〜第三十章〜黄葉との再会〜









赤、赤、赤、赤、赤、赤――――











意識を失った黄尚書を府庫の入り口の扉の横に寝かせると、蒼麗は他の宮へと続く回廊横に
広がる破戒されつくした庭へと降りる。途端、パシャン――という水音が聞こえた。
見ると、足が赤く染まっていた。血溜まりに足を踏み入れていたのだ。
最早、血が飛び散っていない場所はない。至る所に血痕がある。乾いているもの、また
乾いていないもの。此処は外で、空気が篭る事もないのに、血生臭い匂いが留まり、
そこに居る者達に強い吐き気と嫌悪感を催す。蒼麗は鼻を押さえ、どんよりと暗く曇った空を
見上げる。朝のあの晴れ渡った空は今、見る影もない。暗い、暗い空は何処までも続く。



ふと、生温い風が吹き抜けていく。
と同時に、蒼麗の背筋を何とも言えぬ気味の悪さが這い上がる。
それは、今までの比ではない程のものだった。本能的な恐怖が体を支配していく。






此処は危険だ






蒼麗の中で警告が打ち鳴らされる。






「危険、此処は……」





自分を守る様に、蒼麗は体を両腕でかき抱く。










危険、危険、危険、危険、危険、きけん、危険、危険、きけん、きけん、キケン、キケン!!












イマスグココカラニゲダサナケレバ――――――!!









蒼麗の足が踵を返す。此処から逃げ出す為に――!!










オイテイクノ?








「――っ」






走り出そうとした蒼麗の足が止まった。頭の中に、もう1人の自分の声が響く。







オイテイクノ?ミナヲステテ……






その言葉に、蒼麗はちらりと府庫の入り口の横に寄掛かって意識を失い続ける黄尚書を見た。
今、自分が見捨てれば彼はきっと――――
死ぬ



でも……………







「……………だって……」








ココハコワイ!!










ソウ……コワイ……デモ……







ソレハミンナオナジ









「っ?!」








オイテイクノ?戦わないの?







「たたか……」








戦わないの?では………貴方は何の為に此処に来たの?!







「――――あ……」







蒼麗はその場に座り込む。






自分は何の為に此処に来たのか?







それは勿論、約束を果たす為だ。









『約束よ、蒼麗』










優しく微笑んでくれたあの人との約束――





力無しだろうと何でも関係ない、果すべき約束――っ!!





蒼麗は目を瞑り、ゆっくりと開ける。その瞳には、強い意志が宿る。






「蒼麗っ!!」





その声に、蒼麗は勢いよく振り向いた。














時は少し戻る。





「皆、殺される。殺されるんだ!!





叫び、キャハハハハハハハハハ!!と奇妙な笑いをする官吏に、黄葉は渋面しつつ
立ち上がった。周りを見渡すと、ケラケラと狂った様に笑う者達が増え始めている。
この現象を受け入れられず、精神が壊れ始めているのだ。しかも、それを加速する様な
空気が濃くなっている。辺り一体に漂い、濃さを増していく邪気がその原因だ。
正気を狂気へと変えていく力。黄葉でさえも、気を抜けばその力に心が浸食されていくだろう。
その時、黄葉の耳が微かな音色を捉える。






この………………音色は―――――っ?!






黄葉の顔から色が無くなる。






この音。この音は、まさかあの――っ?!






黄葉は瞬時に悟った。化け物と化した者達。それは、全ては『聖宝』によるもの!!





「だ、だが、何故それがこの様な……まさか、あれまでもが彩の教団にっ?!」




霄の奴から聞かされた、『聖宝』を集めているという集団――『彩の教団』。
全てを滅し、この国を手中にしようとする悪しき野望を持つ者達。別に、自分にとっては
どうでも良かった。この国がどうなろうと。けれど、『聖宝』を悪用される事だけは
我慢ならなかった。だから、自分も王都に眠る聖宝を密かに探した。
なのに……まさか彩の教団が、あの聖宝―久音睡嵐まで手にしたのか?!




「何と言う事だ……」




しかも、化け物と化させる能力を操っていると言う事は、向こうはかなりの能力者を有している。
失われし能力の一つと言われるそれを扱えるものは長い歴史の中でそう居ない。



「くっ……」



黄葉は唇をかみ締める。完全に出し抜かれた。加えて、その予兆すら自分は気づけなかった。
高い矜持が激しく傷つく。そして――フッと笑った。
自分でさえこうなのだから、あの男――紫霄であれば如何なるか?




「俺なんて目じゃないかもな……………ん?あれは――」




黄葉の目に、此処からそう離れていない場所にある府庫の前に佇む1人の少女を見つける。
項垂れた様子の少女。程なくして座り込み、そして――強い意志の光をその瞳に宿し立ち上がる。
黄葉はその名を叫んだ。





「蒼麗!!」















声のする方を振り向いた蒼麗は、ケラケラと笑う人々の下から一直線に此方に
走り酔ってくる1人の老人を見つけた。見覚えのある顔、それも親しい存在である黄葉に、
蒼麗は大きく手を振った。また、自らも走り出す。
互いに伸ばした手が届き、蒼麗は黄葉に抱きついた。




「葉ちゃんっ!!」



「おお、よしよし。怖かったな、もう大丈夫じゃ」




しがみ付き、ボロボロと涙を零す蒼麗の背中を、頭を優しく撫でる。
そして、久方ぶりの再会であるこの少女に優しい眼差しを向けた。
自分の思い出に残る姿よりも幾分か大きくなったその姿に、更に目尻が下がる。
本当に――大きく成長しおった。だが、その瞳に宿る美しい知性と意志の光は
全く変わっておらず、黄葉は心躍った。




「ほっほっほっ、本当に久方ぶりじゃな。背も随分と伸びおったのう、蒼麗」




成長期な年頃のせいか、蒼麗は身長もグンッと伸びていた。



「もう抱っこもオンブも一苦労じゃわ」



まあ、若返ればそうでもないが、今のこの外見ではかなり危うい。
ようやく泣き止んだ蒼麗の頭をクシャクシャと撫でると、黄葉はさてと表情を一変させた。



「怪我をしとるのう。ほれ、見せてみろ」



府庫で切りつけられた脇腹を目聡く見つけると、黄葉は懐から傷薬を出す。
だが、蒼麗がそれを押し留めた。




「葉ちゃん。私は大丈夫。それよりも黄尚書の方が重症なの!!紅尚書とも
逸れてしまったままだし……」



えっ?と予想外の言葉に目を見開く黄葉を他所に、蒼麗は泣きながら、
これまでの事を説明した。昨日から秀麗が宮城に行ったまま帰ってきていない事から始まり、
府庫で邵可達に襲われた事、そして黎深と逸れてしまった事など。



それを聞き、黄葉は言葉を失った。まさか、そんな事が……。
異常事態なのは化け物などの宮城の件だけではなかったなんて。




「そうして鳳珠様を連れて……必死に逃げて何とか外に出たの。でも、外に出たら府庫に
入るまでとは状況が一変してて……葉ちゃん、教えて!!一体全体今、府庫の外――
宮城では何が起きているの?」




蒼麗は深い後悔にさい悩まれながらもそれを聞いた。
――確かに、府庫に来る前に出会った霄太師は宮城によくない気配が漂っているといった。
けれど、それは本当に微弱で、蒼麗でさえも殆ど感じられない程だった。
なのに……それが一変したように、今のこの辺りに漂う強力な邪気と負の気、
そして地獄絵図はなんなのだ!!自分が府庫に居る間に何が起きたのだっ?!




「……その事なんじゃがのう」





今度は、黄葉が簡単に事の状況を説明した。自分も全てが解明できたわけではない。
しかし、先程官吏から聞いた事と自分の見解を交えて話し始めた。


話はこうだ。何刻か前に空が急に曇り始めたと思うと、突然一部の人々が化け物化し、
無事な者達を襲い出した。それは宮城の至る所で行われ、人々は傷つけられ、
更には建物までも破壊されていった。当然ながら無事な人々は逃げ惑い、安全だと思われる
外に逃げようと門に向ったが、肝心の門は全く開かず、終には外に出る事が出来なかった。
また、助けを求めて門を叩いても助けが全く来ず、それ所かそこに化け物と化した者達が
襲い掛かり、人々は再び散り散りとなって逃げ出したという。これは黄葉自身が確かめたが、
これだけの騒ぎが起きているのに外の街の者達は全く気がつかず、唯嫌な気配がするに
留まり、黄葉が此処に来る頃には近づく事もしなかったとの事だった。
また、黄葉自身も宮城内に侵入するまではこの様な事が起きているとは微塵も
思わなかったらしく、その原因は、全て何か特殊な結界が宮城を覆っていて、
外から何が起きているのかを解らなくさせているのではないか。
そして、実際に宮城に入って間もなく、空間の歪みを至る所で発見したと――




「これらの事実と推察から、どうやら聖宝が今回の騒動を引き起こしているとわしは思う。
実際先程、音色が聞こえた。あの音は、聖宝『久音睡嵐』に間違いない。大方、彩の教団に
奪われたのじゃろう。霄の奴から聞いておる。彩の教団が聖宝とやらを集めている
そうじゃな。全く……国王め、完全に出し抜かれ……蒼麗?」



見る見る内に顔色の変わっていく蒼麗に、黄葉は声をかける。
すると、蒼麗の口から驚くべき事実が伝えられる。



「そ、そんな筈はないです!!だ、だって!久音睡嵐は私が秀麗さんの家にお世話に
なる前に別の所に隠して…………しかも、ちゃんと封印をかけたんですよっ?!
普通の人間、異能の者でさえ手出しできないようなっ!!」



なんじゃとっ?!



だが、確かにあの音色は久音睡嵐のものであり、人を化け物と化す力を持つものは
此処にはその聖宝しかない。



「一体どうやって……」



自分が施した封印を解き、あまつさえ契約を施しそれを使用する。それほどの力を持つ者が……。



黄葉が久音睡嵐の音を聞いたというからには、彩の教団とやらに奪われたことは事実だろう。
それは、契約すらさせてもらえないと思う一般人を除いて、もし国王側の手に渡っている
のならば、まず絶対にこんな自滅的な事態は起きていないだろうから。
それに、こちら側にこれ程の効果を齎す事の出来る術者は残念ながら居ないし、何よりも
この様な事態に陥って一番得をするのは現在彩の教団以外には居ない。
政治の機能が停止すれば、完全に好き勝手に出来る上、国を潰す上でも容易な作業が
可能となるのだから。だが……………




「そうだとしても、余りにも事が大きくありませんか?しかも、手の込みようも複雑で……」



「確かにそうじゃのう」




黄葉も頷いた。政治を停止させるにしても、他にも色々とやりようがある。
今まで慎重に動いていたとされる奴らが、まだ時期早々と思われる今、何故此処まで
事を大きくするのか?いや、今回のは政治の昨日を停止させるというよりも………



その時、蒼麗の中にある考えが浮かぶ。







まさか……






「いや、まさか……でも、もしそれが狙いならば……」


「蒼麗?」



蒼麗が口を手で覆う。



「何てことっ?!それが狙いならば、早くこの場を治めなければエネルギーが
蓄えられてしまうっ!!」


「エネルギー?……っ?!まさか、奴らの狙いは!!」



黄葉もその考えに行き着いた。


宮城。此処は彩雲国の政治の中心。しかし、それだけではない。


もし、奴らがこの場をそれだと知っていた上で、この様な事態を引き起こしたのであれば……



政治が止まる以上にとんでもない事が起きる。



蒼麗と黄葉の顔色が蒼白へと変わった。







―戻る――長編小説メニューへ――続く―