〜第四十章〜道化師は恐怖を望む〜







「では、行って来ます」



そう言うと、蒼麗は武官達が休む室にある唯一の窓を開き、ピョンッと飛び出していく。
因みに――そこは三階。武官達は悲鳴を上げて追いかけるが、窓から覗き込むと蒼麗は
見事に高雅楼の直隣に聳え立つ大樹に飛び移り、スルスルと地面に降りてしまった。



これにはさすがの武官達も驚愕し、空いた口が塞がらない。




「さ、猿かよ……」



「ってかすげぇ身体能力だな……」



「確かにのう……で、葉医師。今更ながらの質問じゃが――あの少女は一体何者なんじゃ」




滅多な事では驚かない宋太傅も少女の身体能力の高さに舌を巻く。
葉医師は何処にでもいる普通の少女じゃと誤魔化すものの、
蒼麗の迂闊さに冷や汗をかいていた。
……どうやら鍍金が剥れてきたらしい。



(……あ、後で注意しておこう)




無駄だとは思うが。




(はぁ……こういう所だけは変わっておいてもいいんじゃがなぁ……)




しかし残念ながら変わらない。あの二人の青年と同様に――




(って、――
はうわっっっっっっっ!!




葉医師はそこで、突如とんでもない失態に気づいた。





(や、ややややややばいっ!!)





葉医師はすっかりと忘れていた。秀麗の事?いやいや。それはさっききちんと相談した。
葉医師が忘れていたこと――それは、あの二人の青年の存在を伝え忘れたことだ。




(や、やばいな……)




元々、蒼麗が此処に来ているのだからあの二人もそうしない内に来るだろう。
ぐらいは思っていた。が、此処まで早く来るとは思わなかった。流石は――。
と、思考はそれたが、とにかくあの二人の存在を蒼麗に伝えるつもりでありながら、
葉医師はすっかりとその事を今の今まで忘れさっていたのだった。
もし、予告無しで突如鉢合わせなんかてしたら……



葉医師はだらだらと汗を流した。それを不審に思い、宋太傅達が声をかけてくる。




「え?あ?な、なななななんでもないっ!!それよりも、問題はわしらじゃ」




葉医師は強制的に話題を転じた。
その内心では蒼麗に謝罪しつつ、まあ何とかなるだろうと自分の失敗についての
思考を強制終了しながら。




「問題じゃと?」



「そうじゃ。確かに此処は安全じゃ。が、だからといって完全に安心する事はできん。それに、
宮城にて化け物化せずに残っている者達を一人でも多く此処に連れてこなければ」


「確かにな。けど、幾らわしらとて余り遠くまで動き回れん」



殺す事の出来ない化け物達の徘徊する宮城内を、幾ら自分達とて長時間動きは回れない。
ましてや……武器の大半を失っている今では。化け物達に急襲された際、此処に逃げてきた
者達の8割が弓や槍、刀を失った。だから、もし戦いになれば殆どの者達が素手での
応戦となる。




「ああ。動けてこの宮を中心として半径100m未満じゃろう」




「じゃあ、組み分けして残るものと探しに行くもの、またこの宮の警護をする者達でも
選出するとするかのう」


「そうじゃな」


「と、なら紙とペンが必要じゃな。籤引きで決めるぞ」



そうして、残った者達が其々の割り当てを決める籤引き大会が始まったのだった。















ザシュッッッッッッッッッッッッッ!!






「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!珠翠様ァぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」






何時もは綺麗に結えた髪を振り乱し、血や泥でボロボロとなった美しい衣装を
身に纏った女官の一人が、目の前で起きた光景に悲痛な悲鳴を上げた。
またそれを皮切りに、傍に居た数人の女官達も次々と悲鳴を上げる。





「珠翠様ぁ!!」





女官の一人が目の前で自分達を守ろうとして切りつけられた女官長――珠翠に駆け寄った。
ショックからか気を失い、切りつけられた白い肩からは真っ赤な鮮血が流れ落ちる。




「珠翠様、しっかり!!」




珠翠を姉の様に慕う新米の女官は必死に抱き起こす。すると、
ジャリッと敷石を踏む音が
聞こえた。顔を上げると、殆ど離れていない場所に、その男は立っていた。
逃げ惑う自分達の目の前に突如現れ――珠翠を切りつけた男。珠翠の血に染まった
長刀を片手に無表情で立っている。



生温い風が吹き、男の解けた黒い髪がさらさらと靡く。




「……どう……して」



女官はその男を知っていた。珠翠と共に、仕事で何度か会いに行ったこともあるからだ。
紅家の姓を持ちながら、窓際として府庫の長を勤める男。何時もニコニコと優しく微笑みながら
訪れる者達を優しく出迎えてくれる。また非常に博識で、一部の最高官達から敬意と尊敬も
されている――聡明な人。








「……邵可様……」








紅 邵可――それが目の前に立つ男の名だった








しかし、今の彼には、何時もの優しげな面影は見る影もない。



優しい光を宿した瞳には冷たい光が。幾つ物書物を持つ手には刀が。
愛娘が仕立ててくれたという着衣には大量の血痕が付着している。




邵可が音もなく足を踏み出す。
近づいてくる血に濡れた銀の刃に、女官は珠翠を連れて後ろに後退しつつ必死に訴えた。




「――いです……お願いです、邵可様っ、止めて下さい!!」




それは血を吐くような叫びだった。






お願い、お願いやめて――






これ以上そんな事をしないで。自分達の為にも。そして――邵可自身の為にも。





しかし――邵可の歩みは止まらない。





「お願いです、止めて下さい……」




それでも尚、女官は――菊花は訴え続けた。





どうか、どうか――と。





けれど、そんな菊花の必死の思いを嘲笑う声が響いてくる。







きゃははははははははははははは!!無駄無駄無駄無駄あぁvv
そんな事でこの男は正気になど戻らないよ」







そう言うのは、何処からともなく現れた一人の奇妙な存在。菊花は驚きに目を見張った。
それは、突然現れた。それだけの理由からではなかった。寧ろ、その容姿に驚いたのだ。
何故なら、その存在は顔に笑顔の仮面をつけ、頭にぼんぼりのついた帽子を被り、
赤と緑という配色をした見た事もない奇妙なデザインの衣服を身に着けていた。
手には白い手袋を穿き、先のとがった靴を身に着けている。





菊花は知らなかったが、実はこれは遠い西の国では大して珍しくもない格好であった。
そう――サーカスという客を楽しませる団体によくいるピエロ、または道化師の格好であった。




その道化師の格好をした存在はけらけらと笑い続けた。






「楽しいなったら楽しいなvv」





「あ……くっ…貴方は一体誰ですっ?!」




菊花は怯えながらも気丈に誰何する。他の女官達は既に声もでなかった。




「ん?ボクかい?ボクはピエロさ。って、此処だと道化師と言った方がいいかもね?
ん〜〜、じゃあボクの事は今度から道化師って呼んでよ」




「道化……師……」




「そう!!でも不思議だよ。道化師の事を知らない人がいるなんてねぇ。道化師って
とっても有名なんだよ。主に道化師はサーカスっていう色々な芸をして人々を楽しませる
団体に所属していて、お客さん達を笑わせる為にたっっっっくさん楽しい事をするんだ。
道化師は皆の人気者なんだ。皆に愛される存在なんだよ」



キャハハハハハハハハハハとその道化師は笑った。
皆に愛される存在。けれど――菊花は目の前に居る道化師だけはそれに
当て嵌まらないと思った。それどころか、恐怖さえ感じる。
すると、道化師はグルリと首を回した。360回転という、人間では決して出来ない形で。
女官達が悲鳴を上げる。




「うんうんう、その顔だよ!!その恐怖に歪んだ顔!!ボクはそれが大好きなんだ」




道化師は笑った。




「ふふふふ。可笑しいって顔をしてるね?うん、確かに普通の常識からするとボクは
可笑しいんだ。だって、普通の道化師は沢山楽しいことをしてお客さん達に幸せと笑いを
プレゼントする。でも、ボクの場合は――ボク自身が幸せと笑いを欲するんだ。
そう――お客さん達にボクの感じる楽しい事をして貰うんだよ」



「なん……で…すって…」



「そしてボクの好きな物も実はとっても変わってるんだ。そう――さっきも言ったとおり、
ボクの大好きなもの。それは――皆の恐怖に歪んだ顔」



笑顔の仮面を被っているにも関わらず、菊花はその裏にある本当の顔に残酷な
笑みが浮かぶのをはっきりと見た。背筋に悪寒が這い上がってくる。



「ボクはそれが大好きなんだ。でも、もっともっと好きなのは――恐怖に加えて
大いなる絶望に染め上げられた顔」





ケケケケケケケケケと道化師は笑った。





「逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて
逃げて逃げ続けて――ようやく助かるかもしれないと解ったその瞬間に、捕まって
嬲り殺される。その時の絶望と恐怖に歪んだ顔は最高さ!!三度の飯よりも
大大大大大大好きっ!!」




道化師は御腹を抱えて大笑いをする。狂ってる。菊花は青ざめた。
すると、道化師はそんな菊花の心を読んだかのように笑った。






「うん。狂ってると思うよ。狂ってる。そう、ボクは狂ってるんだよ」







でも――






「でも、ボクは君と何も変わらない。君と同じく生きてるんだからね。そう――
生きているからこそ、狂うも狂わないも、そんなもの簡単に境を越えて変わってしまう。
保険も何もない不安定なものさ」





だから――






「君だって何時ボクと同じ風になるか解らないんだよ?」





道化師はニタリと笑った。





「ふふふふふ。話はそれちゃったね。で、ボクは恐怖と絶望に歪んだ顔が大好きなんだけど――
それには他の人達にそれを演じて貰わなきゃならないんだ。といっても、誰彼構わずって
いうんじゃない。狂ってるボクにだってルールはある。そう――演じてもらうのは、
お仕事中のボクと運悪く鉢合わせちゃった人達だけ。
つ〜〜ま〜〜り〜〜





菊花は嫌な予感が当たるのを感じた。





「君達だよ。拍手拍手!!おめでとう〜〜vvって事だから、ちゃんと演じてね。
そしてボクを楽しませてね。その――美しい顔を恐怖と絶望に染めて」




「ふざけないでっ!!」




「ふざけてなんてないよ。ふざけるのも楽しませるのも君達の役目なんだから。
でも、確かに君達にだって拒否権はある。うんうん、解ってるよ。だから、ゲームで決めよう」




「ゲームですって?」




「そう。それに勝てばボクは絶望と恐怖に歪む顔を見るのは諦めるよ」




その言葉に、他の女官達の目の色が変わる。




「ん?乗ってきたね?でも、当たり前だね。このまま殺されるぐらいなら、普通は
助かる道を選ぶよね?うんうん、勿論だね」




ピエロは一人で納得して笑った。




「じゃあ、ゲームを始めようか。と言う事で、ゲームの内容は――」



「誰がゲームをするなんて言いましたかっ?!」




菊花が叫ぶ。






「じゃあ、今すぐ死ぬ?」






ピエロが今までにない冷たい声で言った。
それと同時に、それまで凍りついたように黙っていた邵可が菊花の首元に刀を突きつける。
背後に居た女官達が悲鳴を上げた。その恐怖に歪んだ顔に、ピエロは気を良くする。



「やっぱり、恐怖と絶望に歪んだ顔は最高だねぇ〜〜。ふふ。ゲーム前に嬲り殺してしまい
たい位に。――でも、それはしない。だって、ボクは一度言った事は覆さないんだから。
だ〜〜か〜〜ら〜〜、泣かなくてもいいんだよ。ってか、泣き止んで?じゃないと殺すよ?




泣いていた女官達が息を呑む。






「で、君に聞くけど――ゲーム、やるよね?」






道化師は菊花に顔を近づけた。ヒッと顔をそらせて逃げようとしたが、その豊かな黒髪を
鷲掴まれる。グイッと、髪が抜けるのではないかと思う力で引き寄せられる。








「するよね?
助かりたいよね?死にたくないよね?








道化師は脅すように叫んだ。これには流石の菊花も頷くしかなかった。




「そうだよね〜〜。死ぬかもしれない。でも、助かる確率が少しでもあるのなら今すぐ
死ぬよりもゲームを選ぶよね?じゃあ、全員一致で決まり」




道化師は菊花の髪を離した。
痛みに呻く彼女を一瞥すると、道化師は早速ゲームの説明を始めた。




「ゲームはとっても単純さ。僕達が一定の数を数え終わるまでに何処かに隠れるんだ。
で、数え終わったら僕達が探す。勿論、見つかったらゲームオーバー、さようならだよ。
だから、頑張って隠れてね。勿論、一度隠れてもそこが危ないと思ったら僕達が数え終わって
探している間でも別の場所に隠れ直しても良いよ。それに、見つかっても逃げ延びれば
セーフ。で、ゲームが終る時刻まで隠れ続ける、逃げ続けられればその人は助けてあげる」




ひと筋の希望に、女官達は色めき立つ。




「ゲームの時間は一刻。ふふ、君達に逃げ切れるかな?ああ、そうだ。君達は見た所
深窓の姫君が多いと思うから、とびっきりのハンデをあげるよ。普通なら隠れる時間は
100数える間だけど、君達には300数える間時間を上げる。で、数え終わったらボク達が
探しに行くからね」




道化師はケタケタと笑った。
そして、ピョンッと邵可に背後から飛びつくと、その顔をゆっくりとなで上げ、
彼女達を見下ろした。




「さあて、ゲームスタートだ」
















ズドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド








「ああもうっ!!それにしてもどうして久音睡嵐の在り処がこんなに離れてるのよぉぉ!!」




全速力で走りながら、蒼麗は紙飛行機に浮かび上がっている地図を見た。
久音睡嵐の在り処は蒼麗が先程まで居た高雅楼からか〜〜〜な〜〜〜り〜〜〜
離れた塔だった。しかも、そこの最上階。辿り着くには軽く半刻はかかるだろう。
久音睡嵐を持つ女性が此方に近づいてくれでもしない限りは。
蒼麗は本気で久音睡嵐の所持者たる少女がこちらに来ることを願った。




「くっ……乗り物でもあればいいのに……」






馬とか牛とか猪とか豚とか犬とか猫とか……





最後の二つは乗る事自体無理だろという突っ込みがされそうだが、
此処に丁寧に突っ込んでくれる者は居ない。




「あ、でも此処からだと馬屋が近いかも」




蒼麗は立ち止まり、地図を良く見る。すると、確かに馬屋が近くにあった。
しかも、そこの林を突っ切ればもっと早くに着くだろう。



「馬の一匹でも借りれれば」



といっても、宮城は大混乱で、馬屋に人が居るか、または馬が残っているのかも解らない。
特に馬達は勘がよく臆病な所もあり、こういう事態に陥っている今、一目散にどこかに
逃げ去っているかもしれない。けれど……もし一頭でも無事な馬が残っていたならば
乗っていった方がよっぽど移動が早く済む。加えて、無駄な体力も使わなくて済むだろう。





「それに……もしかしたらこっちに絳攸様達がいるかもしれないし……」






蒼麗は呟き、再び走り出す。目的地は馬屋。林を突っ切り、少しでも早く辿り着く。





そこに無事な馬が居ること。そして、絳攸達が居る事を願って――








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