〜第二十二章〜新たなる企み〜







奥様を失ったショックで、暗い闇の底に叩き起こされた自分と旦那様。
それを、小さな両手で力一杯あの方は引き上げてくれてた。ご自分だって悲しかった筈なのに、
辛かった筈なのに、それでもあのお方は前を向いた。小さな体で必死に頑張る姿に、
自分達もまた、前を向く事が出来た。あの方が居なければ、自分達は今も廃人のままだった
だろう。だから、何かしたくて……自分達を励ましてくれるあの方に何かを贈りたくて、
旦那様と二人で一生懸命に金策を尽くし、手に入れたそれ。
そして――自分達の予想以上に、それを手にしたあのお方は喜んで下さった。
その顔に、満面の笑みを浮かべ幸せそうにするあのお方。ありがとう、と言って下さった
あのお方に、改めて頑張ろうと思った。このお方を守る。それは、奥様との約束だけではない。
自分の意思で、守ると決めた。あのお方を悲しませる物は全て取り除こうと――






なのに――












「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」






静蘭は叫ぶ。完全に混乱していた。解らない。自分の本当の思いが、自分の本当の望みが、
一体何なのであるのか……どれだけ考えても解らなかった。なのに、頭の中では二つの声が
煩く響く。殺せという声と、守れと言う声。どちらも一歩も譲らず、退かず、激しい戦いを
繰り広げている。それが、更に静蘭を混乱させていく。



そして……






「あぁ……っく……」






目の前で涙を流し嘆く秀麗の姿が何よりも静蘭の心を激しく抉り、留まる事を知らない
罪悪感を作り出していく。なんて事をしてしまったのだろうか。自分はなんて酷い奴なんだ。
増大する増悪と共にそんな思いが木霊する。







殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せぇぇ!!








守れ、そのお方を守れ、それがお前の本当の――!!










「煩い……煩い、煩い、煩いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」





叫びながら、静蘭は頭を激しく振る。
瞳に、劉輝達の姿が映った。自分と同じ様に苦しみ、もがき、悲鳴を上げている。
自分よりもその時間が長かった為か、その消耗振りが一目見て解るほどだった。
そして、自分の隣では、旦那様が頭を両手で押えて苦悶の声を漏らしている。








殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せっ!!








「やめろ……やめて……くれ……」




苦しい。誰か、誰か助けて。静蘭は、今までの人生で初めて誰かに助けを求めた。
止めてくれ。それ以上言わないでくれ。そして、早く自分の前から消えてくれ!!
静蘭は、目の前に座り込む秀麗に、心の中で必死に懇願した。憎むべき少女なのに。
殺す事が願いなのに。静蘭は何故か殺したくないと思った。しかし、ドンドン強くなっていく
殺意を促す声に、少しでも気を抜けば、腕が動き出しそうだった。
刀に手を掛け、次の瞬間にはその首を切り落としに掛かりそうだった。





「……いだ……ねが……」





終に、静蘭の手が、刀に掛かる。








「誰か、誰か居らぬかっ!!」




劉輝の怒鳴り声が響き渡る。
王の声に、室の外で警備に当っていた兵士達が駆け込んでくる。



「主上、一体どうしましたか?!」




劉輝達の姿にただならぬ気配を感じた兵士は慌てて問いかける。
劉輝は、その兵士に鋭く命じた。




「その、そこの女を今直ぐ此処から、宮城から追い出せっ!!」






王の命に、兵士達は一瞬戸惑ったが、直ぐに命を実行するべく秀麗を両脇から掴み、
強引に立たせる。



「なっ?!や、いやぁっ!!」




劉輝達から引き離されていく。あんな状態の劉輝達をそのままにして。秀麗は必死に抵抗した。
劉輝達をこのままにはしておけない。その想いが、優しさが、秀麗を一時的に絶望から
引き上げ、自分を引き摺って行こうとする兵士達に抵抗する力を与える。




「放して!!」




激しく抵抗し、中々進もうとしない秀麗に、兵士達は困った様に劉輝達を見た。
ゆらりと、邵可が立ち上がる。ツカツカと、秀麗の前に立つ。



「父様、私――」








バシィッ!!









邵可の手が、秀麗の頬を勢いよく打った。静蘭の時よりは痛みも衝撃も少なかったが――
秀麗は愕然とした。今まで……一度も父様に殴られた事はなかったのに……。
呆然とした面持ちで自分を見上げてくる秀麗に、邵可は憎しみを込めた眼差しを向けた。




「とう……」




「君なんか……」





搾り出すような父の声に、秀麗の言葉が止まる。




「君なんか……静蘭達を苦しめる……君なんか……君が……」










やめろ





言え






いうな






言え









その先を――――――――――――――――――言うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!










さあ、イッテシマエ!!!!!!!













「妻の変わりに、君が死ねばよかったんだ」











アアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!












































抵抗の無くなった秀麗の体が、両脇から兵士達によって引き摺られて行く。
大量の汗を流し、荒い息をつく王達を心配し残ろうとする兵士達を払いながら、劉輝達は
その後姿を見つめた。けれど、それも兵士達全員が出て行き、扉が完全に閉まると、
バタリと糸の切れた人形の様に音を立てて倒れていく。





カチャリと音がして、室の扉が開かれた。





「全く……一度は完全に支配したと思ったのに……」




此処まで抵抗が酷いとは思わなかった。艶妃は片手で扉を閉めると、床に倒れる劉輝達を
見下ろした。殺せと命じたのに、最後の最後でそれに抵抗し、最後の理性で秀麗を
此処から逃がした。




「わたくしは殺せと言ったのよ。なのに……」






艶妃はぶつぶつと文句を言う。もう少しで、憎いあの女を始末できたのに。




「ふん、今からでも遅くは無いわ。今からでも、あの女を殺せる」




艶妃は、手に持つ鏡――『鏡華変化』を解放しようとする。







「なんだ。もう殺してしまうのか?」







「え?」




聞き覚えのある声に顔を上げると、奥の窓が開かれ、そこに見覚えのある男が座っていた。
自分に『鏡華変化』を渡してくれた男――羅鴈。麗しい美貌を持つその青年は、
クツクツと楽しそうに笑っていた。



「もう殺すって……一体何のこと」


「何も、こんな楽しい事をもう止めるのかって事だよ」



ふわりと床に降り立ち、羅鴈は艶妃の下にゆっくりと歩いていく。



「お前の苦しみもこんなものなのか?」




「……一体何が言いたいの?」




「――はっきり言って、生温いんだよ。やるのならば徹底的に。そこまで憎いのなら、
この世の地獄を見せてやらなきゃなぁ」



羅鴈は腕を組み、艶妃を見つめた。



「あの女は思ったよりも心が強い様だ。何せ、ああまでされて自分の大切な奴らを信じていた」



「―――――っ」



「艶妃。お前も気が付いていた筈だ。あの女、お前が何かをしたとは気が付いては居ないが、
王達の変わり様には何か理由があるのだと。つまり、本心から自分を邪険にはしていないと」



「くっ」



それは、確かに艶妃も気が付いていた。だからこそ――



「お前は、怒り狂い、さっさと秀麗を始末しようとした。だがな……王達を最後まで信じて死ねば、
それはなんの復讐にもならない」


「……つまり、信じられなくなる位にもっと苦しめて殺せと言うこと?」


「ああ。秀麗が完全に静蘭達に絶望する様に、そして互いに憎みあう様に」


「……そうね。確かに、私の望みはあの女が狂って死ぬ事。今のままで死なれたら、私の気が治まらないわ」


「ああ、そうだろう」


「でも、羅鴈」


「何だ?」


「その丁寧なご忠告は、わたくしの事を思ってのものではないのでしょう?」


「気が付いていたのか」


「ええ。損得勘定の高い貴方が自分の利益にならない様な事を一々わたくしに
言う筈が無いもの」


「ふん……聡い女は嫌いじゃない。そうさ、お前の事を思ってではない。
とは言え、ほんの少し位は思っての事だがな。俺が、お前に忠告したのは、
もっと事を大きくして欲しいからだ」


「え?」


「別に、俺としては秀麗が死のうが死ななかろうが構いはしない。が、なるべく生きている
時間が長い方が、王達の行動を阻止できる。正気に戻った王達の――な」



「如何いうこと?」



「お前は認めたくないだろうが、王達は秀麗を大切に思っている。その分、元に戻り
自分が何をしたのかを知ったら、その衝撃は想像を遥かに超えるだろう。加えて、秀麗が
王達を憎めば、その分衝撃はより酷くなる。そして、そうなれば……今以上に、
聖宝から注意は逸れる筈だ」



艶妃が操っている劉輝達は、それでも聖宝を探そうとしている。
しかし、最も大切に思っている相手に憎まれれば、その精神的動揺によって事は
進まなくなるだろう。そうすれば、自分達も仕事がやり易くなる。



「つまり、このまま秀麗を生かして苦しめ、頃合を見計らって王達の術を解いて、
動揺させて目をそらせろと言う事ね。貴方達の野望の為に」


「ああ」



羅鴈の言葉に、艶妃は眉を顰める。
羅鴈の言うとおりにするとなれば、それだけ長くあの女は生きる。



「そんな顔をするな。確かに長く生きるが、苦しみながらになる。それに、お前は
あの女が苦しむ様子をより長く見たい筈だ」


「それは、まあ」


「ならばいいだろう?上手く行けば、あの女が自ら自分の生に幕を下ろしてくれる」


「え?」


「だから、自殺してくれるって言っているんだ。お前は静蘭達の手で殺させたいようだが、
そちらだと後々面倒になる事はお前も解っている筈だ。仮にも紅家の姫を殺すんだからな。
下手をすれば、食み出し物とはいえ、あの気位の高い紅家が動かないとも限らない。
しかし、自分の手で死んだとなれば、単なる自殺として処理され、お前も動き易くなるだろう。
まあ、それでも多少は自殺の原因を探られるだろうが……それも直に頓挫し、立ち消えに
なる筈だ。何故なら、唯人に、お前のした事など到底気づけやしないのだから」



「……そうね」



艶妃の顔が狂喜に歪む。羅鴈の言うとおりだ。
全てが上手く運ぶには――すんなりと自分が静蘭を手に入れるには、あの女が絶望の中で
自分の命を立てばいい。常々、静蘭達が秀麗を殺した後の後始末の仕方を考えていたが、
そちらの方が問題はないだろう。だって、自分の意志で死ぬのだから。誰かが直接手を
下すのではないのだから、誰にも文句は言えまい。まあ、静蘭達が秀麗を殺すという最高の
喜劇を見ることは出来なくなるが、それでも、それは静蘭達が秀麗の命を立つよりも
楽しい見世物になるかもしれない。



「本当に……楽しそうだわ……ありがとう、羅鴈」


「お礼には及ばないさ」



「ふふふふvvそうと決まれば、早速貴方にお願いしたい事があるの」



「なんだ?」






























兵士達に強引に引き摺られて行く中、秀麗はポッカリと心に大きな穴を空けたまま、
邵可から齎された言葉を反芻していた。






『君が変わりに死ねばよかったのに』







自分の変わりに、母が死んだ。
そう思い続けていた秀麗の心には、何かによって別人の様に代わり、例え本心からの
言葉ではなかったとしても、そんな父の言葉は余りにも重く鋭過ぎた。
泣き叫ぶ事すら出来ない程に。



そうこうする内に、城門が近付いていく。
けれど、最早秀麗には逃げ出す力も、逃げ出そうとする思いも残っては居なかった。
それどころか、一刻も早く此処から逃げ出したかった。



終に、兵士の手が城門に触れる。









「待て」






凛とした声が響く。兵士達が後ろを向くと、そこには一人の青年が立っていた。
長く艶やかな黒髪が印象的な怜悧な美青年に、兵士達は思わず息を呑む。
が、次に見せ付けられた物には、更に大きく息を呑む事になった。



「それ……は……」



王の御璽が押された一枚の書状。そこに書かれている言葉を、青年は読み上げた。




「その女を此処から追放する命は取り下げだ。変わりに、その女は地下牢に
放り込めとの王のお達しである」





有無を言わせない口調と、正式な勅命に、兵士達は我を取り戻すや否や
直ちに行動に移っていった。





















今来た道を再び戻って行く兵士達が完全に見えなくなった頃、青年は持っていた
書状に面白そうに目を通していった。御璽が押され、達筆な字で書かれたそれは、
一見して紛れも無い勅命書。



けれど……







「クックックッ……本当に、あの女は面白い」






まさか、王の執務机にあった御璽を押し、いかにも王が書いたとでも言う様に
正式な勅命を出してしまうとは。――そう、これは艶妃が作った偽者だった。
そんな事をさらりとするとは、本当に末恐ろしい女である。



「まあ、その方が俺達としては頼もしいんだがな」



羅鴈はクツクツと笑う。
しかも、この勅命書を出した理由が――



『だって、少しでも苦しめるのならば、このまま外に出して自由にさせるのは当然駄目よね。
それに、紅家の姫が地下牢暮らしっていうのも、中々おつなもではないかしら。大丈夫、
王を怒らせたのは兵士達も見ているわ。その後に怒りが更に強まり――と言う感じで命令が
変わる事はよくある事。誰も文句なんて言えやしない』



暗く不衛生な地下牢に入れるのも、また苦しめる事の一つとさらりと言い切る艶妃に、
羅鴈は笑った。





「とは言え、何時まで入れている気やら」












さあ……紅姫抹殺計画の第二章の始まりである














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