〜第三十二章〜召喚〜









眩暈がした







――なんてもんじゃなかった。








まるで脳が高速回転をし、目の前で閃光弾が100個爆発したかのように眩しくグルングルンしていた。
しかも、頭の上ではヒヨコがピヨピヨとコサックダンスを踊っている――と思う。






絶対何処かの塔の最上階から落下したと思う様な強い衝撃に、蒼麗は暫し
立ち上がれなかった。







(って……葉ちゃんのバカぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!)








せめて、行くとしてももう少し中の状況を確認してから……。




空間が大きく歪み、中に入った瞬間、床が消えた。巨大……大きな穴。
そこが全く見えない暗い穴に、蒼麗は死に物狂いで戻ろうとしたが、既に背後の扉は
きちんと閉まっていた。お陰で、近くに掴むものもなかった為、蒼麗は重力に従って
そのまま落下していった。







そして――








何かにぶつかって落下が止まった。





暫く意識が朦朧としていたが、それでも意識が戻ってくると、感触から何か柔らかいものの
上に乗っているのが解る。――が、手足に触れるのは紙のようなものだ。
薄く目を開けると、周りには崩れた本棚が幾つもあり、また足の踏み場もないほどに、
書物や紙が散乱し、所々では山の様に積もっていた。けれど……やはり、空間が
可笑しいのだろう。自分が黄尚書と共に外に出るまでの府庫の中とは違い、辺りが異常に
広かった。壁も天井も見えず、周りは暗い。なのに、自分の手足ははっきりと見えるし、
周囲に何があるのかも解るから不思議である。
きっと、空間の歪みが視界にも大きな影響を及ぼしているのだろう。





(こんなことにならなら……あの時、府庫に入るのを止めれば良かった……)





黄尚書と紅尚書の2人と共に、秀麗を探して府庫に入ったあの時に感じた奇妙な感じ。
それが、この前触れを示していたかどうかは残念ながら自分には解らない。
けれど、嫌な感じがしたのは事実であり、それを何かの虫の知らせととって黄尚書と
紅尚書だけでも中に入れるのを阻止すればよかった。お陰で、中に居た可笑しくなった
邵可達に襲われ、ようやく外に出れば聖宝によって外は大混乱に陥っていた。
しかも、その聖宝を手に入れたのは彩の教団らしく、事態は余計にややこしくなっている。






『お前は行き当たりばったりなんだよ。ったく、もう少し状況判断能力を身に着けろ』






あの恐ろしく美しい美貌をもつ許婚の言葉が思い出される。
確かに、あの時にもう少し思慮深くしていれば此処まで酷くならなかったかもしれない。
けれど、もう言っても後の祭り。今はやれるだけの事をしなければならない。



「――つぅ……ようやく痛みに慣れてきた……」



痛みが少しずつ退いて行くのを感じ、蒼麗は両手を突っ張って体を起こす。
膝が、何か下にひいている柔らかいものにめり込んだ。瞬間、ぐぇぇ……
蛙が潰れたような音が聞こえた。





「はい?………………………………………………………って、
はいぃぃぃぃぃっ?!






蒼麗の体の下になっていた柔らかいもの。それは―――――








蒼〜〜〜〜〜〜〜〜麗〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぃぃっ?!








うきゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!








全身
血まみれ虫の息、けれど眼光だけは人を殺せるレーザー光線黎深様だった。





泣く子も黙る朝廷恐怖の氷の長官たる紅 黎深を下敷きにした挙句踏みつけた。
周りが聞けば泡吹き失神そのまま昇天ものの行為を行った蒼麗は大物かもしれない。
が、蒼麗自身はそんな事よりもかなり常識的に人を下敷きにした事に対して慌て、
謝罪に走った。







「ご、ごごごごごごごごごごごめんなさいっ!!」






急いでよけると、土下座で謝る。あんなに高い所から落ちて下敷きにしてしまったからには
内臓の破裂とか……。しかし、見た所それはないようだった。よっこらせ、と起き上がった
黎深は所々傷ついて類が、蒼麗の落下によっての傷は幸いにも見当たらない。


実は、それも全ては蒼麗が持っている風を操る風雅刀がとっさに力を発動させて、
見た目や音よりは、衝撃を最小限にした事によるものであったが、残念ながら蒼麗は
それに最後まで気がつくことはなかった。当然ながら、黎深も。







ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴとバックに巨大且つ禍々しいオーラを放ち仁王立ちする黎深に、
蒼麗は謝罪し続ける。








「ごめんなさいごめんなさいごめんんさいごめんんさいごめんなさい!!」




申し訳なさ過ぎて顔も上げられない。すると、ふっと禍々しいオーラが消えた。


不審に思い、顔を上げた蒼麗の目に映ったものは――






ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!黎深様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!







彼は倒れていた。






「黎深様、うわ、ど、どうしようっ!!」




急いでかけより、体を抱き上げる。早く止血しないと。
今も流れ続ける血が、失血によって白くなった肌とあいまり不気味なコントラストを作り出す。



「そ、そうだ!!確か、葉ちゃんから貰った鞄の中に――」







ヒュンッ!!







後方から風を切る音。反射的に首をすくめると、その上を小刀が通過していく。
ドスッ、という音と共に木で作られた本棚へと突き刺さった。




「なっ?!」




驚き、振り返る。渦巻き眼鏡の奥に隠れた瞳が大きく見開かれた。
何故ならそこに居たのは…………









「……絳…攸……様………」






ふらりと立つ絳攸。その感情の消えた眼差しと顔は、最初に自分達を襲って来た時と
全く変わっていない。違うのは、纏う衣服は所々しわになり、血に塗れ、握り締める小刀も、
同じく血に濡れていた事。血がこびりついてなお、鈍く不気味に光る小刀に、蒼麗は息を呑む。



「絳攸……様………」




蒼麗はもう一度名を呼んだ。と同時に、黎深を抱く手に生ぬるい感触が走る。
見れば、黎深の塞がっていない傷から血が流れ出していた。




「黎深様――っ?!」




慌てて止血をしようと傷を良く見た――その時だった。蒼麗はある事に気がついた。
それは、黎深の体中に走る傷の形状。それが全て、刃の短い小刀の様なもので
付けられたものである事を――。そう……既に塞がった傷、そして新しく未だに血を
流し続ける傷も全て――。顔から血の気が引いていくのを感じながら、蒼麗は視線を
絳攸に戻す。その血まみれの手に握られた小刀。
固まらず、血塗れた刃先から滴り落ちる血。余りにも鮮やかなその色は、
正に鮮血に近しいといっていいもので……………鮮血?




瞬間、蒼麗は悟った。




自分が此処に来る直前まで、黎深は絳攸と対峙し、そして傷つけられていたのだと。






「そんな……」





邵可でなかった分まだマシだが、それでも最悪の組み合わせである。
黎深が抵抗できない相手なのだから。見ていれば解る。黎深がどれほど養い子を
愛しているのかを。だからこそ、此処まで傷つけられたのだろう。劉輝や静蘭、楸瑛であれば
黎深は相手を殺す勢いで抵抗する筈だ。それによくよく見れば、抵抗する際に出来る
掌の傷や腕の傷が殆どといってない。よって、殆ど無抵抗の状態で切付けられたのだろう。
たぶん、自分が此処に落ちてくる直前まで。



「一体……っ?!」



ゆらりと絳攸が動く。蒼麗が反射的に懐から風雅刀を取り出す。
次の瞬間、絳攸の小刀と蒼麗の風雅刀が音を立てて交わっていた。
金属の打ち合う音が暫し続き――刀が弾かれる音が響く。






ドス、ドスドス!!






本棚に突き刺さる数本の小刀。打ち合いに負けたのは絳攸の方だった。




「っ!!絳攸様……お願いですから止めて下さいっ!!」





蒼麗は必死の思いで叫んだ。



既に、絳攸が可笑しくなっているのは疑いようのない事実。
けれど、一体何故そんな事になってしまったのか?
大切な養い親までもこのような目に合わせるなんて!!
しかも、絳攸は今も血塗れとなった黎深に対して眉一つ動かすことがない。
余りにも見事な感情の制御。もし、操られているとするならば、高度な術だ。








――操る?









蒼麗は注意深く絳攸を見る。



感情のない顔、瞳、その動きはおおよそ文官のものとは思えない、超人じみた動き。
けれど、見れば見るほど蒼麗には、絳攸の体に糸が絡んでいるように見えた。
操り人形を操る見えなき傀儡の糸が――――




「もしかして……」





何かに操られている?







ヒュンッ!!






第二波の小刀が飛んでくる。それを急いで打ち落とし、大きく刀をふって絳攸を叩き飛ばすと、
蒼麗は黎深を肩に担いで重なって倒れている後方の本棚の影へと隠れた。
黎深を降ろし、静に絳攸の動向を見守る。かなり深く入ったのか、暫く起き上がれない
ようだった。また、この空間の何処かに居ると思われる劉輝達の気配を探るが、
どうやら近くには居ないようだ。蒼麗はほんのつかの間ではあるものの、出来た合間に
ほっと息をついた。




「……でも、どうしよう……このままでは絳攸様をどうにかしない限り動くにも動けない……」




蒼麗は黄葉から貰った鞄から包帯と消毒液を取り出し、呟く。
一体どうしたら良いのだろう?もし何かに操られているのであれば、下手な事は出来ない。
黎深の止血を手際よく行いながら、蒼麗は考える。



「今、この近くに絳攸様以外は居ないのが幸いだけど……」



黎深の止血が終わると、蒼麗は風雅刀を見詰める。
幾ら風雅刀が風を操る力を持つ刀とはいえ、その力をそのまま直接開放するには
いかなくなった。力加減を間違えれば、絳攸の体を切り刻むどころかバラバラに
してしまうかもしれない。なんとかして、無傷で捉えなければ。
抵抗を一切しなかったであろう黎深の為にも――。





「う〜〜ん」





蒼麗は考える。風雅刀は風属性の刀。風でどうにか……………できるかもしれない。




「召喚が上手くいけば……」




風雅刀の別の使いよう。それは、同じ属性のものを召喚する特殊能力を持っている事だ。




「一か八か」




蒼麗は風雅刀に力を込めた。すると、蒼麗の周りを柔らかい風が包みだす。
その風が煽り、前髪で隠れた額を露にする。








この世の自然を司りし精霊。その頂点に立ちし四大元素の一つたる風よ。我が名は蒼麗。
精霊達の都――精霊界と全ての精霊達を統べし皇――精霊皇と契約せし者。
我が名に応えて来たれ、この刃に宿れ!!









蒼麗の声が朗々と響く。すると、辺りに風が吹き始める。その風はどんどんと強まり、
範囲を狭め、凝縮していく。そして終に、蒼麗の前に凝縮した風が人型をとった。
最初は透明。けれどどんどんと色づき、最後にはなんら普通の人と変わらない姿となる。
唯一つ違うのは、その人物が宙に浮き風を纏っていることだろう。
身に纏っている衣服の裾や袖が靡く。






『そなたが我を召喚せし者か?』






美しき容姿を持ったそれは厳かに言う。時折、長い髪をかき上げる様はなんとも艶かしかった。
精霊には美しいものが多いと言われるが、それは目の前のそれを見ても明らかだろう。
しかもこの精霊は女性らしい。その衣服の上からでも解るぼんっ、きゅっ、ぼんっ
豊満な肢体に至っては、常人の男であれば見たが最後、その欲を大いに掻き立てられ
全てを捨てでもその存在を欲するだろう。蒼麗はそんな魅惑的な体つきに、自分の妹や母、
そして周りの女性達の肢体を思い出し、少々悲しくなる。
因みに、手は自動的に自分のまっ平らな体を触っている。それが胸に触れ、すとんと下に
行く様はなんとももの悲しい。しかし、直に頭を振って忘れることに勤める。
今はそんな場合ではない。そうして、時折悪戯好きで何事にも囚われない自由を愛する
気質を持つ美しき風の精霊の問いかけに、蒼麗は大きく頷いたのだった。



「はい、私が召喚しました」



『そうか……それで、名はなんという?』



「……さっき言いましたが」



『すまん。途中からしか聞いておらん。実は少々取り込んでいてな……恋人との
ランデブ――に勤しんでいて』





ランデブーって何よ!とは、蒼麗は突っ込まなかった。




少々の事は気にせず、何時も楽しく行きる。それは風の精霊の性質の一つ。
元々、風というものは同じ場所に留まる事は殆どない。それと同じ様に、一つの事に
捕われず、自由気ままなのだ、風の精霊と言うものは。故に、人の話をじっくり聞くと言う事を
しない事も多々ある。けれど、本人達には至って悪気はない。
そういうものなのだ、風の精霊は。けれどこんな風の精霊でも、愛する存在を見つければ
一途に追いかけ、心を受け入れてくれる様に努力するから不思議である。
それに、一つのものに捕われないくせに、伴侶と決めた相手は決して裏切らず、その者だけを
愛する。それは、全ての精霊達に共通のものである事だが、風の精霊達にも当てはまる
ことらしい。だから、精霊は愛するものを見つけると、そちらに全ての重点を置く。
勿論、自然を司るという仕事も当然ながらしっかりと行うが、召喚などについては
二の次となる。よって、今回のように恋人との逢瀬の時に呼んでしまえば、
話を聞いていないなんて事も……。



そんな精霊の性質を知っていた蒼麗は、苦笑しつつもう一度名乗ることにした。







「私の名は蒼麗。精霊界と全ての精霊達を統べし精霊皇と契約せしもの」







―――――――っ?!






それまで艶美な笑みを浮かべていた精霊の顔が、驚愕に彩られる。




『そ、そな……た……今、なんと?』




精霊皇……ですって??




その言葉は、風の精霊にとってまさに青天の霹靂であった。





全ての精霊達の故郷とも言うべき自然に満ち溢れた美しき精霊界。
といっても、全ての精霊達がそこで生まれ出るわけではない。しかし、精霊の故郷たる
精霊界が消えれば、他の世界の精霊達も生きてはいけない精霊達の聖域ともいえる場所。
そこを、そしてその他の全ての精霊達を統べし存在――精霊皇は、まさしく精霊達の頂点と
立つ者。それと同等の地位は、その妃となる精霊皇妃唯1人。
そう、精霊皇とはその妃と共に、数多くの種族がいる精霊達を統べし統括者の火、水、風、土
の四大精霊の唯一上に立つ至高の存在っ!!国でいう所の王というべき存在であった。
精霊皇と皇妃は民を愛し、其々の精霊達の種族の調和を図る。所謂、バランスを保つ力を
持っているのだ。そしてその精霊皇の代替わりは、全て親から子への世襲制で行われる。
つまり、その血を引くものだけがその地位につき能力を受け継ぐのだ。故に、精霊皇と皇妃、
そしてその能力を受け継ぎし血脈が消滅すれば、精霊達のバランスは崩れる。
唯一の例外は、世界を造りし2人の神の指名だけ。
これが行われると、血脈も関係なく精霊皇を新たに作り出せる。
しかし、それは滅多に行われない。それは、精霊皇と皇妃が優れている事を意味する。


だが――そんな長きに渡ってなかった指名も、遥か昔のあの日、行われる事となった。
それは、前代の精霊皇とその伴侶が不幸にもその命を落とし、消滅したからだ。
その為、精霊界は長い間氷に閉ざされ、外の世界の精霊達もバランスを崩し、
世界は恐慌状態へと突入した。そんな時代に終わりを告げたのが、現在の精霊皇と皇妃の
就任だ。相思相愛にして深い絆で結ばれた2人は、その高い能力と精霊界を思う強い心、
そしてそれまでの多大な功績に、2人の創世神によって指名された。
新たなる精霊達の皇と妃として。そうして長い年月が過ぎ、現在。新たに指名された
精霊皇と皇妃は今までの中でも特に優れた賢帝と賢妃と名高く、多くの精霊達が慕っている。
また、自分も――。蒼麗は、そんな2人と契約を交わせし者。


現在、精霊皇と契約を交わしている者は、片手の指の数にも満たない。
それは、精霊皇ともなれば、契約する方にも高く厳しい基準を求められるからだ。
まあ、唯一の例外もあるが、そちらは滅多にない。故に、精霊皇と契約を交わすものは、
精霊達にとっても憧れ者であり、その者と自分も契約をしたいと願うのが常識にもなっている。
また、精霊皇の妃や、その子女の場合でも然り。





『そなたは、精霊皇様との契約を交わしたものなのかっ?!』





「はい。正確に言うと、精霊皇様の正妃様やその子息令嬢とも」




風の精霊は意識を失いかけた。
精霊皇との契約だけでも大変なのに、それと堂々の厳しさである妃やその子息令嬢とも
契約をしている。これは、極上物の相手だ。



『よかろう!!我はそなたとの契約を結ぶ』


「有難うございますvv」



契約がなった。力なしだから駄目と言われたらどうしようかと思っていた。
契約してくれる精霊にも矜持がある。そのため、ある程度の力を有していなければ話すら
聞いてくれない。自分の場合、その力なんて殆どない。いや、正確に言えば、能力はあるが
封印されていて使用不可となっているのだ。だから、駄目といわれるかもしれないと
思っていた。よって、余計に嬉しさが増す。




『さて、となれば契約の犠を行おう』




美しき風の精霊の言葉に、蒼麗は頷く。二人の周りに風が渦巻き始める。
最初は緩やかに。けれど次第に風は強さを増し、2人の周りを回り始める。陣を描く為だ。
そうして陣が完成すると、風の精霊は宣誓する。





『契約を行おう。我が名は風祢・ジン・ウィンディー。いまより、我が主――蒼麗と契約を結ぶ。
これより我が名を呼びし時、我はそなたに力を貸そう




我が名は蒼麗。これより、風の精霊――風祢・ジン・ウィンディーとの契約を結ぶ。
我が声がその名を紡ぎし時、召喚に応じる事を求める







タタタタタタタタっ!!





こちらに向ってくる足音が聞こえてくる。続いてそれは跳躍し、手にした小刀を此方に放つ。
それは一直線に蒼麗に向う――






バシィッ!!






正確無比に蒼麗を狙って飛んだ小刀。それが、弾き飛ばされる。続いて、蒼麗達を取り巻く
風の一部が鞭の様にしなり、攻撃を加えてきた存在――絳攸の体を弾く。
自然を司りし精霊の強大な力の前に、唯の人間である絳攸の体はあっけなく地面に
叩きつけられた。だが、ほどなくして立ち上がる。叩きつけられる際、一流の武人並の受身を
取ったのが功を奏したらしい。再び、手に新たな小刀を握る。それを放とうとした時だった。



目の前で巨大な渦巻きとなっていた風が収まっていく。強く大きな渦で隠されていた中の
人物の姿が露となる。最後の一風が、その人物の黒い髪をたなびかせた。
その姿に、絳攸は思わず見惚れた。感情を失い、養い親を傷つける事さえ厭わなかった
絳攸にとって、ほんの一時だけ感情が戻ったともいえるべきそれ。しかし、やはり完全に
支配から逃れられず、再び心は闇に飲まれ無となる。





『用意はいいか?』






絳攸の目の前に悠然と立つ少女に、風祢は聞く。
それに、蒼麗は握り締めた風雅刀を前に構えることで応える。





はい!!





己の後方で横たわる黎深も、風弥が張ってくれた風の結界によって守られている。
後は、自分が全力を尽くすだけ。蒼麗の力強い応えに、風祢は厳かに笑った。
再び、蒼麗の周りを風が渦巻く。
それは、守護する者を勝利へと導く歓喜の風――







行くぞっ!!







風弥の声がその場に響き渡った――








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