〜第二十六章〜戦闘〜







鋭い剣戟が、蒼麗の腹の横を掠る。
次の瞬間、切り裂かれた傷から赤い血が勢いよく噴出していった。





「きゃぁっ!!」





相手の腕が確かだった為か、浅くとも綺麗に切られた傷からは、留め止めなく血が流れていく。
続け様に襲ってきた痛みと熱に、蒼麗は思わずその場に膝を着いた。だが直に傷を手で押え
付け、止血の道具を探した。このままでは、大量の血液を失って失血死してしまう。
――と、後ろから伸びてきた手が、蒼麗の傷に触れる。





「っ?!」




「私だ」




驚いて後ろを振り向いた蒼麗の瞳に、特徴的な仮面が移り込む。それが、黄尚書であると
認識すると同時に、急な動きにより、新たに出血が起こる。貧血によって襲い掛かる眩暈に
耐えながら、蒼麗は何とか口を開いた。



「ほ、鳳珠様?御無事だった――――――黎深様は」


「解らない。この有様では……」



蒼麗の止血をしながら、鳳珠は燦々たる有様となった府庫を見つめた。
バラバラとなった書物の紙が吹雪のように舞い、本棚の殆どが倒れ、または壁に斜めに
寄りかかっている。中に仕舞われていた幾つ物書物はあちこちに散乱し、元の綺麗に
整えられていた様は今、見る影も無かった。それは、いかにさっきの乱闘がどれほど
凄まじかったのかを顕著に語るものでもあった。だが、それと同時にこの荒れた様は、
自分達の姿を劉輝達に直には解らなくさせる絶好の隠れ蓑でもあり、同時に向こうの姿も
解らなくさせるものでもあった。下手をすれば、先程の蒼麗のように、物陰から一撃を
食らわせかねない。鳳珠は手際よく蒼麗の止血を終えると、息を潜めた。物音はしない。
向こうも同じく息を潜めているのだろう。一体、これはどうなってしまったのか。




「ちっ……」




鳳珠は鋭く舌打ちをした。



「一体……何が起きているんでしょうか」



蒼麗が、小さな声で呟く。



「……さあな。唯解るのは、突然王達が可笑しくなり、私達を殺そうとしている事だ」



そもそも、府庫がこの様な散々な光景になってしまったのは、王達が繰り出す攻撃を避け、
時には此方から仕掛けた結果だ。そして、その戦闘は未だに続いている。
鳳珠は笑いたくなった。何故このような場所でこんな事が起きているのだろうか?
此処はそんな事をする場ではない。いや、それよりも何故この様な状況に陥っている
のだろうか?そして、一体国王達に何が起きているというのか?自分達を殺そうとする何が。


鳳珠はちらりと、府庫の出口を見た。しかし、直に大きく息をつく。
出口は最初のうちに、静蘭が本棚を倒し、通行不可にした。まるで、此処から一歩も
出さないと言う様に。お陰で、蒼麗を逃がす事も出来なくなっている。
だが――それよりも気に掛かる事がある。






(何故、これほどの騒ぎに誰も来ないのだ)






かなり大きな物音を立てている筈なのに、様子を見に来る者が居るどころか、未だに
誰一人として府庫にやってこない。本来なら、衛兵の一人や二人直に駆けつけていると
言うのに。明らかに可笑しな事態だったるまるで、予め何が起きても誰も近付くなとでも
言含められているようだ。




(とにかく、なんとかして外にでなければ)




此処で殺されてやる気は毛頭ない。必ずや、外に出てみせる。
そして、その為には……




(まず、あの馬鹿と合流しなければな)




兄上と喚きながら、倒れていく本棚と巻き起こる埃の中、逸れてしまった同僚の事を考える。
今、一体あの男は何処にいるのか……その時だった。微かな音と共に、目の前に重なって
倒れ、目隠しとなってくれていた本棚が真っ二つに切り裂かれる。両側に分かれて行く中、
その間から銀の煌きが飛び込んできた。




「蒼麗!!」




「鳳珠さ――」










ザシュッッッッッッ!!









「っっっっっっ―――いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」








目の前を赤く染めるそれに、蒼麗の悲鳴が響き渡った。





















ハァ……ハァ…………





久しぶりに動き回ったお陰で、呼吸が荒い。何度か大きく息を吸い込み整えようとするが、
中々上手く行かない。黎深は、倒れた本棚を背に己の年齢を悟った。




「まったく……なんだって私がこうも走らなければならない」




この狭い府庫の中で――





この府庫は、多くの書物を保管しておく為、実際にはかなり広く作られている。
また、此処で調べ物をする者を多く収納する事も考え、宮城にある部屋の中では、
両手の指の中に充分入る広さだ。だが、それでもこうやって走り回り、繰り出される攻撃を
避け、自身が攻撃をしかけるに至っては、明らかに狭かった。
しかも、部屋は広いものの、その半分以上が書物を収める本棚と、調べ物をする為の机で
占められており、人が行動する範囲は思ったよりも少なかった。まあ、普通はこの部屋で
戦いなんてするアホは居ないが。




「――いや、白と黒のあの馬鹿二人はやってるな、何時も」




やれ、山菜だ、やれ草むしりだと何かにつけて決闘を繰り広げるあの馬鹿大将軍の二人は、
大勢の部下達を引き連れて、此処によく調べ者に来る。勿論、決闘に必要だから。
そして、そこでまた決闘し、刀や槍を振り回し、あちこちを破壊していく。兄上に当ったら
どうする気だ!!いや、兄上は素晴しいし凄いからそうなる前にとっとと個室に
逃げてしまったり、またはその優秀な才覚でもって事を一瞬で収めてしまうが(惚)







――――――って、今はそんな場合ではなかった。







黎深は背後でカタリとなった物音に、恋する乙女の表情を消す。
続いて、氷の吏部尚書という名に相応しい絶対零度の氷の笑みを浮かべると、
ゆっくりと後ろを振り返った。





其処に居たのは、半ば予想していた相手










「私に刃向うとはいい度胸だな?――絳攸」





自分と横たわった本棚を挟んで感情が一切篭らない眼差しを向けながら、ゆらりと小刀を
片手に立つ己の養い子の姿に、黎深は扇をパラリと開く。次の瞬間――真紅の扇に、
幾つもの小刀が突き刺さった。新たな小刀が、絳攸の手に握られる。




「……お前……」




黎深の声音に混じる微かなそれに、気が付くものは誰も居なかった。


















ガンッ!ギンっ!ガガンッ!!!





激しい打ち合いの音が辺りに木霊する。
特注に作られた羽林軍の鍛錬場を濃い闘気が包み込んでいた。
その中心で激しく打ち合うのは、右羽林軍の大将軍と、左羽林軍の大将軍。
白大将軍と黒大将軍だった。殺気にも似た闘気を放ちながら剣を交えるその姿は、
正に鬼神の如き。その姿に触発され、傍で見守っていた宋太博が今か今かと己の参入の
機会を狙っていた。それらを、数十人の羽林軍の兵士達が苦笑しながらかなり遠巻きで
見守の続ける。




「おらおらおらおら!耀世、お前の腕はこんなもんかよっ!」



「ふん……減らず口を」




白大将軍の挑発を冷静に受け止め、黒大将軍の突きが繰り出される。
それを一寸の差で交わし、白大将軍の切りが放たれる。だが、黒大将軍はそれを
ほんの少し体を後ろに下げる事でなんなくかわした。一進一退の闘いだった。
部下達も主君の試合に、何時しか固唾を呑んで見守る。
今日は、何時になく二人の技の切れが良い。




だから――










其処に居た者達は気が付かなかった。








周りに置き始めている










異変の数々に――――














―戻る――長編小説メニューへ――続く―