〜第二十五章〜異変〜







府庫に入った瞬間に感じた悪寒。それは、何かの警告だったのかもしれない。







「どうした?」




隣を歩く鳳珠に問いかけられた蒼麗は、慌てて我に返る。



「い、いいえ……何でもないです」



とは言うものの、府庫に入ってから続く、体を包み込む嫌な感じは消えない。
なんだろう?何か、嫌な予感がする。しかし、このまま自分だけ外に出るのは嫌だし、
なんと言っても、自分は此処に用があってきたのだ。投げ出して帰るわけには行かない。
それに、此処に入った途端に嫌な感じがすると言うことは、此処がその発信源で――
当然ながら、この中に居るであろう邵可を放っておく事も出来ない。




(まあ、いざとなれば、中に居る人達を全員外に出して…………一応、道具は持ってるし)




能力無しの自分だが、それを補う道具は幸運にも持ってきている。
それを使えば、この程度のものならば速攻で如何にかできるだろう。



「それにしても、邵可さんは見当たりませんね」



広い府庫の中を歩きながら、蒼麗はキョロキョロと室の主を探した。
しかし、今の所見当たらなかった。それは、前を行く黎深も同じで――







「兄上、
兄上、兄上ぇぇぇぇぇぇぇええええええええええっ!!







幽鬼の如き見事な動きで辺りをさ迷っている。だから、怖いです。
あ、鳳珠様にとび蹴りを食らわされた。






ごふっ!!






見事に本棚にぶつかり本の海に沈んだ氷の吏部尚書――紅 黎深。




「さて、行くか」



「え、いいんですか?」



「いい。埋めとけ」



さらりと同僚を見捨てて鳳珠は先を急ぐ。てきぱきと本棚から書物を取り出していく。



「それにしても、この王宮の府庫って大きいなぁ」



まあ、でもうちの家の図書館よりは小さいとは思うが。
――と言うか、あの図書館は迷子者続出したっけ……絳攸様を連れて行ったらどうなるだろう。
彩雲国に名高い迷子者と言われる(楸瑛が言っていた)絳攸が中に入ったら――
3日は出て来れまい。



「……だよね、絶対に」



怖くなったので、それ以上の思考は止めて置く。



「あれ?」



ふと、壁を見るとそこには扉があった。仮眠室と書かれている。



「霄ちゃんが言ってたのはこれかぁ〜〜」



よく見ると、その両隣――合計5つの扉に仮眠室と掛かれた板が張ってあった。
府庫の者や、泊りがけで調べ者をする者達が此処で仮眠を取れる様に作られたのだろう。
確かに、此処ならば秀麗が忍んで泊まる事が出来る。今も、もしかしたら此処に
居るかもしれない。



「って言っても……開けていいのかな」



一応、許可を取らなければならないかもと思い、伸ばした手を戻す。
やはり、邵可を探さなければ成らない。



「でも、姿が見当たらないし……」








兄上!!お久しぶりですっ!!








何処にいるのか……と思案し始めたその瞬間、黎深の嬉しそうな声が聞こえてきた。
見つけたのか、と蒼麗が声のする方向に走り出す。途中、鳳珠と合流して、黎深の元に
駆けつけた。府庫の奥まった場所にある比較的広い個室に、邵可は、そして静蘭や王、
その側近二人は居た。皆、熱心に書物を読んでいるようで、円卓にそれぞれつき、
顔を俯かせている。






「兄上、今日も天気が良いですねvv」




そうして、兄上兄上と話し出す紅 黎深に、蒼麗は心の中で一言。






お兄さん以外の人は
アウト・オブ・眼中なんですか?!






他にも4人の存在があるというのに、黎深はひたすら兄――邵可にだけ話しかけ、纏わり付く。
おいおい、幾らなんでもそれは……。しかし、突っ込んだ所でどうにもならないだろう。
蒼麗は悟っていた。黎深の性格、と言うか行動に一々突っ込んでも如何しようもないと。
心安らかに過ごすのならば、寧ろスルーしておくのが良いのだと。



(っていうか……そんな事悟ってしまった自分が悲しい……)




寧ろ、悟りたくなかった。




「ま、それは置いておいて……」





蒼麗は、机に近寄った。




「お久しぶりです、邵可様、静蘭さん、絳攸様、楸瑛様、そして今上陛下」




蒼麗は、膝を追って優雅に挨拶を述べる。その自然な仕草に、鳳珠ばかりか、
黎深までも目を見張った。この少女は――何処かの貴族の出なのだろうか?


そんな事を思っている間にも、蒼麗はすらすらと用件を述べていく。
昨日、秀麗が其方に行き、一夜明けても帰ってこなかったと。けれど、行き先が
父親達の所なのでたぶん話が弾んで帰るに帰れず、未だに此方に居るのでは
ないかと言う事。しかし、一夜帰って来なかった為、心配になって自分は此処まで
来たのだと。全てを話し終えた蒼麗は、邵可達を仰ぎ見た。




「私としても心配ですので、此方に居る秀麗さんの無事な姿を一目見たいと思っております。
その上で、秀麗さんが此処に残られるというのであれば、私は戻ろうと思います」




邵可達が居ても良いと言うのならば、それはそれで良いのだろう。
そうなれば、自分は邸に戻り留守番をするだけだ。まあ――こんな小娘では皆は心配だろうが。







………ない……







「え?」






今まで黙って聞いていた邵可がぽつりと呟く。
しかし、それは余りにも小さすぎて、尚且つ唐突過ぎた為、蒼麗は聞き取れなかった。




「――あの、もう一度」




御願出来ますか?そう続けようとしたが――それよりも早く、邵可が口を開いた。





……い……ない……





先程よりは大きな声だったが、それでもまだ聞こえない。もう少し、大きな声でと追加注文する。



「……秀麗は……此処には来ていない」









―――――――――え?









「来て……いない?」





もう此処には居ない、のではなく、来ていない?
それは……一体如何いう――



「あ、あの……」



見ると、黎深も鳳珠も驚いているようだった。



「あ、兄上?!秀麗は昨日此処に来ていないのですか?!」



「来ていない……」


「って事は……今日もまだ帰っていないって事は――!!」



行く前に何か起きたのか?!



黎深は完全なパニックになった。ほかの事では冷静なこの男も、兄一家馬鹿と言う余り人には
言いたくない短所の前には冷静さなんて羽を生やして飛んでいってしまうのだろう。



「た、大変だ!!今直ぐ探さなくてはっ!!」



「ちょ、ちょっと待ってください!!」



今直ぐ走り出そうとする黎深を押さえつけ、蒼麗は叫んだ。



「本当に此処に来てないんですか?!」



「……来ていない」



「でも、確かに此処に言った筈です!!昨日、此方に秀麗さんが向かうのを、
多くの人達が見ているんです!!門番の人だって、通したって……」


「……来ていない……」


邵可は唯それだけを繰り返す。まるで――人形の様に。流石の蒼麗も眉を顰めた。
何かが…………可笑しい、と。


「邵可様。もう一度お聞きします。秀麗さんは此方にきましたよね?」


一言一言噛締めるように蒼麗はその言葉を紡いでいく。その答えは――



「来て……いな……」



「邵可様?」



蒼麗は様子が可笑しくなり始めた邵可を不信に想い、思わず手を伸ばす。
――が、後ろから伸びてきた鳳珠の手によって襟首を掴まれた事により、
蒼麗の手は空を切った。と同時に、先程まで蒼麗が居た場所を、鋭い風が横切っていく。
蒼麗は思わず目を見開いた。その、鋭い風を起したもの。
それは――邵可が握り締める小刀だった。




「っ?!邵可様!!」




腕引かれるままに鳳珠の後ろに隠された蒼麗は、その事実に呆然とした。
隣では、黎深も信じられないと言った顔をしている。



「邵可様、突然何をなさるのです!!」



鳳珠が強い口調で問い質す。だが、その声音には戸惑いと驚きが強く見え隠れしている。
鳳珠もまた、尊敬する邵可の思いもかけぬ行動に困惑していたのだ。



「兄上、一体何が」



黎深が震える口調で問いかける。しかし、その間にも、邵可は、静蘭達は椅子から立ち上がり、
それぞれに武器を携えながら此方に向かってくる。



「くそっ!とりあえず、黎深。一旦此処から出るぞっ!!」


「何を言うんだ!!兄上をこのままにしておけと言うのか?!」


「そういう意味ではない。だが、此処は狭く取り押さえるとしても動きづらい。
それに相手は5人だ。しかも、此方には蒼麗もいる!」


「鳳珠様、私は大丈夫です!!」


「馬鹿を言うな。武術の心得もない者に何が出来る!!」



鳳珠は口早にそう告げると、蒼麗の手を取り、黎深の襟首を掴んで外に出ようとする。
しかし、それよりも早くに静蘭が周りこみ、退路を断った。府庫の出口は静蘭の後ろ。
突破するには、静蘭を倒していくしかない。



「くっ……」



そうしている間にも、背後から劉輝達が攻撃を仕掛けてくる。



「黎深、此処は私がやる。お前は蒼麗を連れて逃げろ!!」



しかし、黎深は首を振った。何時もとは違う兄を置いてなど行けはしない。



「嫌だ、私は残る。蒼麗だけを外に出せばいいだろう。蒼麗、退路を作ってやる。
だから、そこから一人で逃げろ」


「出来ません!!だって、今の邵可様達は明らかに可笑しいんですよ?!」



人形のような空ろな眼差しを浮かべながらも、その体から沸き立つのはれっきとした殺意。
邵可達は明らかに自分達を殺そうとしている。




「一体、何がおきているんだ!!」




鳳珠の言葉に、黎深と蒼麗も心から頷いた。




本当に、一体何がおきているのだろう!!














「クスクス……面白い事がおきているわ」



後宮の自室で、艶妃は鏡花変化を覗き込みながらくすくすと楽しげに笑った。鏡に映るのは、現在の府庫の様子。
自分の操る静蘭達が、紅尚書、黄尚書、そして蒼麗と言う少女を殺そうとしている。――いや、違う。
自分の命令で殺そうとしているのだ。




「あの女は返さないわ。苦しめて、苦しめて……狂うまではね」




――今から数刻前。たまたま鏡花変化を覘いていた艶妃は、秀麗を探しに来た蒼麗が、
紅尚書と黄尚書の二人に偶然会う所を見る事と成った。そして、秀麗を探しに来たのだと
二人の尚書に伝えた所も――。少なからず予想していた事とは言え、それでもまさか
此処まで本当に来るとは思ってはいなかった。何故なら――何故だか知らないが――王は
霄太師が与えた通行許可証を使えない様にしていたから。当然ながらその木簡を持って
前回侵入してきた蒼麗も今回ばかりは無理だと思っていたからだ。けれど、蒼麗は宮城に
入り込んできた。忌々しいと思った。邪魔だとも思った。此処で兵士達に追い払わせても、
きっとまた来るだろう――と。最初は、艶妃も蒼麗に対してそうそう悪感情を抱いては
居なかった。寧ろどうでもいい存在だった。けれど、今ではそうまでする蒼麗に何時しか
気が変わっていた。そして府庫へと向かい始めた蒼麗達を見て思った。
このまま静蘭達の手で殺させてしまえば良いと。傍に居る紅尚書と黄尚書もろとも!!
――もともと、艶妃にとっては紅尚書と黄尚書にも初めから良い感情は持っては居なかった。
何故なら、紅尚書や黄尚書は鵬家の当主たる我が父を軽んじ、敬う事はおろか、何かに
つけて嘲りの眼差しを向けてきていたのだ。幾ら彩七家の者とは言え、そのような所業は
到底許す事など出来なかった。唯、それでもあの女に比べれば格段にどうでもいい存在だった。
だが、今此処であの二人を始末すれば、きっと我が父上は喜んでくださるに違いない。
彩七家を忌み嫌っている父上にとって、彩七家の者が一人でも多く消える事は人生最大の
望みなのだから。 また、当主である父上の望みは私の望みでもある。
そして、この混乱に乗じた今ならば、簡単に殺せる上――此方に捜査の手が及ぶ事は
まずあるまい。そう――殺るなら今しかない!!




「逃げられやしないわ。此方には武術の達人が3人もいるんですもの」




静蘭、楸瑛、そして王。加えて、今発見する事が出来た黎深の弱点とも言える邵可も居る。
きっと、奴らは直に始末されるだろう。



「楽しみだわvv」



そうだ。あの蒼麗とか言う少女は殺した後に首でも取って来て貰おう。
それを、地下牢で衰弱しているだろうあの女――秀麗に見せ付ければ……。


艶妃は歪んだ笑みを浮かべた。楽しい、楽しすぎる!!やはり、静蘭達に殺させるのではなく、
静蘭達と自分で苦しめて、苦しめて、死ぬほど苦しめて狂い死にさせる方が良い!!
艶妃は震えるほどの快感と共に、羅鴈との出会いを喜んだ。あの男が幾つもくれる助言と
助力、それらのお陰で今最高の気分を味わえる。
艶妃は笑った。そして、鏡の中の静蘭達に甘く囁く。











早く、そいつらを殺して、と











そして……













早くその少女の首を取って―――――と














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