やっぱり良い家の出なのね、蒼麗ちゃんって」



全てではないが、大抵そういう風に親同士等、本人の意志よりも家等別の政略的な事で結婚が決まるのは良家――
例えば、庶民の中でも裕福な家か、または支配階級の貴族達等だ。特に貴族達に至っては愛し合った結果ではなく、
尊い血を少しでも強く残すべく、また尊い血を入れ、家を更に繁栄させる為だけの結婚が常識であり、当然ながら
そこには家同士の思惑が最優先され、本人達の意志は含まれない。例え、お互いに別の相手が好きでも、
駆け落ちでもしない限り、その相手と結ばれる事は無いのだ。そして、秀麗ももし父が本家から追い出されなければ、
まず間違いなく自分は家の為の結婚を強いられていただろう。周りの者達の思惑によって……。



「もしかして……蒼麗ちゃんの家って貴族?」



幼い頃に親同士で決められた許婚の存在はもとより、あの立ち振る舞いを考えれば、その回答が妥当である。
と言うか、秀麗は十中八九そうだと、あの立ち振る舞いの完璧さを見た時から思っていた。
しかし、蒼麗はブンブンと言う音がなる位に首を横にふった。



「いいえ、別に普通の家です。ただ、少しばかり他よりは恵まれている位で」


「じゃあ、商売とかで儲かった家とか」


「それも違います。本当に極々普通の家です」



蒼麗は言い張った。
と言うか、蒼麗としては自分の家は普通だと思っていたからである。
もし、此処で蒼麗を知る者がいれば即座に否定しただろうが、悲しいかな。
此処に居るのは、つい数刻前に出会ったものばかり。当然、誰一人として強く否定するものは居ない。



「けど、強いて言うならば……お金には不自由はしていないと思います」


「羨ましいわ」



何気ない秀麗の一言。けれど、それは静蘭及び邵可の心を激しく抉った。
特に邵可に言っては、愛娘に何度言われようとも、符庫に到着した途端、本の世界へトリップする癖のせいで、
本来貰える分の禄の何分の一しか現在貰っていない状況を未だに打破していなかった。激しく痛む心を胸に、
邵可は明日にでも黄尚書の元に直訴に行って来ようかと半ば決意する。が、所詮、予定は未定。
たぶん、明日もまた本の世界にトリップして忘れて帰ってくるだろう。しかし、そこまで解っていても、
今此処で書状をしたためて黄尚書に送るという考えが出ない、いや、出ても実行しない所は正に邵可なのだと言えよう。



「でも、私は絶対に蒼麗ちゃんは良い家の出だと思うんだけどなぁ」


「そんな……と言うか、私よりも秀麗さんの方がよっぽど良い家の出では?えっと、確か秀麗さんの苗字は
紅氏でしたよね。この国で紅氏を名乗れるのは、七大貴族である紅氏の一族だけ」



「まあ……ね」



しかも、自分はその紅家の直系の姫。……たぶん、言っても信じてはくれないだろう。
加えて、自分にとってもそれはあまり関係ないので特に言うつもりも無い。



「それで話は脱線したけれど、蒼麗ちゃんが追い出された原因である痴情のもつれにその許婚はどう関わっているの?」



秀麗の質問に、蒼麗は暫し沈黙し、ダラダラと冷や汗を流す。



「え、えっと……その」


「言いたくないのなら、無理しなくていいんだよ」



邵可が優しく言う。



「いえ、御迷惑をおかけしてしまったんで、事情の説明をする事は当然のことです。けど……理由が
余りにも馬鹿馬鹿しくって……」


「馬鹿馬鹿しくても理由には違いないだろ」



絳攸の言葉に、蒼麗は一瞬目を見開く。
だが、間も無く「そうですね……」と、小さく呟き、意を決する様に話し出した。



「実は……私を叩き出したその貴族の女性は、前前から私の許婚に恋情を抱いていたんです」


「つまり、俗に言う三角関係というものだね」



楸瑛の言葉に、蒼麗は頷いた。



「といっても、綺麗な三角にはなりませんでしたが。どうやら、その貴族の姫君は私の許婚の好みの相手ではないらしくって」


「まあ、人には色々な好みがあるから……と言うより、許婚が居るのに誘いは受けないんじゃないかしら」



いや、許婚が居ても裏で色々遊んでいる者は居る。
しかし、秀麗の純真さを思いやる静蘭達は口が裂けてもそんな事は言わない。



「まあ、それが普通ですね。但し、あの許婚に関する限りは、私に配慮したのか、それとも相手が好みじゃないから
だったのかは解りません。が、聞いた話では初対面で一目ぼれされて、その貴族の姫から告白された次の瞬間には、
「次俺に近づいたらぶっ殺す」と吐き捨てたそうです」



嫌い所の問題ではない、と誰しもが思った。それは、軽く嫌いのレベルを超えている。



「そ、その貴族の女性って……もしかして、あまり綺麗じゃないとか」



秀麗は一応質問してみた。



「いいえ、妖艶な感じの華やかな美人です。しかも胸も大きくて、豊満な肢体を持ち、歌舞音曲にも優れているとか」


「え?そうなの?なら、誘惑されても可笑しくは無いわね。隣のおばさんの話では、男の人って、胸が大きくて豊満
な体つきしていて、ついでに美人な人を多く好むって聞いてるし。しかも、貴族の姫君なら……蒼麗ちゃんの許婚の
人の身分は知らないから断言できないけど、もし庶民なら玉の輿じゃない」



熱意溢れる秀麗の言葉。しかし、その裏では静蘭達が隣のおばさんに対し、
殺意までは抱かないものの、何て事を吹き込んでくれたと怒り心頭だった。



「そうですね……でも、あの許婚は美人なんて見飽きてるだろうし。何せ、母親をはじめ、妹や周りの女性は
みんな色とりどりの美人。ちょっとやそこらの美女では動きませんね」


「へぇ〜〜、そうなんだ。審美眼が鋭過ぎるのも考え様によっては問題ね」



うんうん、と何かを悟った老人の如く秀麗は頷いたのだった。
――しかし、秀麗も美形の静蘭を見て育ってきた為にかなりの審美眼を有している。
そして、それは後宮に入って以来、次々と目の前に現れる中身とはともかく多種多様様々な美形を見続けている為、
今も素晴らしいスピードで上がり続けていたりする。唯、秀麗自身はそれに気が付いていない。



「けど……その貴族の姫君もそんな風にフラれてしまったのならば、きっととても怒ったわよね。
という事は、それが原因で?」



元々、貴族の姫君と言うのは昔から傅かれる生活のせいか、気位の高さは天下一だ。
まあ、中には気位はそんなに高くないと言う姫君(秀麗とか)もいるが、そんなのは少数派。
普通の人でさえ、そんな振られ方をされれば怒るのに貴族の姫君ならば尚の事、矜持を傷つけられたと
恨み憎悪を募らせるだろう。


「え〜〜いいえ。その時は他の人が取成して事無きを得たんですが、その貴族の姫君は欲しいものは絶対に手に入れる。
何が何でも手に入れる。どんな手段を用いても手に入れるが信条の、我侭自己中、高ビーな方らしくって……その為、
その信条どおり色々な手を使って許婚に猛アタックをかけたみたいです。結果は……全て退けられたらしいですが」


「それは……凄いね」


「ええ。けれど、そんな感じだったからこそ、その貴族の姫君は痺れを切らしたんでしょうね。殆ど名ばかりの許婚の
私の事を知るや否や、突然家に押しかけてきて「あの人は私のものよ。私があの人の花嫁になるの。貴方になんて渡さない。
貴方なんて死んでしまえばいいのよっ!!」という叫びと共に、包丁を振り回してきて、しかも配下にも武装させて
攻撃してくるし…… まあ、家に私一人だったお陰で、取る物を取るや否やで逃げ出す事は出来たんですけど……」



具体的な説明だった為、その修羅場が容易に想像できてしまった秀麗達は、乾いた笑いと共に、箸を取り落とす。



「そんなわけで何とか命からがら逃げ延びて、逃げ続け、気が付いたら王都に入ってて、後はもうフラフラフラと……」



この屋敷の前に倒れた、そう締めくくった蒼麗に、秀麗達は蒼麗の身の上に同情した。



「けど……それほど――許婚である貴方を殺してまで手に入れたいとは、よほど蒼麗殿の許婚の君は素晴らしく
魅力溢れる方なんだね。一体どういう人なんだい?」



楸瑛は面白そうに聞いた。
――が、
ビキンッというその場の空気が凍りつく音が辺りに響き渡る。続いて吹き荒ぶ巨大ブリザード。
そんな過酷な状況で、蒼麗はうふふふふふと言う奇妙な笑いをあげた。



「とりあえず、あんなのを好きになった貴族の姫君には頭の検査を要お勧めいたしますv」



このとき、一体その許婚はどんな奴なのか、そして二人の間に一体何があったんだ、または起きているんだと
誰もが思ったのは言うまでも無かった。



「そ、それで……あなたはこの後どうするの?」


「え?」


「だって、家に帰ったらまたその貴族のお姫様がやって来るんじゃない?それとも、刃物振り回した事が騒ぎに
なってもう捕まったかしら」


「その可能性は低いと思うよ」


「え?」



あっさりとそう言い切った楸瑛に、秀麗は訝しげな眼差しを向ける。



「如何言う事ですか?」


「全部が全部良心的な貴族じゃないって事だよ、秀麗殿。貴族の中には、自分が罪を犯してもそれを罪だとは
思わないものも多い。ましてや、自分がほしいものの為となると……特に姫君に至っては、屋敷の奥深くで
唯綺麗に着飾っていれば言いと言うものさえいる。そういう者達は気位が高く、罪を犯しても自分が悪いわけでは
ない。いや、身分の低い者相手ならば、この高貴な自分は何をしたって構わないと言い切ったものまでいるからね」


「い、居たんですか?」


「ああ。居たね。そしてそういった姫君達は尚の事始末が悪い。まあ、親や環境も悪いんだけど、普通の人と違って
財力も家格も身分も、そして頼りになる家柄も持ち合わせている。下手をすれば、その権力で事件事態をもみ消される。
今回の蒼麗殿の事に関しても、相手がどれ程の貴族かは知らないが、ある程度の物であれば、何も無かった事に
されているだろう」


「そんな……」


「一種の、貴族の闇みたいなものだよ」



そうして、楸瑛はこの国でも第二位の家柄――紅家の直系筋の姫であり、奇跡のように心優しく頑張り屋な秀麗を見た。
一体、どれほどこの様な姫君はこの国に居るのか?きっと、両手の指の数程にも居ないだろう。
ましてや、秀麗レベルの姫君等は。



「さてと、そういう訳だから、その許婚の君が事を解決するまでは安全な所に居た方が良いと思うよ」


「え?あの許婚が解決するんですか?」



驚く蒼麗に、楸瑛は首を傾げる。



「普通はそうじゃないかい?だって、その許婚の君の魅力にその貴族の姫君が堕ちたのだろう?となれば、突きつければ
その魅力を無駄に振り撒いてしまったのが原因なのだから、当然その原因を作ったその許婚の君が解決するのが
妥当だろう。と言うか、自分に降りかかった火の粉を己の許婚に掛かる前に処理できないのは男としてどうかと思うよ。
まあ、その貴族の姫君の権力や財力に惑わされずに断ったのは凄いと思うし、敬意を払うべきものだと思うけれど」


「う〜〜ん……そうですか……いや、そうですね……でもなぁ〜〜。あの人、根っからの面倒臭がりやで、
しかも事勿れ主義者でもあるし……まあ、嫌いな相手らしいから何とかするとは思うけど、絶対に人任せに
しそうだしなぁ……土都榎辺りが刺客として差し向けられ……」


「刺客?」



え?と言った様子で聞き返す秀麗に、蒼麗はハッとし、慌てて手を横に振る。



「あ、うん、気にしないで。楸瑛さんの言う通り、暫くは何処かに身を潜めます。
本当に、貴族と言うのは厄介ですからね」



慌てて誤魔化した様子がありありと解る蒼麗の様子に、ある者は訝しげに、ある者は面白そうに、ある者は
自分のお嬢様に害が加わらないか如何か見極める眼差しを向ける。
そんな中、邵可だけは何時も通りの朗らかな声で言った。



「では、暫くは此処に滞在すると良いよ」


「え?」



驚く蒼麗に、秀麗も笑顔で言った。



「そうよ。此処は部屋数だけは余っているんだから。暫く滞在すると良いわ。まぁ、大した御持て成しは出来ないけれどね」


「え、で、でも」


「遠慮しなくていいの。あ、如何してもって言うのなら、家事手伝いを少しやってくれるだけで良いから」



そう言うと、秀麗は未だに遠慮する蒼麗を半ば強引に説得し、滞在を取り付けさせた。



「よし、これで決まりね。後は、文の問題ね」


「え?」


「だって、そんな突然襲われたのならば書置きもせずに来てしまったんでしょう?だから心配しているんじゃないかって」


「あ〜〜、たぶん大丈夫です。直に連絡が言っている筈ですから」


「そう?でも、一応は無事だって連絡をした方がいいと思うわ。もし、蒼麗ちゃんが書けないのなら、私が代筆するけれど。
そういえば、蒼麗ちゃんの家って何処なの?」


「……碧州と…紫州の州境付近です」



微妙な間が気になったが、秀麗は頷き、次に色々と質問をしていく。
そうして、一通りの質問が終わると、再び箸を手に取った。



「それじゃあ、話も一段落した事だし、食事を再開しましょうか」



話のお陰でほぼ全員の箸が止まっていたが、その言葉に一斉に動き始める。
既に料理は冷めてしまっていたが、それでも秀麗の作る料理は絶品の美味しさを保っていたのだった。





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