〜第二十八章〜迫り来る危機〜








宮城の一角に立ちしは石の塔。幾つもの塔の中で最も高く、宮城内はおろか城下町をも
見渡せる高さを誇る。その頂上たる屋根の上に座る13歳程の少女は、美しくも妖しい光を
放つ横笛を片手に、城内を見下ろしていた。城内のあちこちからは煙が上がり、人々の
怒声と悲鳴が響き渡る。また、剣の打ち合う音や矢の飛び交う音、時には爆発音や何かを
打ち壊す音が聞こえてくる。だが、少女はそれらには一切の意に介す事無く、その美しき
青暗の瞳は別のものを見ていた。人々が発する憎悪、絶望、怨嗟、怒りが大きくなる度に、
刃物を持って傷つけあい血を流す度に城内を覆うそれがよりいっそう黒く禍々しさを
増していくその様を――。少女はほくそえんだ。






全ては――――計画通り。






「うふふvvまさかこんなにも上手くいくなんてねんvv本当にこの国の人間達はチョロイもんだわ」



手に持っていた笛をクルクルと回し、次々と上がる悲鳴と爆発音にうっとりと酔いしれる。



「それにしても……此処の王も一体何をしているのやら。王都に隠された聖宝の一つ――
『久音睡嵐』をこうも簡単に奪われるなんて」



まあ、実際に奪ったのは自分の兄だが。
それでも、こうも簡単に手中に出来てしまうとは、もう笑いを通りこうして逆に呆れさえする。



「ふふふふふ、どんなに祖先は良くても年月には勝てないと言う事かしら――って、
兄上、何か用かしら?」



背後に現れた気配に、少女はくるりと振り返った。そこに立つは、少女に似た黒髪と
灰瞳の妖艶な美青年――




「羅贋兄上?」




「――状況は?」




「首尾は上々。ふっ……『久音睡嵐』の力に対抗できる相手が此処に居る筈が
無いじゃないvv異能の能力者でもなければ。まあ、『久音睡嵐』をやるから一騒動
起こしてこいって突然放り出された時は驚いたけれど……」



13歳という年齢に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべ、少女は兄の前に立った。
自分と同じ黒髪は艶やかさを持って流れ、その瞳は悪戯な光が輝いている。



「ねぇ、もう少し遅くても良かったんじゃない?下手に動けばばれるわよ」


「そうだな……けれど、仕方がない。あの鬼畜太師が此処を思った以上に浄化してくれた
お陰で、予想よりもエネルギーが弱い。このまま最初の計画どおりに遂行すれば後で
皺寄せが来る。特に、あの抜け目のない彩八仙の事。此方が手間取っている間に
邪魔してくるに違いない」


「そうね〜〜、あの年づくりのジジイは厄介だわ。でも、兄上ってば何でこんな事を
するのかしら?」



「なんだ」



「幾ら、あのクソジジイに頼まれたからってこんな所にまで来て……」



馬鹿で頭も悪くて大した力もないくせに、親というだけで自分や兄、他の兄弟をこき使う
あのイロボケな父親。今も母以外の女――妾達と共に床で快楽にふけっている堕落した
暗愚な男。あるのは、親から譲り受けた家柄と身分、そしてそれに付随するものだけ。
なのに、あの男はとんでもない事を言ってきた。



「ふん。別に、構わない。俺は楽しければそれでいいんだ」


「あらん?この程度の事で兄上の心を満たせるの?」


「何が言いたい?」


「うふふvv兄上が此処に来た本当の目的。あの愚鈍な男の計画に一枚乗った
本当の理由――それは」



少女は楽しそうに笑った。




「くっ……さあ、如何だろうな?――それよりも、華僑」




羅贋は妹の名を呼んだ。



「何?」



「もう暫く此処で事を起こしてくれ。代わりが来るまで」


「解ったわ。あ、そうそう実は、力が行き渡らない部分があるの。8箇所ほど」


「――城下町じゃなくてか?」


「城下町の方は力を及ばしてないもの。そこじゃなくて、城内でよ。この8箇所だけは
如何しても力が及ばないの。何か別の力に阻まれているっていうか……」


「解った。調べてみよう」


「お願いね。あ、そうそう。あの女官はどう?」


「艶妃ならば王達を操ってご機嫌だ。何でも誰かの首を取ってあの紅姫に見せるらしい」


「へぇ〜〜、楽しそうvv是非とも見物したいわ」


「その時には呼んでやる。じゃあな」



羅贋の姿が宙に消える。残された華僑はクスクスと笑いながら、下に広がる城内に
視線を移す。そして――ゆっくりと『久音睡嵐』に口をつけた。






繊細な装飾の成された妖しくも美しい笛から甘くまほろばな音が流れていく。






その音こそ、音によって事を成す『久音睡嵐』の能力の一つ、『種変感情操作』にして
城内を混乱させる原因となった――人々の化け物化と負の感情増幅を促しきもの。
細胞に、心に染み渡り、惑わしそれらを大きく変化させるその魔の音色は、暗き空の下、
広き城内へと響き渡っていくのだった。






















ガギャアアアァァァァァァァァァァァァァァァァっ!!




宮城の調理場に勤める料理人が悪鬼の形相で持っていた中華包丁を振り下ろす。
それを紙一重で避けながら、霄太師は己に襲い掛かってくる者達の首元に手刀を入れていく。
昔、宋の奴に習っていた護身術がこんな所で役に立つとは……。しみじみとしながらも、
次々に繰り出されていく攻撃に、霄太師の額から汗が流れる。攻撃自体は大した事は
ないが、なにぶん数が多い。倒しても倒しても次々と来る。しかも、この化け物と化した
城の者達は、最初は仲間割れの如くだれかれ構わず攻撃するが、一度まともな精神を保って
いる者を見るや否や、速攻で向かってきては攻撃をしかけてくる。まるで、まともな精神を
持つ者を最優先に始末しろという命令を受けているかのように。




「ちっ……このままでは埒が明かん」




幾ら自分でも、このままでは分が悪い。霄太師は即座に考えを巡らせると、素早い動きで
相手を翻弄し始める。老人とは思えないその動きに、化け物と化した城の者達が一瞬
たじろぐ。その隙を突いて、霄太師は隙間を縫う様に走り出し、目の前に迫った壁を
強く蹴り飛び上がった。






ダンっ!!






大きな音と強い衝撃と共に屋根の上に着地する。その下には、追い駆けて来た化け物と
化した城の者達が群がるが、それだけだった。どうやら屋根までの高さを跳躍できる能力を
持った者は此処には居ないらしい。それを尻目に、霄太師は屋根の上をそのまま歩き出した。




「ようやく一息つけたわい」




一刻ほど前から突然人々が化け物化、または錯乱して武器を片手に傷つけあい、建物を
破壊し始めてから、霄太師はずっと追われ続け気の休まる暇は無かった。まあ、今も余り
状況事態は変わっていないものの、それでもどうにかこうにか襲い掛かる刃物が
無くなった分、冷静に物事を考える余裕が出来た。しかし、霄太師は珍しくあせっていた。
この様な事態、なんら想像していなかったのだ。この自分がっ!!



「一体、何ゆえこの様な事が……いや、それよりも」



この自分が異変を予めかぎ付ける事が出来なかったとは……。自分らしからぬ不覚に、
霄太師は鋭く舌打ちをした。解るのは、これは明らかに人為的によるもの。
しかも、力のある何かによって引き起こされていると言う事だ。……………まさか、聖宝?!



「とすれば……っ?!」



霄太師は人々が化け物化する前に微かに聞こえてきた不思議な音色を思い出す。
甘く儚げなまほろばなるそれを持ったあの音色。――思い出した。その音色を持つ聖宝の名を。




「『久音睡嵐』」




現在、王都に眠るとされる音によって攻撃を成す笛の形をした聖宝――『久音睡嵐』。
主に音による超音波や音の塊の攻撃を主とするが、他にも音による感情操作や体を構築する
細胞に働きかけて、変化させる力を持っている。その時の音色は甘さを持つ。
だが……そちらの能力は、同じく感情操作をする能力を有する他の聖宝に比べて非常に
操作が難しく、今までの歴史上その能力を『久音睡嵐』を使って扱えたものは、3人といない。
故に、霄太師も忘れていた。



ぎりっと唇をかみ締める。




「ぬかったわ」



既に『久音睡嵐』を奪われていたとは……。その事実に、霄太師は自嘲した。
此方が手に入れたと言う情報がない以上、今事を起こしている笛の使い手は、
王から聞かされたあの『彩の教団』の者に違いない。しかも、その『彩の教団』の
一員たる使い手は、歴史上3人といないその能力を扱える。
つまり、その教団はそれほどの力を有する者を囲っていると言う事だ。
更には、その人数も一人や二人ではないだろう。何せ、この自分にさえ実際に力が
使われるまでそれを悟らせない程なのだから。――思った以上にひと筋縄では
いかない連中だ。あの縹家以上に厄介かもしれぬ。



「完全に此方の読み違えじゃ………む?」



ふと顔を上げた霄太師は遠くの屋根に立つそれに目を細める。何だ――?



「あれは………」



――人。それも、背の高い青年だ。黒い髪と、それと同じぐらい黒い裾の長い衣服が風に靡く。
黒家の者か?漆黒の黒を纏えるのは、黒家の直系だけだ。だが――、霄太師は違和感を
感じた。黒家の直系の者だとしても、何故この次期にあのような姿で?
新年ならばまだしも、今この時、例え他の家の直系でもあんな狙って下さいと言わんばかりの
家柄を表す色は着ない。黒大将軍だとて、普段は落ち着いた色の服と鎧を着用している。
いや、それ以前に……あのような青年、居ただろうか?近づいていくにつれ、
露と成っていく青年の容姿。サラサラと流れる髪は艶やかで、その整った横顔は非常に
秀麗だった。あれほどの美形、長い間生きてきた自分とて滅多に見た事が無い。
あの黄家の尚書にこそ負けるが、それでも……1000年に一度の美青年だろう。




「……やはり、見た事が無い」




霄太師は呟いた。違う、あれは黒家の――






「彩雲国の鬼畜太師か」






玲瓏な美声が振ってくる。それが、今問題としている青年から齎されたものだと知り、
霄太師は驚いた。此方の気配や足音は完全に消していたはずなのに。
やはり――只者ではない。




「貴様……何者だ」




かつては朝廷百官を震え上がらせた事もある絶対零度の声音で誰何する。
だが、相手はそれに楽しそうに応えた。



「名を名乗るならばまず自分から。そう教わらなかったのか?――まあいい。
俺の名は羅贋。この国に真の平和と滅亡を齎しき者である『彩の教団』の幹部の一人。
さしずめ、今起こっている騒動は平和の為の滅亡の第一歩という所か」



「戯言を」


「戯言?ふっ、例え最初は戯言でも、実際に起こればそれは真実となる――っと」



霄太師の放った小刀を、顔を少し逸らす事だ避ける。
続いて蹴りを放ってくる霄太師を体を右にずらす事で避け切った。



「くくく!!お上品な太師様とは思えない所業だ。――ああ、お上品じゃないか、鬼畜太師」



「貴様……」


「で、もう攻撃は終わりか?なら、こちらから行くぞ」



羅贋の手が、指が複雑な印を結ぶ。
それに相反するように霄太師も印を結ぶが、一足遅かった。



「――封仙、発動」




その言葉と共に、光が霄太師を多い尽くす。眼前の眩しさに、流石の霄太師も目を瞑った。
再び目を開いたとき、霄太師は己の異変に言葉を無くした。







ピキ……ピキピキ……パキ…







つま先から、それは次第に上る様にして霄太師の体を石へと変えていく。
解除の術を組もうとするが、明らかに術の進行の方が早い。




「くっ……」




「遅いよ、霄太師」





バキバキビキっ!!






「こ、この……」




あっという間に首まで石化を始める。こうなってしまえば、もう解除は不可能だった。



「安心しろ。その術は二刻もすれば解ける。但し――二刻後に此処がどうなっているかは
解らないけれどな。といっても、石化しても意識はあるから、此処からゆっくりと
見物していればいい。結界も張っておくから、落ちて壊れる事も無い。
くくく……お前達が守護するこの都の変わり果てた姿をな?」



まあ、今日はそこまでするつもりはないけれど。心の中で舌を出しつつ、羅贋はついに
全身が石化した霄太師の頬を撫でた。途端、ビリッと衝撃が走る。
手を離し、見ると、微かに霄太師の体が放電していた。



「ちっ!忌々しい彩八仙が……」



手を摩り、羅贋は舌打ちをした。石化しても尚、攻撃をしかけようとするとは……だが、
これで終わりだ。これ以上、この鬼畜太師に術は無い。



「さて、行くか……ま、二刻前には動けるだろう。お前のお仲間によってな」



宮城に向かってくる一つの気配に、羅贋は笑った。黄葉とかいう者まで来たか……
でも、もう遅い。一度たまり始めたものはそうそう簡単には消えない。





「残念だったな」





そして、羅贋は消えた。目的の場に向かう為に。










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