〜第二十七章〜羽林軍は大混乱?!〜





あと少しで暖かな陽光を放つ太陽が一日の中で最も高く昇る頃だった。
あれほど晴れ渡っていた空に、幾つもの雲が現れ始める。しかし、それは何時も人々が
見る様な雲ではなかった。見る見るうちに分厚くなっていくそれは、どんな大雨の時に
現れるものよりも、黒く、どこか嫌なものだった。透通る様な青空は、今や黒く厚い雲に
覆われていく。また、そこからゴロゴロ―と言う雷特有の雷鳴が聞え始めた。
微かに見える、青白い稲妻。地上で仕事をしていた人々、またはもう直昼食だと言う事で
一休みに入り始めた者達、そして遊びまわっていた子供達は、その何時もとは明らかに
違う空に、不安を入り混じらせた視線をその空に向けた。
そして……それは、国を治める此処、政治の中心たる宮城もまた、同じだった。
気味が悪い、と言ったのは誰だっただろう。凡そ、昼とは思えないほど薄暗くなった視界。
それと同じ位、人々の心も沈み始めた。何故か、あの黒い雲を見ていると、気がめいってくる。
また、ゾワゾワと何か気持ちが悪くなってきた。そんな中、地方出身の官吏達の中には、
故郷で似た様な経験をした事があると告げる。それは……魑魅魍魎に出会った時。
遥か昔、蒼玄が魑魅魍魎達を封じ込めた際に命からがら逃げ延びたそれら。
人に害をなす力は殆どないもの達だが、それでも人々はそれらを恐れた。
それらに出会った時と、同じ。その言葉に、官吏達は顔色を無くす。そして、今はそれらに
出会った時よりも気味の悪さを感じると言う。官吏達、そして後宮勤めをする者達は、
其々に仕事をこなしながらも、込上げて来る恐怖に慄いていた。





だからだっただろうか?






人々の心に出来た隙に……こうも簡単に入り込めたのは………。






暗き雲の下、甘きまほろばなる幻音の色が響き渡る。
















ガンッギンガンっゴン、ドガッ!!





既に闘い始めて何刻が経過しただろうか?



流石に見学も疲れてきた部下達は、もう直昼食と言う事もあって、二人の大将を止める算段を
点け始める。下手をすれば、また昼食を食べ逃がす羽目となる。因みに、最悪な時は
連続3週間逃した経験があった。なのに、鬼のしごきがその後に待っていて……それを
思い出した両羽林軍の者達は心から涙した。男は泣くな、と幼い頃から言い聞かせられて
きた貴族の子息も、その教えを破り、男泣きする。
と言うか、羽林軍に入ってこれまで何度泣いてきたか解らない。
いや、昼食を抜かされた事があるか解らない。よって、兵士達の目はマジだった。



「おい、どうする?」


「やはり、此処は皇将軍に」


「そりゃ無理だ。皇将軍は今日は休みだ。何でも、両親がギックリ腰だとか」


「じゃあ、藍将軍は」


「あの人なら、今は府庫に居た筈だ。よし、呼んで来るか」



兵士の一人が腰を上げる。それに、2,3人が付随し、府庫へ向かう事となる。
残りの者達は何としてでも引っ張ってきてくれと応援した。



「頑張って下……ん?」


「おい、どうした?」



自分と同じく応援していた隣の同僚に、その兵士は声を掛けた。
すると、何か耳に手を当てる。暫くそのままの状態で居たが、間も無く顔を上げた。



「いや、今何か……聞えてこなかったか?」


「は?」


「いや、何か音楽と言うか、音色っていうか……」


「おい、誰か聞えたか?」



他の者達に聞いてみる。すると、数人が手を上げた。といっても、50人居る内の
ほんの10人などで、その殆どは聞えていないようだ。しかし……



「お前らは聞えたのか?」



聞えたと手を上げた者達に、問いかける。



「ああ。なんか、甘い感じの」


「はぁ?」


「いや、だから……なんつぅか、甘く感じたんだよ。後、なんかまるで夢というか
幻みたいな気もして……ああ、駄目だ!!上手く言い表せないっ」


「二胡とか琴とか笛とかじゃねぇのか?」


「いや、その音とは違う気がする」


「ふ〜〜ん……宋太博は聞こえましたか?」


「は?なんじゃ。わしは今猛烈に忙しいんじゃ」



ウズウズと目の前の大将二人の戦いに参加する機会を狙う宋太博のけんもほろろな言葉に、
兵士達はガクッとくず折れた。駄目だ。この人に聞いた自分が馬鹿だった。



「そ、そうですか。では、大将は……って、こっちはもっと無理ですね」



今もガン、ギン、ドゴッ!!と言う凄まじい音を立てて吹き出る汗を振り撒きながら
戦い続けている白大将軍と黒大将軍は、言う必要もないだろう。
と言うか、もし聞えていたとしても、今のこの二人ならば即刻無視するに違いない。




「でも、一体何の音なんだ」



他の者達も、考え込む。何時もならば、気のせいだろうとでも言って即座に片付く筈だったが、
何故かこの時ばかりは妙に引っかかった。それは……長年の武官の勘のようなものだった
だろうか?此処に居る者達の殆どは、羽林軍の中でも、結構年数を積んでいる者達だった。
異変に関する勘は、人一倍ついている。



「と、とにかくさ、そっちは一先ず置いて置いて、今は楸瑛さんを連れて来ようぜ。
なんか、大将二人の乱闘がますますヒートアップしてるし……」



兵士の一人の言葉に、全員が其方に顔を向けると、正に言葉どおりの乱闘絵図が
描きあがっていた。しかも――何時の間にか、宋太博まで乱入している。
何時の間にか乱入したんだあのお人!!




「そ、そうだな……なら、とっとと探しに」









ドサアアアアアァァァァァッ!!












「「「「「「「「「「「「うわぁぁぁぁぁぁっ!!」」」」」」」」」」」









踝を返した兵士達の前に、屋根から何かが振ってくる。物凄い音を立てて床に倒れたそれに、
兵士達は数拍置いて絶句した。兵士の一人が慌てて傍に駆け寄った。



「おい、大丈夫かっ?!」



それを皮切りに、次々と周りに居た兵士達が駆けつける。それは――――あちこちに
幾つもの傷を作った一人の女官。何時もは綺麗に結わえられた髪は乱れに乱れ、
繊細な造りの女官服は泥だらけとなっていた。




「誰か、医師を呼んで来いっ!」




下手に動かしては駄目だと兵士の一人が叫ぶ。その時だった。
兵士の腕の中で眼を覚ました女官の口元が、ニヤっと大きく裂け、兵士に襲い掛かったのは。




「危ないっ!」




同僚の一人がその襟首を掴み、噛み付かれかけた兵士を自らの方に引き寄せる。
寸でのところで、女官の鋭い歯が空を噛んだ。



「なっ?!」



女官に近寄っていた兵士達が一斉に後ろに下がり、間を取る。尋常じゃない。
兵士達は、鍛えられたその勘から素早く悟っていた。ゆらりと立ち上がった女官の頭が
此方を向く。耳まで避けた口から垣間見える鋭いは血に濡れ、袖から見える指は赤黒く、
鋭く長い爪が見え隠れしていた。目は、真っ赤になっている。
何時もの、優雅で清楚な女官としての姿、そして美しい美貌は見る影も無かった。




「おいおい……これは……」




勘からこれはやばいとは解ったものの、突然の事に混乱する兵士達は間を取りつつ、
目の前の変貌した女官を見つめる。それが元は後宮に仕える女官であった事は、
その服装から解った。また、兵士達の中に、その女官を何度か見かけた者がいた事も、
認識し間違える事のない大きな要因となった。
でなければ、とっくの昔に魑魅魍魎と騒いでいた。



「な、なぁ……あれ、なんなんだ」


「俺が知るかよ!!」


「と、とにかく何とかしなきゃっ!ねぇ、大――」








ドゴッ!ドガッ!!ガギイィィィィンッ!!







「くそっ!」




「ふん、まだまだ!!」









あんたらこんな時にまで何してんですかっ!!




そんな一人の兵士の叫びは、その場に居た全員の心を代弁していた。
あんたら、この緊急事態に良く戦えるな――と。





「耀世、この勝負。俺が勝たしてもらうぜ!!」



「笑止!!」




勝つのはわしじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!






余計に酷くなる乱闘。羽林軍の兵士達は全員そこで誓った。自分達で何とかしよう、と。








ギャアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!







どちらにしろ、向こうも待っていてはくれないようだ。禍々しい咆哮を上げ、
此方を睨みつけてくる。その様は、獲物を狙う肉食獣そのもの。
つまり……自分達は獲物として認識されたようだ。




「戦うしかないのか……」




兵士達が其々自分達の刀に手を掛ける。だが、先んじて抜くに至る物は未だいなかった。
それもそうだ。相手は、変貌しているとは言え、元は後宮に勤める女官。
今は可笑しくなっているとは言え、簡単に殺してしまえるような相手ではない。
広く見れば、同僚だった者なのだ!!



「どうすれば……」





ガァ……ギャア……ッガガガ




裂けた口から、この世のものとは思えない鳴き声を発する。瞬間、女官の姿が消えた。




「なっ?!一体何処――」



「後ろだ!!」










ザシュッッッッッッッ!!









叫んだ時にはもう遅かった。とある兵士の後ろ側に周りこんだ女官は、長く鋭い爪へと
変化したそれを大きく振り上げ、無防備だった兵士の背中を斜めに切り裂いていく。
ビシャアァ!!と言う聞くに堪えない音と共に、兵士の背中から大量の血が噴出した。
蒼白な顔色となった兵士が前に倒れ付していく。その場に、悲鳴が上がった。




「おいっ!!しっかりしろおぉぉぉぉ!!」




大量の血を流し、痙攣する哀れな同僚の姿に、近くに居た者達は必死に声を掛けた。
だが、直に襲い掛かってきた爪の猛攻撃に、それもままならなくなる。






キンッ!!ガン、カンッ!!キギンっ!!













「おい、何か騒がしくねぇか?」


「ああ、何かあったようだ」





騒然とした辺りにようやく気がついた白大将軍と黒大将軍、そして二人の様子から
追う様に周囲に気を配った宋太博は―――――――思わず目を疑った。
大量の赤い血に染まった鍛錬場。深紅の様な赤さと滴る純度を保った血は石畳で
出来た地面、壁、屋根に至るまで赤く染め上げていた。そして……先ほどまで苦笑しながら
見守っていた筈の自分達の部下達は、ある者は床に倒れ付し、ある者は壁に
寄りかかっていた。その誰もが、満身創痍となった血塗れの状態で。




「おい……こりゃあ……」




余りの事態と、強い血臭に白大将軍は言葉を失った。此処は……まるで戦場さながらだった。
いや、地獄絵図とも言って良いだろう。前王が国を統治して以来、他国との戦争も無く、
8年前の内乱を除けば極々平和にやってきた彩雲国。
特に、王都である此処は、戦いなど殆ど無縁だったというのに……。




「耀世……」


「ああ……」





ドサァァァァァァア!!







「「?!」」




鍛錬場の中心に居る自分達から、そう離れていない場所に屋根から振ってきたそれ。
血にぬれた女官服を身に纏った――口の裂けた女官の化け物。
すっかり人相は変わってしまったが、その顔に白大将軍は見覚えがあった。それは――






「奏明……」






自分の……一番年下の……皆が可愛がる従兄妹………………………白 奏明!!





「っ!!どうしちまったんだよ、奏明!!」



「馬鹿!!危ないっ!!」



「下がれ、小僧ども!!」




耀世が傲炎を引き戻すのとほぼ同時に、前に出た宋太博が奏明の血に濡れた長い爪を
刀で受け止める。だが、凡そ人間のものとは思えない強い力に、後方に居た耀世達共々
後ろに吹っ飛ばされる。そこは……先程まで居た鍛錬場の中心。




「がはっ!!」



「宋太博っ!!」






ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!






化け物と化した奏明が襲い掛かる。宋太博達は鋭い一撃を覚悟した。








                                        フオォォン…………








「「「え?」」」」





自分達の周りを囲うように地面から淡い光が現れる。
と認識する間もなく、その光は一気に噴出し、天を貫くものへと変わった。
光は見る見るうちに濃さと強さを増す。丁度天井の無い光の円柱の底にいる形となった
宋太博達三人は突然の事に呆然とした。が、次の瞬間に聞こえてきたその絶叫に
直に我を取り戻す。












キャギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!













「奏明――――――――――――――――――――っっっっっっっっっっっっ!!!!!!」













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