〜第三十七章〜罪悪感&カップル成立?!〜






彩八仙の為に作られた宮――仙洞宮。
人気のないこの宮を始めて見た時、蒼麗は寂しいと思った。誰も居ない、何の音もない、
唯――静寂と無が支配する聖域。そこは本当に神聖で、それらの類のものが
居るならば絶好な場ではあったが……蒼麗は一生好きにはなれないと思っていた。
この宮の創造主たる縹家の事を除いても――





しかし――







今、そこには大勢の人々が居た。






扉を開け放ち自分の無事を伝えた後、蒼麗は助け出した者達を降ろさずにキョロキョロと
辺りを見回した。その多くは武官らしく、鎧を身に纏っていた。
しかも、どうやら羽林軍の者達らしい。流石は羽林軍!!此処まで無事に辿り着けるなんて。
――と、そこで蒼麗はそれに気がついた。野郎ばかりいるこの部屋の中心に立つ1人の
可憐な女性。しかし、その女性は女性物の美しい装いに似合わず、鈍い銀の光を放つ
抜き身の短刀を握っている。……なんで?







―――――――はっ?!









「も、もしや羽林軍の人達がその女性の方が余りにも美しいから集団セクハラなんて!!」









「「「「「「「「「「「するかァァァァぁぁぁぁぁぁぁぁ
ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!!!
!!!!」」」」」」」」」」」」」












羽林軍所属の武官達全員の怒鳴り声が部屋に響き渡った。
加えて、声と共に衝撃波まで発したのか、蒼麗の軽い体は吹っ飛んだ。
それでも華麗に着地すると、大きく首をかしげた。




「じゃあ、なんで
「今にも自害します!!」といわんばかりに短刀が握られてるんですか?」




そこで、一同ははっとする。








わ、忘れてた!!








蒼麗が来るまでの緊迫感が戻ってくる。
そして、それは短刀を握り締める女官――奉明も同じで……





「くっ!!」





短刀を即座に首に当てる。




「奉明っ!!やめっ」




「白大将軍の仰るとおりです、止めて下さい」




気づけば、自分の手首はしっかりと突然現れた少女に捕まれて短刀を首から離されていた。
驚き、抵抗するが、捕まれた手首は動かない。奉明は驚きに目を見張る。
自分の手首を掴むのは、幼い少女。武官などではない。なのに……何故っ?!




「蒼麗、この女子は」




声をかけたのは、少し離れた場所で眠り続ける黎深達の傍に立つ1人の女性。
先程蒼麗と共にやって来た者だ。そして今現在、この室に居る多くの男達の視線を
一身に集めている存在でもある。




が、仕方がない。




その女性の美貌は可憐な美女と謳われる奉明の比ではなかった。
腰まで流れる艶やかな黒髪。悪戯好きな光が宿る薄青の瞳。美貌は咲き誇る大輪の
薔薇の様に麗しく、青白くさえある肌は一点のシミもなく、絹の様な触り心地さえ伺えた。
また、身に着ける衣装は清純な印象のものなのに、それに包まれる豊満な肉体の
艶めかしさを隠すどころか逆に強調するようだった。常人の男ならはまず抗う事の出来ない
美女――それがこの女性、風祢。
その人とは思えないほどの色香と美貌に男達は一斉に生唾を飲み込む。



手に入れたい………そんな男達の心の声が蒼麗には確かに聞こえたと思った。
危機的状況にありながらも、蒼麗は男達の思いに思わず苦笑する。





(仕方ないか……確かに風祢さんの美しさは人とは思えないからな……って、
本当に人じゃないけど)





正確に言えば、種族は精霊。
そして精霊は神や仙人と共に元々美形が多い種族とも言われている。
風祢はその中でも、極上の中の1人と数えられ、多くの男を虜にし、
加えてその才知から縁談も多かったという。
ゆえに、普通の人間であればその美貌に囚われてしまっても仕方がないと思う。



そんな事を考えていすると、風祢が近づいてくる。蒼麗は笑いを消した。










女性がゆっくりと蒼麗に近づくと、身を屈め、耳元で何かを囁く。



「そうですか……ですが、奉明さん。それは貴方のせいではありません」




「な……」




奉明は目を見開いた。





この少女……自分が何をしたのか……………知って――






「でも、その言葉で救われるのであればこんな事しませんよね。解ってます。
人を傷つけた苦しみはそう簡単に癒える物ではない。苦しくて、本当に辛くて……
ましてや……自分の意志によらないものでは」



奉明の瞳から涙が溢れ出した。
蒼麗の言うとおりだ。苦しい、辛い、今すぐこの命を終わらしてしまいたい。
それで傷つけた事実が無くなるわけではないけれど……。奉明は少しずつ思い出していた。
自分が……多くの者達を手にかけた事を。異形と化し、見知った者達を傷つけた事を。
知らなければ良かった。忘れたままでよかった。
けれど、知ってしまった今、もうどうしようもない。



「でも、何度も言いますが、貴方のせいではありません。確かに直接傷つけたのは
貴方。けれど、他人に強制された事によってのものです」




「で、でもっ!!」




「それに死んでしまってどうするんですか?死んだって傷つけた事実がなくなる
わけでもない。傷ついた人達が回復するわけでもない。それに、他の方達だって貴方達が
可笑しくなった事は解っていると思います。ですから……貴方達だけを責める事はしないと
思います。それに……被害者が加害者に代わっている場合もありますからね」



化け物と化した者に襲われた者も化け物と化す。それは……感染でも伝染でもない。
傷つけられた事によって肉体が弱まり、元から持っている霊力を体の回復に自動的に
回されることによって知らず知らずの内に霊力によって作り出されていた護りが弱まるからだ。
そう――久音睡嵐によって化け物と化す者とそうでないものの違いは、全ては其々が持つ
霊力の高さによるものだ。霊力が弱ければ即座に化け物と化し、逆に霊力が強ければ護りに
守られて中々化け物と化さない。


蒼麗は奉明を抱きしめると、更に優しく言った。死んでもどうにもならない。
貴方の罪じゃない。けれど、その上でどうしても貴方の罪だというのならば、償いましょう――と。
驚きに目を見開く奉明に、蒼麗は償いの方法を告げる。




「私に力を貸してくださいますか?」




傷つけたのならば、それと同じ、いや、それ以上に癒せば良いと蒼麗は言う。




「癒す……?」



「はい。私はこれから他に傷ついた人達を探しに行きますから。だから、その人達の手当てを
お願いします。きっと皆さん沢山怪我を負っていると思われますから」



できますね?と蒼麗が奉明を見詰めた。
そのまっすぐな眼差しに、奉明は耐えられなくて俯いてしまう。





(……そんな事……私に……出来るだろうか……)





奉明は自分の両手を見詰めた。この両手で多くの人達を傷つけた。
大量の血に濡れた手。この手で、人を救うなんて……でも。


奉明は思い出す。それは大好きな母が言った言葉。





『出来る事があるのにやらずに逃げ出す事こそ罪よ――』





罪。自分の罪は人を傷つけた事。それも、関係の無い人達を。
それは決して許されることの無い……けれど、もし此処で逃げれば
自分は更に罪を犯す事になる。そして……





(沢山人が死ぬ……)







それはあの時と同じ。




奉明が幼い頃の事だ。武術を尊ぶ白家では珍しく医師となった父が、
人手が足りずに傷ついた人達の治療を行う事が出来なかった事があった。
何故人手が足りなかったのか?いや、人手はあった。けれど……その者達はまだ
医師としては半人前で、大怪我を負った者達に躊躇したからだ。
流れ出す血に青褪め、血止めすらしなかった。父も、他の患者達に手がかかり
直には来れなかった。そうして、父が来た時には患者達は死んでいた。
出来る事があるのに……それをしなかった者達のせいで――



奉明の脳裏に、治療もされずにほったらかしにされて死んでいった
家族達の泣き声が思い出される。



絶対にそうだとはいえない。けれど、それでも治療すれば助かったかもしれない。
そしてそれが出来たのは医療の知識を持つもの。既に普通の者には如何こう出来るような
傷ではなかった。だからこそ、医師の知識を持つ者の働きは大きかった。
なのに……その知識を持った者達はそれを使う事を拒否した。怖かったから、もう駄目だと
思ったから……そんな言葉を嘆き悲しむ患者達に言った半人前の医師達。
彼らは即、解雇にされ白州州都から追放された。






『私にもっと力があれば……』







そうして泣いていた父。父のせいではない。父はやれる事は全てやった。



やっても出来ない事があるのだ。それは仕方が無い。







全てが出来ると思うこそ傲慢なのだから








でも……やれる事があるのにしない事は――――罪








そして今、自分はやれる事をやらずに罪の重さに償う事もせずに逃げようとしている。





「奉明さん、力を貸してください」




ハッと顔を上げた。
蒼麗の眼差しとぶつかる。何処までもまっすぐで深い眼差しは一転の曇りも無くて……。






(私は……)






奉明の中に幾つ物葛藤が生まれる。


医師の娘として生まれ、一通りの知識はある。それを使って人を助けたい。
そして――人を傷つけたお前が人を助けるだなんておこがましい。
その血に濡れた手で何が出来る――と。




蒼麗は優しく罪ではないと言ってくれた。奉明はその言葉にいくばかりか心が軽くなった。
けれど……まだまだ罪の意識は強い。今もどんどん思い出されていく自分が起こした惨劇。
彼らは死んでしまったのだろうか?自分が傷つけた彼らは……。








―――――――――っ?!











脳裏に、傷つけられた者達の絶望と苦痛の顔が蘇る。赤い血に染まった彼らの姿が………









奉明の心が…………沈み始める









諦めという海の中に








赤い、赤い、沢山の血。あんなに……沢山っ!!





きっと……彼らは死んでしまったに違いない。
だってあんなに沢山傷つけられて、血を流して。そしてその失われた命は他の者達を
助けたって戻ってきやしない。その罪はどんな事をしたって償う事は出来ない。








『出来る事があるのに何もしない事こそ罪よ――』








再び思い出される母の言葉。けれど……







「すいません。この傷、手当てしてくれませんか?」





突如かかった声。蒼麗の声とは違うそれに、奉明はふらりと後ろを向いた。



そこに居たのは……







「麟騎……様?」







美青年という程ではないが、それなりに整った容姿を持つ――白大将軍が配下の1人、
澪 麟騎。まだ二十代前半にも関わらず、国試上位及第可能な頭脳と、高い武術の才、
そして真面目で努力家の性格から楸瑛と同じく出世街道を進んでいる青年だった。
そして、家柄も彩七家には及ばないが良家の出であり、その為女官達からも絶好の
婿がねとしてリストアップされている人物でもあった。
奉明も女官として上がってまもなく武官として白大将軍の下につく事になった麟騎を
影で慕っていた。


その、慕う人物が今目の前に居る。





「麟騎……様……何故?」





何故此処に居るのか?そんな問いに、麟騎は優しく笑った。




「丁度化け物に襲われた時、白大将軍や他の人達と一緒にいて、此処まで
逃げてきたんですよ」



貴方を抱きしめてね。




「え……は……はぃ?!」



「化け物が降ってきた時は驚きました。同僚が傷つけられていく中、必死に戦って……」




麟騎の言葉に一度は恥ずかしさに顔を赤らめたが、化け物の話に到ると一気に青ざめていく。
だって、その化け物は……自分は麟騎まで傷つけてしまったのか。
麟騎の腕に残るその生々しい傷跡に奉明は涙を零し始めた。




「でも……貴方が無事で良かったですよ。苦労したかいはありました」



「へ?」



「私が一番最初に貴方だと気づいたんです。ですから直に他の人達にも牽制させて……
傷つけかけた馬鹿は殴って……それでも傷つけたくなかったんです」


「え、あの」


「どうやって止めようかと思いました。出来る限り傷をつけずに助けたかった。
だから……不思議な光で貴方が気を失った時、直に抱えて走り出したんですよ。
安全な場所に運ぼうと思って」


「あ――、確かにお前が一番最初に走ったな」



上司である自分から奉明を掻っ攫い、さっさと走り出した部下。
そしてまだ動けずに居た自分達を叱咤し、安全な場所へと向う事を決意させた。


何時もは本当に物静かでニコニコとしている真面目一直線な男だったから、余計に驚いた。
けれど……自分の従兄妹を――奉明を大切な宝物の様に抱きしめている姿を見て、
白大将軍はもう何も言わなかった。まだ化け物と化していた時だ。何時目を覚まして
襲い掛かるか解らない。麟騎だって奉明に傷を負わせられた。
けれど……彼は決してその手を離さなかった。銀河と緑翠が化け物化を解く時ですらも……。


そしてその姿は――化け物と化して自分達を襲ってき奉明に少なからず悪感情を
持っていた者達の心をも溶かすほどで……。


といっても、元々部下達も奉明が悪いとは思っていなかった。
周り全てが可笑しくなり、沢山の化け物達が襲い掛かってきた。
そして逃げる途中に自分達は見た。傷つけられた他の者達が、
化け物と化して他の者達を傷つけるのを――



後で、化け物となるのは霊力の高さによって変わると葉医師から聞かされた時には
全員が絶句した。もし、傷つけられれば、いや、霊力が元から低ければ……
自分達だって同じ事をしていただろう。皆、何時でも加害者に変われたのだ。
自分の意志がどれほどそれを拒絶しても……。


だから……麟騎が奉明に真実を告げないと言った時、皆は同意した。
奉明は一歩間違えれば自分達だったかもしれない。
そしてもし自分達がそんな事をしたと解れば……それ故に、皆口を噤んだ。
服を着替えさせ、血を洗い流し、秘密にした。


けれど……聡い少女は気づき、命を絶とうとした。本当にショックだった。
そして死んでほしくなかった。





「走って、走って……沢山走りました。もしかしたら鍛錬よりもきつかったかもしれませんね」




自分の腕に大切な存在を抱えて走る。
その重みが、どれほど心強くて……どれほど失う事を怖く思ったか。
走っている間に考えた。優しい彼女の事だ。元に戻った時、彼女はどう思うだろうか?
命を絶ってしまわないだろうか?そしてそれを自分が止められるだろうか?
いや、それ以上に化け物と化した姿からどうすれば救ってやれるか。




「けれど……天は見捨てなかった。銀河様と緑翠様が私達を助けてくれた。
そして、貴方を元に戻してくれた」



「麟騎様……」



「沢山苦労しました。怪我もして、化け物から逃げて、それでも命からがら此処まで来たんです。
なのに、貴方は命を絶って……その努力を無に帰すつもりですか?」





「――――っ?!」






奉明が言葉を失った。彼らは……此処に居る者達は皆自分を嫌っていると思った。
だから、死んでほしい。そう思っていると……。口ではどう言おうと本心が違う事は多々ある。
自分の死こそ皆が願っていると思った。なのに……麟騎は命を絶つ事を責めている。



呆然としながら……奉明は麟騎の真摯な眼差しから逃れるべく
無意識に周りに目を向ける。





そして――更に驚いた。






自分を見つめる周りの者達の瞳には優しさがあった。
どうか死なないで……そんな声が聞こえてくる気がする。
いや、声に出している者さえいた。死なないで、死ぬな、死んでどうする。
彼らは奉明が生きる事を望んでいる。死ぬのではなく、生きて罪を償う事を――。
その彼らは皆、化け物と化した自分に襲われ、中には深く傷ついた者さえいるというのにっ!!





「奉明!!お前が悪いんじゃないっ!本当に悪いのはお前や他の奴らを
化け物と化させた奴らだ!!負けるな、此処で死んだら負ける事になるんだぞっ!!
何でお前が死ななきゃならないんだっ!!」





従兄妹が――口は悪く短気な一面もあるが、優しい白大将軍が叫ぶ。





「これでも……貴方はまだ死を望みますか?」





麟騎は静に告げた。




「――――っ」




「体の傷なんて跡は残っても直に癒えます。心の傷は消えにくいですが……沢山の喜びや
幸せを経験すれば、消える事は無くても直に薄れていく。人は生きていく上で幾つ物障害に
ぶち当たり、大小さまざまな傷を負います。けれど……それでも生きなければ
ならないんです。特に、誰かを傷つけたならば……償う為にも――」




その言葉に、奉明の瞳から沢山の涙が零れ落ちた。そして心のままに泣き伏す。
けれど……周りは何も言わなかった。知っていたから。
それは今までとは違う……区切りを付ける為の行動。
彼女が再び顔を上げる時――その顔には涙は無いだろう。




「なんとかなったようじゃな」



「そうですね」




麟騎に任せ、少し離れた場所から様子を見守っていた蒼麗は風祢に相槌を打つ。
本当によかった。罪は消えたわけではない。けれど……奉明は自分の命を立つ事は
二度とないだろう。死なないでと思う者の存在を知ったから。
自分の命を惜しんでくれる者の存在を知ったから。
そして……自分を助ける為に尽力を尽くした者達の存在を……彼女は知ったから。



「それにしても……麟騎さんは優しいですね」



ほんわかと呟く蒼麗に、風祢はキョトンとする。が、直に爆笑に変わった。



「お、おぬし……あの男が本当に優しいだけであんな事をしたと思ったのか?」



「はい?」



「あははははははは!!くっ……まあいい。どうせ直に解るだろう」




未だに笑い続ける風祢に呆然としながら、蒼麗は首をかしげたのだった。










それから半々刻。ようやく涙が収まった奉明は笑った。
それは本当に綺麗な笑みで、風祢の虜となった男達ですら思わず魅了された。
が、麟騎の鋭い眼差しに慌てて下を向く。




「ご迷惑をおかけして申しわけありません」




奉明はぺこりと頭を下げた。
その仕草は年齢よりも少々幼く見えてとても可愛らしかった。


奉明が決意を露にするように話し始める。



「人を傷つけた事実は決してなくなりません。でも……皆さんのお陰で、私は生きて罪を
償う事に決めました。傷つけた人の数以上に人々を助けます」



一応、医者の娘なので応急処置は出来ると思いますと言う奉明に、白大将軍は笑った。
そしてぽんぽんっと優しく頭を叩くとわしゃわしゃと撫で始めた。





「その意気だ、奉明!!流石は俺の従兄妹だ」



「そこが不思議ですよね。どうやったら白大将軍を作り出した血から奉明殿のような
愛らしい少女が作り出されるのやら」









麟騎ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ
ぃぃぃぃぃぃっ!!










すらすらと言い切る麟騎。実は彼、かなりの毒舌家でもあった。
相手が誰であろうが蒔かれる毒に、楸瑛すらも時に背筋が冷えるとか……。




「で、奉明殿。この怪我を治してくれますか?」




奉明の前に差し出される麟騎の腕。血は止まったが、まだまだ癒えているには
程遠いのその傷に、奉明ははいっと力強く頷いた。その瞳は、女官のものではなく、
医師としてのもの。葉医師から貸して貰った包帯を片手に、てきぱきと麟騎の腕を治療していく。



「……麟騎様」



「何でしょうか?」



「謝ってもすまないと思いますが……本当にごめんなさい……私の…せいで……」


「気にしないで下さい。武官でありながら傷を負った私が到らなかったんですから」



「でも……」



「ふふ……優しいですね……でしたら、罪滅ぼしもかねて此処に名前を
書いて下さらないですか?」




麟騎はにっこりと笑って懐から一枚の紙を取り出す。




「これで全てチャラです」



「え、あ、はいっ!!」



憧れ慕う麟騎からの言葉、そして申し訳なさで一杯になっていた奉明は勢いよく頷くと、
たいして書類の中身も確認せずに己の名を書き込む。そして言われるがままに捺印までした。



「これでいいんですね?」



「はい。素晴らしいです。これで私達、夫婦ですねvv」




麟騎が奉明を抱きしめた。





場が静まり返る。











夫婦?夫婦?夫婦?夫婦?夫婦ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ?!













「「「「「「「「「「「「「「「「「なんだとぉぉぉぉぉぉぉ
ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ?!!!!」」」」」」」
」」」」」」」」」」」」













「絶対に生き延びましょうねvvそしてハネムーンは私の実家がある藍州にでも行きましょう。
きっと両親も大喜びしてくださる筈ですvv」



奉明をしっかりと抱きしめてスラスラと言い切る麟騎。
今の彼は奉明を手に入れて有頂天だった。
何故なら……



「あ、あの、どうして、一体何故」



「何故って……愛する女性を手に入れて嬉しいのは当然じゃないですかvv」



「はい?」



「いやぁ〜〜、私が白大将軍の配下として働き出した頃、よく大将の元に来る少女に
一目ぼれしたんですvv勿論、それは貴方です、奉明殿。彩七家として誉れ高い白家の姫で
ありながら、高慢な所もなく何時も一生懸命に仕事をこなし表情豊かな貴方は本当に
魅力的だった。けれど……私は家が幾ら良家で貴族とはいえ、彩七家ではありません。
生活水準も劣るでしょう。ってか、私の場合は家からの援助を断っているので結婚しても
貴方に豊かな生活をさせてあげられるかどうか……だから沢山悩みました。
けれど……どうしても手に入れたかったんです。だからすいません、こんな方法を
使ってしまって」




貴方の素直さと罪悪感を利用した――そう告げる麟騎に奉明は驚きつつ、胸が一杯になる。
だって、自分が好きな相手が、相手もまた自分を好きだったといってくれた。
奉明は顔を赤くし、胸に顔を埋めながら小さく呟いた。







私も……お慕いしてました//////






消え入りそうなまでに小さい声だったが、麟騎はしっかりと聞き取った。
その顔に、幸せそうな表情が浮かぶ。奉明の唇に自分のそれを合わせる。




白大将軍の絶叫が響き渡った。








奉明ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ
ぃぃぃぃぃぃぃぃいいっ!!








大切にしていた従兄妹が目の前で自分の部下に奪われた。
その事実は白大将軍の鋼鉄の心を激しく抉った。確かに、何時かは彼女も嫁に行く。
それは変えようの無い現実。けれど……けれど、それでもこの仕打ちはっ!!







「俺の奉明が
男に誑かされたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!









「いや、既に夫婦になっているのだから誑かされたわけではあるまい。
それに、麟騎はしっかりした男だ。世渡りもあれで上手い。大丈夫だろう。
確かに彩七家には劣るが、それでも家柄も地位も十分にあるしな」






「そういう問題じゃねぇっ!!」






黒大将軍の慰め?に怒りのゲージを更に上げながら、白大将軍は喚いた。




「くっそ……この次の鍛錬の時は見てやがれっ」



「それで麟騎を再起不能にしたらお前――それこそ奉明姫に嫌われるだろうな」





「―――――っ?!」





「諦めろ。そして祝福してやれ。お前だって本当は知っていたのだろう?」



その言葉に、白大将軍は押し黙る。本当は――ずっと前から其々の気持ちは知っていた。
そして……化け物と化した奉明を抱きしめて走っているその姿に……この男ならば奉明を
一生愛しぬいてくれると思った。









でも、
でもっ!!











理解と納得は違うんじゃぼけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ
ぇぇぇぇぇっっっ!!!












そして男泣きへと走る。
そんな白大将軍に、ハンカチを噛んで時には祝福し、時には麟騎の幸せに
悔し涙を流していた武官達は一斉に後へ下がった。
怖い、怖すぎた。白大将軍が男泣きをするなんて……明日はきっと世界が滅亡するだろう。




因みに、今現在宮城がやばいので、そんな思いはかなり現実味をましていた。
英語で言えば実現の可能性が殆ど無い仮定法ではなく、実現の可能性がかなりある文法。






なんか、一気に生き延びる気持ちが萎えた一同だった。









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