〜第四十三章〜心惑わせし記憶〜






「あ〜〜、かったるい」



緑翠はかなりめんどくさげにその作業を行っていた。片手に地面につくほど長い木の枝を持ち、
引き摺るようにして只管歩いていく。その後を、枝が引き摺った後が延々と続いていった。



「はぁ……一体俺は何やってんだろ」



何事も無ければ今頃、自分はからかいがいのある、けれど本当に可愛くて愛しい
許婚の少女と1ヶ月ぶりに会って楽しむ筈だったのに……。
今、自分がしている事と言えば、こうして宮城を回って陣の作成に勤しむ単調作業。




ああ、俺ってなんて健気……





「って、なんか虚しくなって来た」




何だか考えれば考えるほど、理想と現実のギャップが酷くなってきて虚しくなって来る。
そして、こうなった原因を心の中で思い切り罵った。



「あのくそアマ……我が君に相手にされないからって、どうしてそこであのお方に刃を
向けるのか………だからあの時叩き潰しておけば良かったんだ」




断っても、何度も何度もしつこく喰らいつく様に我が君を追い回したあの憎き女。
あの女のせいで、あのお方は切れて此処に逃げ込んでしまった。
我が君の母君の温情あるお言葉によって未だ命があるというのに、恩を仇で返しやがって!!




「帰ったら速攻で進言しなければ」




我が君の母君たるあの方も今度ばかりは頷くだろう。そのお心を悲しませ、意に反する事を
進言するのは母君に対しても心からの敬愛と忠誠を誓う緑翠にとっては心苦しいものでは
あるが、ここまで来てしまえば仕方が無い。また、自分にも非がある。
もっと早くに実行するべきだった。




「さてと、予定は組み終わった。と言う事で、さっさとやらなければな」




とりあえず、目下の仕事を。これが終わり、日にちがたたなければあのお方を連れ戻せない。



そうして、緑翠は銀河に言われた仕事を着実にこなして行くのだった。












「ひゃあ〜くごじゅう〜〜、ひゃあ〜〜んごじゅういちぃ〜〜」



道化師はけらけらと笑いながらカウントを進めていく。














ザザザザザザっ!!




「雷炎」


「何だ、耀世」




全速力で城内を駆け抜けながら、耀世は雷炎に話しかけた。




「じつはな、ずっと考えていたが……俺達は分かれて行動するべきだと思う」




耀世の言葉に、雷炎は足を止めた。




「なんだと?」



葉医師に言われ、蒼麗の頼みで華樹姫と秀麗の保護をするべくここまでやって来た自分達。
予想したとおり、此処まで来るには多くの化け物達を殺さない程度に倒してこなければ
ならなかった。それも二人居て、なんとかそれが出来ていた。なのに、分かれて行動する?



「耀世、それはっ」


「お前の言いたい事はわかる。私とて……ふっ、武官として長く勤め上げてきた私に
これほど怖いものができるとはな」



その言葉に、雷炎は目を伏せた。耀世の怖いもの。
それは自分にとっても怖いものだ。この、いまの現状が――。



「そう、怖い。だが、私達で怖いのならば、きっと華樹姫や秀麗姫はもっと怖いだろう」



「耀世……」



「あの二人は私達とは違って鍛えられても居なければ、普通の少女でしかない。
だからだ。だからこそ、早く助けなければならないし、葉医師達も私達を向わせた。
だから……一刻も早く助け出さなければならないと思う」



「……そうだな」



「そして、それには私達が分かれて其々助けに向うのが良いと思うのだ。何度も地図を
見直したが、やはり後宮と地下牢は離れすぎている。片方を行ってから片方にいけば、
その時間は余計にかかるだろう。しかし、其々が分かれて行けば……」




その先を、耀世は口にしなかった。口にしなくても、雷炎はわかっていた。
そして、既に分かれる為のポイントは迫っていた。もう間もなく見えてくる一つの宮。
そこを左に進めば、後宮へ一番早くつける道に、そして右に進めば地下牢に繋がる道に。
もう――彼らに迷っている暇は無かった。



分かれて行くか一緒に行くか。早く助けるか、少し長く待っててもらうか。




そして雷炎は決めた。




「解った。別れるぞ。俺は、華樹姫を助ける。だから、耀世。お前は――」



「秀麗姫を責任を持って助けよう」



「ああ。そして必ず」



「「仙洞宮に無事に生きて戻る」」




互いに手を握り締め、二人はどちらからともなく笑った。




「よし、行くぞ」



「おうっ!!」





そして二人は走り出す。




ほどなく見えてくる分かれの道で互いの道を進むべく――
















「………で………どうして……」



秀麗は流れ落ちる涙を止める事が出来なかった。



どうして……よりにもよって今なのだろう。今、こんなにも鮮明に……こんなにもはっきりと……




幸せだった頃の光景が目の前に繰り広げられているのだろうっ!!





『せいらん、こっちこっち〜〜』



『お嬢様、御待ちくださいっ!!そんなに走ってはいけませんよ』




幼い自分がちょこまかと花畑を走っていく。それを、静蘭が追いかけている。
大切な人が追いかけてきてくれる事が嬉しくて、幼い自分は更に走っていく。




それを、両親は相変わらず優しく見守っていた。
すると、幼い自分が両親の元へとパタパタと駆けて行く。




『とうさま、かあさまvv』




二人に抱きつき、顔埋める。そんな幼い自分を、両親は優しく抱きしめてくれた。



そして――






『君は私達の宝物だよ。静蘭と共に大切な私達の子。君が元気に健やかに生きてくれる事を
心から願うよ』






愛しているよ





生まれてきてくれてありがとう









―――――――――――――――――っ?!








愛して……






生まれてきてくれて……






ありがとう………………っ?!








「どうして……どうしてどうしてどうしてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」



秀麗は叫んだ。耳を塞ぎ目を瞑ってその場にしゃがみ込む。
しかし、そんな秀麗に気付かずに幼い秀麗は両親に甘え、遅れてきた静蘭に抱きつく。

それは……今の秀麗にとっては余りにも残酷な光景。幸せであればあるほど、
両親や静蘭が幼い自分を大切にすればするほど……自分は……今の自分が





限りなく惨めに思える







「どうして……どうしてどうして………だって言ったじゃない……罵ったじゃない……」







『貴方のせいで私達が不幸になる』








「そうよ、言ったじゃない……」








『君が代わりに死ねばよかったんだ』








「私の事を憎んで、嫌って、居なくなる事を……」




何度も違うと思った。何度もこれは本当の父達ではないと思った。
けれど、激しく罵られて、殴られて、挙句の果てには地下牢に入れられて、暗い闇の中で
過して……何時しか秀麗の心は深い闇に引きずり込まれようとしていた。
本当は、心の底では憎んでいたのかもしれない、心の底では秀麗が死ねば良かったのにと
思っていたのかもしれない。そして可笑しくなってしまったのだと思ったあの父達の姿こそが、
本当の父達の姿だと――そんな猜疑心が音も無く着実に大きくなってきていた。
どんなに拒もうと、どんなに否定しようと、その心は甘い毒でもって秀麗を蝕み始めていた。


そして……時間が経つにつれ、そんな心に全てを任せようとした。
憎まれているのであれば、憎み返せば、嫌われているのであれば嫌い返せば……
そんな負の心に身を委ねれば……自分はきっと楽になれるだろうと。
あの憎悪を向けてきた父達を愛することをやめ、自分も憎み返せばっっっっっっ!!



だから、だから………なのにっ!!







「何で……こんな光景を見せるのよ……」





誰にとも無く秀麗は呟いた。




どうせなら、自分が彼らを憎む事を許容できる光景であれば……どれほど救われただろうか?


そうであれば、どれほど楽だっただろうか?




なのに、目の前に広がる光景はそれとは正反対で……それを見れば見るほど秀麗の脳裏に
蘇る――幸せだった頃の記憶。目の前の光景だけではない。自分の中にある沢山の
楽しい記憶。母が死んでからも、頑張って作ってきた掛け替えのない思い出の数々。
それらが秀麗の脳裏に浮かび上がっては訴えかけてくる。







貴方は幸せだったでしょう?






愛されていたでしょう?






そして……愛していたでしょう?






なのに、これら全てを貴方も偽物だと言うの?――と。













昔から憎んでいた。昔から嫌っていた。



父と静蘭は言った。そして、劉輝達も自分を嫌いだと言った。








でも、それでも自分の持つ記憶にある静蘭達の姿はそんな事を微塵にも感じさせなくて……





自分が皆を好きなのと同じぐらい好きで居てくれると思うぐらい





皆は優しくて……







「そう……優しかった……大好きだった……でも、皆は…………それは私だけなの?
私だけの……」





秀麗は涙を流しながら言った。





「気持ちは届かなかったの……?……教えて、誰か……どちらが本当の皆なの?」




今や目の前に広がる光景は代わり始めていた。母が居た時の光景、母が死んだ後の光景、
父や静蘭と共に力をあわせて頑張っている光景、そして……劉輝達と出会い大切な人達が
増え始めた光景――





どれも大切な思い出







その思い出の中にある皆の姿と、自分を罵った皆の姿



思い出の中にある皆の優しさと、自分に向けてきた憎悪





どちらが本当の皆なのか





どちらを自分が信じるべきなのか








秀麗は改めて悩み始める。


そしてそんな自分に秀麗は笑った。




諦めようと思っていたのに、絶望の中に沈もうとしていたのに……




なのに、無駄だと解っていても尚





気付けば自分は悩み続けている





その最後の希望に向って…………









皆を信じよう



信じるのを諦めよう






そんな二つの相反する心に挟まれ、彼女は自分の思いを問いただしていく






誰の力も借りず、自分だけで





それを成し遂げる為に秀麗は悩み続けていくのだった。








『とうさま、かあさま、せいらん……だいすきだよ』








私の心は何処へ向うの――



























ヒヒィィィィィィィィィンっ!!







ギャァォォォォォォォォォォォォォォォォっ!!







化け物達が襲い掛かる中、一頭の白馬と子馬が足早に駆け抜けていく。
白馬の背の方に――一人の少女を乗せて。




「凄く速いしっ!!ってか、凄いです馬さんっ!!」




己が手当てした母馬の背にのった蒼麗は、その速さに驚きを隠せなかった。
速そう。とは思っていたが、此処まで速いとは。御陰で、体力温存と共に、
かなりの速さで目的地までの距離を縮めている。





「本当に有難うございます、馬さんvv」




蒼麗は心からの礼を述べた。すると、母馬が「如何致しまして」と言う様に
ヒヒンと鳴いた。


蒼麗は、優しく笑って母馬の白い毛並みを撫でた。
そして、後ろを振り返り子馬を見る。まだまだ幼いが、彼も必死についてきてくれていた。

蒼麗は多くの感謝と共に、頭を下げると再び前を向く。そして、一枚の紙を懐から取り出した。





それは――城内の空間を歪めさせているものの在り処を記した紙。
今から少し前に、久音睡嵐の在り処を示した紙が戻ってきた時と同じように、
蒼麗の元に紙飛行機となって飛んできた。そして、中には見事に空間を歪めるものの
在り処が書かれていた。




が、蒼麗はその地図に眉を顰めるしかなかった。






「在り処は全部で5つ…………しかも……この形は……となると、歪めているのは
人とかではなく、物の可能性か」





結界石とかそういった道具の類ではないかと思う。





そして……





「やっぱりこっちは後にしよう」




蒼麗は決めた。先に、久音睡嵐などを如何にかする。





勿論、空間の歪みは大問題だが、同時に此方にとって良い面もあったのだ。


それは、空間が歪められている御陰で、外からは何が起きているのか解らない事。
そして、外に出られなくなって居る事だ。
その事については黄葉と何度か話あったが、やはり空間の歪みが原因して外に
出られなくしているのだろうという結論に到った。
そして、もしそれが本当であれば、自分達も出られないが、化け物達だって出られない。
現に、黄葉が城の外に居た時も、城内では化け物達が徘徊していたが、その一匹たり
とて外には出てきていなかった。今はどうなっているか知らないが、外に出ている確率は
低いだろう。となれば、化け物などによる被害は空間が歪められている事で城下まで行かず、城内で留まっているとされる。つまり、城下は未だに無事であると言う事だ。
また、久音睡嵐の音色についても……空間の歪みによって外にまでは到達して
いないだろう。此方の件については、もしかしたら『彩の教団』側の考えと利益によっての
ものかもしれないが、それは此方にとっても同じこと。


向こうには散々煮え湯を飲まされているのだから、少しぐらい甘い蜜を吸わせて貰う。





「一刻も早く向わなければ……」




空間の歪みをどうにかする為にも、久音睡嵐を止める。




と、その時だった。






ヒヒィィィィィンっ!!





「きゃっ!!」






ギャォォォォォォォォォォォォォォォォォォっ!!






元は武官だったらしい化け物が、体から幾つも出ている触手が握る刀を振り上げて
襲い掛かってくる。それを間一髪で避けると、蒼麗は叫んだ。





「少し遠回りになるかもしれませんが、ふっきりますっ!!」





蒼麗の言葉に、母馬は声高く応じると、向きを変えて走り出す。




その後を、化け物達が其々追いかけていった。









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