〜第二十三章〜3度目のこんにちわ(笑)〜








暗かった空が明るみを帯び出し、小鳥達の囀りが聞え出す。
その様に、蒼麗は紅家の屋敷の門に立ちながら、夜が明け始めた事を悟った。





「夜明けか……」





少しずつ、気温も上がり始めている。とは言え、未だに吐く息は白かった。
寒さに何度も擦った両手も赤みを帯び始めている。
流石に、此処で秋の一夜を明かすのは、少し無謀だったかもしれない。
しかし――




「秀麗さん、とうとう帰って来なかった……」



夕方にまでは帰ると約束した秀麗は、日が落ち、空に星が昇り、そして夜が
明ける頃となった今も、邸に帰って来る事はなかった。


最初の内は蒼麗も楽観視していた。
きっと、話が弾んでいるのだろうと。しかし、時間が経つに連れ、今か今かと、何度も
中と外を行き来しては秀麗の帰宅を確認し、終には外で待ち続けた。一向に帰ってこない
秀麗を待つ間、もしかして何かあったのかもと思ったりもした。
しかし、行き先が宮城――劉輝達が居る場所なだけに(←これも楽観視の理由)、
いや、大丈夫だろうと自分を納得させていたのだが……もしかしたら、帰ってくる途中に
何かがあったのかもしれない。ましてや、何の連絡も無いまま一夜が明けてしまった。
もう待つ事は出来なかった。夜が完全に明け切れば、直ぐにでも探しに行くつもりだった。




「早く……夜が明け切って…」



夜が明け、人々が活動を始めれば、秀麗の行方を聞く事が出来るから。




















暗い闇と淀んだ空気に支配された空間――宮城の奥底にある地下牢の一室に、秀麗は居た。
昨日、王の命が変わったとして此処に入れられた為、此処で一夜を明かす事となった。
3週間前ならば――いや、昨日の自分でさえもこんな事態、少しも想像出来なかっただろう。
しかし今、質素な寝台に力なく横たわる秀麗には、そんな事は如何でも良かった。
こんな――別人の様に変わってしまった父達を救う事も、如何する事も出来ない無力な
自分が如何なろうと。ましてや、父達に言われた言葉が、もしかしたら心の奥底に眠る
本心なのかも、と思ってしまう自分等、如何なろうと構いはしない。
秀麗は完全な自暴自棄に陥っていっていた。



しかも――












――絶対に信じると決めたのに……










父達を、この世の誰よりも信じなければ成らないのに、こうしている間にも心の中に
改めて芽生えた不信の思いは、秀麗の戸惑いや絶望を栄養分にして少しずつ成長していく。






「如何して……こんな事になっちゃったんだろう」




呟き、秀麗は両手で顔を覆った。それは、今此処に居る自分の身の不幸を嘆くのではなく――
別人の様に変わってしまった静蘭達の事を思って。きっと、何か原因があるのだ。
でもそうは言っても、今の自分には如何する事も出来ない。冷たく暗い地下牢に
閉じ込められた自分には。




「如何すればいいの……」




秀麗の悲痛な呟きが牢に木霊した。

















「そうですか……どうも有難うございます」



蒼麗は自分の質問に答えてくれたおじさんに頭を下げた。




「はぁ〜〜……一体何処にいるんだろう、秀麗さん」



完全に夜が明けたのを見計らい、宮城への道を歩き出した蒼麗は、丁度外に出て仕事場に
向かい始めた人達を手当たり次第に捕まえ、一人一人に昨日、秀麗を見なかったか聞いた。
見たとしたら何処で、何時、どんな状況で。それによって、秀麗が何処まで普通どおりに
家路をやって来たのかが分かるから。但し、それは昨日家に帰ろうとしていたと仮定して。
しかし……聞く人聞く人、皆一様に知らないと言うばかりだった。宮城までの道を
進みながらの情報収集も、今聞いたおじさんで既に3桁に上る人数に聞いたと言うのに……。
これはもう、宮城に泊まったとしか思えない。となると――




「邸に戻って帰りを待つか、乗り込むか」




宮城に居るのならば、静蘭達が傍に居るから安全な筈だ。
帰りは送って貰って昼頃にでも帰ってくるかも。





しかし――






「何で私の足は進むんでしょう」



なぜか知らないが、勝手に脳が命令を出して体に進めと命じている。
蒼麗の足は、勝手に宮城を目指し始めていた。



「……嘘はつくなって事かな」



秀麗を心配し、例え安全な場所に居たとしても、直ぐにでも底に行って無事な姿を見たい、
そう思う気持ちが、体を推し進めているのかもしれない。



「……ま、いっか」



もう一度位、霄太師から貰った(奪い取った)木簡で中に入る位。
秀麗の無事な姿を確認したら直ぐに外に出ればいいだけだし。まあ……怒られたら、
その時は……謝罪しよう。謝罪してすまない問題もあるが、その時はその時。
蒼麗は決めた。宮城行き決定。


















「って、え〜〜、中に入れてくれないんですか?」



「ああ。王から、霄太師の木簡を持つと言う者は入れるなと言われている」



「でも、これ本物ですよ」



蒼麗は門番の兵士に木簡をじっくりと見せた。



「だから、それが偽物だと言っているんだ。普通の民間人がどうやって
霄太師とお知り合いになれる」



宮城に来たものの、一昨日とは打って変わって門を守る兵士に木簡を偽物呼ばわりされて
中に入れない。というか、霄太師の印が押してあるのに如何見たらこれが偽者に見えるのか。



「でも、一昨日は通してくれた筈です。それに、昨日だってこれで入った人が居る筈です」



勿論、それは秀麗の事だ。



「あの時はな。しかし、今は駄目だ。王からの勅命だ。本物と言う証拠がない
霄太師の木簡を持つ者は入れるな、とな」


「じゃあ、霄太師に貰ったという証拠があればいいんですね」


「は?ま、まあな」


「分かりました」



蒼麗は懐から笛を取り出し、躊躇無く吹いた。相手の状況など一切考えず。








ピッピラピィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!








ズッドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!









蒼麗の後方から、巨大な砂煙の進化系――砂竜巻を発生させながら、霄太師はやってくる。
口に梅饅頭を加えながら。それからして、お茶の途中だった事が推測される。
でなければ、仕事をサボって食ってたに違いない。つ〜〜か、門の中からではなく、
外――城下町の方から来る時点で既に仕事をサボっているだろう。
何処にいやがった、この名誉職に胡坐かきジジイ!!




「霄ちゃん、3度目のこんにちは〜〜vv」




唖然とする門番達を他所に、蒼麗は満面の笑顔で挨拶をした。




「こ、こ、こ、今度は一体なんなの――ぶっ!!」




足元を注意していなかったせいか、自分の身に纏う長衣の裾を踏んづけ、霄太師は
見事な顔面ダイブを一同に披露した。地面とぶつかったど派手な音に、門番達が我に返り、
すぐさま抱え起こす。





「霄太師、ご無事ですか?!」




「ああっ!!鼻血がっ!!」




「す、直ぐに医者を!!」





しかし、霄太師はそんな門番達を手で払う。
そして、鼻血を手で押さえながら、蒼麗の前に立った。




「白いそうめんみたいな髭が、今は色つき冷麦みたい〜〜」




抑えきれず滴り落ち、真っ白な髭を赤く染めるその様はなんとも……。
というか、蒼麗は褒めた筈だった。しかし、霄太師にはそうは聞こえなかったらしい。




「余計なお世話じゃっ!!」




「霄ちゃん。そんなにカッかカッかしてたら、血圧が垂直上昇してあっという間に
脳の血管切れてお陀仏になっちゃうよ。霄ちゃんももう若くないんだし」


「何をっ!!わしはまだまだ現役じゃっ!!」


「寧ろとっとと退役しろって思われてると思います」



誰が、とは蒼麗は言わないが、それが王達であることは言わずとも分かった。








「それで、今度は一体何なのじゃ」



「この木簡が本当に霄太師が下さったものかこの方達に証明して下さい」


「はぁ?証明も何も、これはわしがくれてやったものじゃろう」


「そ、それは本当ですか?!」


「本当じゃ。これは正真正銘わしがくれてやったもんじゃ」


「し、失礼しました!!」



門番達が慌てて門を開ける。中に入る霄太師を蒼麗は追掛けていく。







「助かりました」


「そうか。なら、
わしを崇め奉れ


「絶対に
です。にしても、この木簡が偽物かもしれないなんて、一体何が起きたんでしょう」


「さあな。前に偽物が出ているんじゃないのかの。といっても、わしは元々そうそう
他人に木簡は渡さぬし。だから、偽物なども出る筈が無いのじゃが。出れば一発で分かる」


「そうですよね〜〜。此処最近でも発行された霄太師の木簡は私のと、秀麗ちゃんの――」







――――――――――――――――――っっっ?!










まさか…………










「どうしたのじゃ?」




「う、うん……何でもない、です」



まさか、とは思う。しかし、そんな事がある筈が無いと蒼麗はその思いを心の中に封じ込めた。
一方、霄太師も何かに気が付いた様に顎に手を当てるが、その口から言葉が出る事は
なかった。自分が言うべき事ではないだろう。



「え〜〜と……とにかく、秀麗ちゃんと会わなきゃね」



「ん?秀麗殿が此処に来てるのか?」



昨日秀麗が此処に来た事を全く知らない霄太師は、驚いた様に問いかけた。



「はい」



蒼麗は簡単に、昨日の秀麗とのやりとりを話す。そして、夜になっても帰ってこなかった事を。



「帰って来るまでに何かあったのかもと思ったりもしたんですが、宮城までの道中を
常に行き来すると思われる人々に話を聞いてみても、誰もその姿を見ていないんです。
となると、此処にいる可能性が高いと思って」


「そうじゃったのか……ふむ、確かに此処に居る可能性が高いじゃろうが……」


「霄太師?」


「いや……実はのう、内緒にしていたのじゃが、近頃王宮には良くない気配が漂っていてな」


「え?」


「わしも何度か調べたが、如何にもこうにもその良くない気配の元に辿り着く前に
解らなくなってしまってのう。まあ、本当に薄い物だから別に放って置いても構わないとは
思うのじゃが……一応、聖宝の件があるしのう」


「だとしたら、秀麗さんを一人で此処に来させたのは……」


「いや、それは大丈夫じゃろう。この位の弱さならば、しっかりとした意志を持って居れば
なんて事は無い。それに、秀麗殿は――」



そこで、霄太師は唐突に言葉を区切る。何やら冷や汗も流し始めた。



「霄太師?」


「い、いや、何でもない。それよりも、秀麗殿を早く探すのだろう?」


「あ、はい。でも、私は民間人だから闇雲に探し回るのは」



宮城の全区域通行許可証である木簡を貰ってはいるが、やはり乱用するのは気が引ける。
それに、中には重要機密区域もあるだろう。下手に色々と歩き回るのは危険だ。
しかし、自分は王宮内の土地勘は殆どといってない。唯一、後宮に居る華樹の元か、
前に一度行った事の有る王の私室位である。――あ、戸部の黄尚書の部屋にも
行った事があるな。



「う〜〜ん、地図があれば」



「地図も何も、秀麗殿の行き先など大体見当が付くであろう」



「はい?」



霄太師の言葉に、蒼麗は首を傾げた。



「秀麗殿は父達に会いに行くと言っていたのじゃろう?ならば、府庫にいる可能性が高い。
あそこの長は邵可じゃからのう。しかも仮眠室もあるし、邵可もよく使っている。
自分の娘を秘密裏に泊まらせる位訳はないじゃろう。加えて、あそこは王達もよく行く
場所じゃから、話をするにはもってこいの場所じゃ」



「そ、そうなんですか?!」



そういえば、秀麗の父は府庫の主だと言っていたが、王達も其処に良く行くとは
思っていなかった。しかし、誰よりも宮廷内を知る霄太師が言うのならば本当なのだろう。
それにしても……図書館に仮眠室もあるのか……ならば、秀麗はたぶん其処に居るだろう。
もしかしたら、父達が恋しくて帰って来れなかったのかもしれない。



(そういえば、私もそんな経験があるな〜)



自分も、幼い頃から離れて暮らす両親達や妹弟、そして幼馴染達一家と
本当に久しぶりに会った時は、何時も帰りたくないと思ってしまう。
少しでも、一緒に居たいと……時には駄々をこねて……。
蒼麗は、自分の大切な家族達の事を思い出していく。











『いっやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!姉様帰っちゃ駄目ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!
ってか、姉様を帰らせる者なんて私が破壊し尽してくれるわぁぁぁぁぁ!!!!!!!』











クワッッッ!!、と思い出に浸っていた筈の蒼麗の目が勢いよく見開かれる。
余りの気迫に、霄太師でさえも後ろに飛退いた。





(違う!!駄々をこねたのはあっち、蒼花達だわ!!)





蒼麗は、双子の妹や2歳年下の弟、そして生まれた時からの幼馴染達が、自分を
引き止める際に行った幾つ物悪行までもを思い出してしまい、余計な事をしたと
心底後悔するのだった。



――とは言え、妹は可愛い。2歳年下の弟も可愛い。加えて、其々の親同士が絶対的な
友情と信頼で結ばれている事から、生まれた時からの付き合いをしている幼馴染達も
心の底から大好きだった。しかし、それでもあの何時まで経っても姉離れ、幼馴染離れの
出来ない部分だけは如何にかして欲しいと思う。
いや、直せと言いたい。なのに…………更に悪い事に、それを率先して咎めなければ
ならない両親達が笑って容認し、時には笑顔で加勢するのだから、如何しようもない。
そもそも、基本的に自分の両親や妹弟、幼馴染達やその両親達は性格が似ているのだ。
類は友を呼ぶと言う様に。加えて、考えも同じでやる事も似ている。
まあ、余りに似すぎて嫌になる同属嫌悪と言う言葉もあるが、それも本人達の
自分達に被害がなければ如何でもいい」と言う信条の元、どれ程似ていようとも、
それを本人達が容認し、被害が出ない限り、誰も咎めたり疑問に思ったりはしない。
――そういう人達だ。あの、超怜悧冷徹冷酷冷静沈着非情な鬼畜集団たる自分の
両親と妹弟、そして幼馴染達12家族の者達は。







「蒼麗?」



地面に両手を付き、悲嘆にくれる蒼麗の姿に、霄太師は恐る恐る声を掛けた。
何か、悲しい思い出を思い出してしまったらしい。背中から漂う哀愁が何とも言えず
物悲しげだった。




「……その…なんだ……わしには何があったのかは知らぬが……とにかく、頑張れよ」



「――ありがとう、霄ちゃん……」



霄太師の心優しい言葉に、蒼麗は目尻に光る涙を拭った。
そう、霄太師の言うとおり、頑張らなきゃ。と言う事で、取り敢えずは家族の事は
今は忘れていよう。うん、そうしよう。今は、秀麗の事である。蒼麗は速攻で己の家族達の
事を記憶の片隅に追いやった。つ――か、自分の心の平穏の為に忘れる。
それはもう、綺麗さっぱりと。しかし――




(でも……それでも…………もう、余り時間が無い事だけは忘れてはならない)




蒼麗は忘れ様としながらも、決して忘れられないあの手紙について思い出す。
昨日、宮城に向かう秀麗を見送った後、台所にあった手紙。
あれは―――――しかし、蒼麗はその思いを振り払う様に頭を横に振った。



(いや、大丈夫。まだ)




最後通告は成されていない。まだ、時間はある。残り時間は少なくても、まだ自分に何か
出来る。いや、やらなければならない事があるのだ。そして、秀麗もこのままにしては置けない。



「霄太師、私、府庫に行って見ます。そこに秀麗さんが居るのならば」


「そうか、気をつけるのじゃぞ――蒼麗」


「はい?」


「何も無いとは思うが……もし、何かあれば笛を吹いてわしを呼べ」


「え?――でも」


「ふん、わしがあのような小童達に悟られると思うのか?」


「いえ、狸顔負けの化かしの霄ちゃんならば大丈夫です」


「誰が狸じゃっ!!」


「それじゃあ、私、行きますね」


「ああ、じゃあな」




外朝の入り口で、霄太師と蒼麗はそれぞれ別れる。そして、それぞれが思う。
笛が吹かれない事を、笛を吹く事がない事を――――その様な事態が起き無い事を…………









―戻る――長編小説メニューへ――続く―