〜第四十六章〜状況判断は冷静に〜








蒼麗が居るのは、広くはないけれど、狭くも無い室だった。







が、中は燦燦たる有様であった。






大きな棚は倒れ、机も罅が入り、椅子は壊れてそこら中にその欠片をばらまいていた。
また、あちこちに瓦礫と共に書類らしきものが幾つも散らばっており、
黒いもの――墨らしきものが、周囲に飛び散っている。
どうやら……此処は、元々執務室として使われていた室のようであった。





しかし、自分の持つ最後の記憶では、確か母馬達と共に久音睡嵐の在り処に向って
庭を疾走中だった筈――







「……そうか、失敗しちゃったんだっけ」





混乱する記憶をゆっくりと整理していく中、蒼麗は思い出した。
確かに、疾走していたが、その途中で化け物達に襲われて、やむなく
あの紙を使ったことを――。



蒼麗が化け物達に対して使用した紙――それは、爆を司る紙。
仙洞宮から久音睡嵐の元に向う際に、無断で拝借してきたものであった。
その昔とある仙人が作った札みたいなもので、その紙に風でも火でも何でも書けば、
その言葉どおりの威力を発すると言われていた。例えば、爆風とか爆火とか。
唯、当然ながら、その威力は凄まじい。そして……まず、普通の人間に向けて使えば
確実に死ぬ。そして、今徘徊している化け物達であれば、ある程度の距離を保てば
動きを止めるぐらいは出来る。


だが、これは本当に使用方法が面倒で難しく、力なしの蒼麗にとっては
余り使用したくないものでもあった。だが、仕方が無い。
あの道具の中ではこれぐらいしか使えるものが無かったのだから。




でも……蒼麗は結局失敗した。距離を十分にとれず、自分達までもが
巻き込まれてしまったのである。






そう、自分と母馬、そして子馬までもが――





きっと、今此処に居るのは紙によって発動された爆風の力が自分を此処まで
飛ばしてしまったのだろう。






そして、母馬や子馬も……?!







「母馬さん、子馬さんっ!!」




蒼麗は周りを見回し、必死に彼女達の姿を探す。


すると、元執務机だった壊れた机を挟んだ向こう側に母馬と子馬が倒れていた。




「母馬さん、子馬さんっ!!」




慌てて駆け寄り、蒼麗は二匹の呼吸と怪我を確かめた。






――と、どうやら気絶しているらしい。これといった怪我も見当たらなかった。






ホッと一安心すると、蒼麗は辺りを見回した。





「一体、此処は誰の執務室なんだろう」




そして、自分達は何処まで飛ばされてしまったのだろう?




蒼麗は体に痛みがはしらない様に立ち上がると、辺りをよく確認するべく歩き出した。






カツン……








「え?」





何かが足に当たり、蒼麗は視線を下に向けた。薄暗かったが、目が慣れてきた御陰か
なんとか足元に転がっているそれを見つける事が出来た。





「え……何、これ」





蒼麗は屈むと、床に散らばるそれに触れた。











――――――――――――――っ?!








突然、光の奔流となって、それが持つ記憶が流れ込んでくる。
これの持ち主や、此処で起きた事の記憶が…………。







「……う………そ……」





蒼麗はそれと、まだ床に転がっているそれを集めると、まるで何かから守るように抱きしめた。



流れてくる記憶。
所々穴ぼこだらけで色々と解らない部分もあったが……それでも、これだけは解った。







「こんな……酷い事……言われて…されてたの?――秀麗さん……」





今はもう無残に壊されてしまった秀麗の赤い石のついた簪を胸に抱きしめ、
そこから読み取った記憶に、蒼麗の瞳から一筋の涙が零れ落ちたのだった。














「縫合は無事に終了致しました。後は、皆様の体力次第です」



そう言うと、奉明はホッと息をはき、その場に座り込んだ。


景侍郎達を始めとして、葉医師が助けた者達、そして霄太師の一括にのよって心を
入れ替えた者達も含めた武官達が次々と運んでくる病人達の傷の縫合を葉医師と
二人で分担してやってきたのだ。気が抜けて座り込むのも仕方がない。
また、武官達の怪我人搬送も今は一旦落ち着いている。
が、もう少しすればまだまだ追加が来るだろう。
それまで、少し休憩を取っておいたほうが良い。

助手として手伝っていた黄尚書達も、一休みするべく道具を片付け始めた。


怪我人達も今の所は落ち着いている。これら道具も今すぐは使わないだろう。




「お疲れ様でした」




麟騎がにっこりと微笑みながら、入れたお茶を尽力を尽くした者達に振舞っていく。






名家の坊ちゃんがお茶汲み?






最初は黄尚書達も驚いたが、麟騎曰く、家族が何時没落するか解らないから
自分でできることはやれと言う教育を施していたらしい。
なんともあっぱれ且つきっと将来も図太く行きぬける名家なんだろう。



しかし、黄尚書達も名家出身だがお茶などは簡単に入れられるのでそう余り変わらないが。





「それにしても……思ったよりも補給物資の減りが早いな」



蒼麗が昔、この場所に残しておいた数々の補給物資。最初こそ大量にあったが、
怪我人がぞくぞくと運ばれていくにつれ、その数は大幅減ってきていた。
特に、治療器具などはその減り方が顕著となっている。

本来なら、新たに補給しなおせば良いが、この宮から一歩出れば化け物の巣窟。
加えて、城の外に出られないのだからどうしようもない。
故に、一刻も早く外に出られるように蒼麗達に頑張ってもらいたいが、こればかりは
強制するわけにも行かない。今、霄太師も蒼麗を追いかけて行ってくれているが、
合流するのには少し時間がかかるだろう。何故なら……自分達の術の威力も
空間の歪みの影響を受けてかなり落ちているからだ。
だが、だからといって長い時間待ち続けられるものでもない。
節約に節約を重ねているが、後100名も怪我人がくれば物資はほどなく尽きてしまう。




「さてと、どうするか……」



現在、この宮には武官、文官、女官その他助け出された者合わせて200名ばかりがいる。
といっても、この宮城で働く総人数に比べればほんの一部分の割合にしか過ぎない。
残り全てが此処にやって来るとすれば……。また、問題は補給の話だけではすまなかった。



(既に、使える部屋の半分が人で埋まっておる。このまま行けば、入りきらなくなるぞ)



入りきらなくなれば、当然その他の者達は化け物達が闊歩する外――と言う事になる。






冗談じゃない!!






しかし、他に此処ほど安全な場所はない。





(いや、まてよ……あの8つのパワーポイント内にいれば……)




――だが、直に葉医師はその考えを捨てた。ダメだ。
確かにあの場所は化け物達やら術の効果が発動しない場所だが、あの場所に
普通の人間を入れるのは危険すぎる。
確かに、本来ならばそこは神聖な場所であった。だが、あの時に起きたそれによって、
あの場所は諸刃の刃的存在となった。あそこにいられるのは、『聖宝』を持つ者のみ。
そして、使える力は唯一あの――。




(って……今はんな事を考えている場合ではないつ〜〜の!!)




自分で自分を突っ込み顔を殴る葉医師に、奉明達はとうとうアルツハイマーになったかと
本気で心配してぼそぼそと話し合う。
が、葉医師はそんな事にこれっぽっちも気付かずにう〜〜んと唸り続ける。




その時だった。







チ・チ・チ・チ・チ・チ







悪魔の舌打ち?の様な音が懐から漏れてくるのに気がつき、葉医師は青ざめた。
そしてすぐさま、ガタンと音を立てて立ち上がると、そのままスタスタと室から出ようとした。



が、当然ながら貴重な医師である葉医師はそこに居た全員から行き先を聞かれることとなる。



とはいえ、別にそれは何の問題もない。上手く誤魔化せばいいのだから。
だが、はっきり言ってこの悪魔の舌打ちのような音に彼は内心大パニックに陥っていた。


よって――





「す、すまん!!ちょっと宮の外にタバコを買いに」



なんて馬鹿な発言をした。
今、この時、何処を見たらちをっとタバコを買いになんて言っていられるのか?
また、宮の外といっている所からして彼は墓穴を掘った。


御陰で





「はい?!何を言っているのですか、葉医師っ!!いけません、外は危ないです!!」




当然ながら、すぐさま奉明に引き止められる。
その心遣いは嬉しいが、今の葉医師にとっては余計なお世話でしかなかった。




「タバコなんて後で幾らでもすえます!!今は我慢して下さい!!」



「おぉっ!!そうじゃ、補給物資でたりないのがあるから持ってこなくては」



「補給物資ならば此処に全て持ってきました」




麟騎がポンッと補給物資の箱を叩く。



と、そうこうしている間にも、チ・チ・チ・チ・チという音は大きくなっていく。
葉医師は今すぐ此処を立ち去りたいと思いつつ、誰かが後をつけて
こないようにしなければと次々と理由をつけていく。
というか、もう少し冷静になって対処すればすぐにでも此処から立ち去れる筈だが、
この悪魔の舌打ちのような音に葉医師の冷静さは木っ端微塵となっていた。
早くしなければっ!!!!!!




そして――









ついに、葉医師は自分の体面を捨てた。(え?)









葉医師はフッと笑うと、まるで天井からさんさんと陽光が降り注いでいる
かのように腕を目の上に当てた。










「いや、何、唯今日は何物にも囚われず自由気ままな風になりたい……そんな気分
なんじゃ――と言う事だから、さらばじゃ!!探さないでくれ
アディオ―――――
スっっっっっ!!












そうして、葉医師は勢いよく室から飛び出していった。










……………………………………………………(激大汗)











誰も追わなかった。












いや、正確には―――――
追えなかった。











ってか、あんな可笑しい人を追えるだけの精神的余裕のある人は今此処には誰も居ない。






よって、そこに居た人達は暫し固まり続ける事となる。





また途中、霄太師の一括によって懸命に宮の護りを勤めていた武官達が
交代時間で戻ってくるものの、彼らの意識が戻ってくる事は無かった。





が――ようやく解凍された後は、
葉医師のアルツハイマー病の進み具合
を本気で心配する
一同であったという。























チ・チ・チ・チ・チ・チ・チ











バンッ!!









葉医師は力の限り仙洞宮の一室のドアを閉めた。






チ―――――――ン










パンっ!!











葉医師は力の限り防音結界を張り巡らせた。



その次の瞬間――――









キャッホホホホホォォォォ
ォォォォォウ!!














凄まじいまでの甲高い素っ頓狂な声が葉医師の懐から響いた。



葉医師は目をカッと見開く。そして――












「煩いわぼぇぇぇぇぇぇぇぇ
ぇぇぇぇぇぇっ!!」














葉医師は懐からそれを取り出すと、力の限り壁に投げ付けた。





「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ……」





全力で叫びすぎたせいか、脳内の酸素を一気に消耗し、葉医師は荒い呼吸を繰り返す。
老齢の身には辛いものがある。(←実際には年寄り作り)




「はぁ……はぁ…………さてと」




本当は近寄りたくないが、この今もなり続ける甲高い声を止めるにはどうしたって
それを拾い上げてスイッチを押さなくてはならない。



黄葉は涙を流しつつそれを手に取り、スイッチを押したのだった。









カチン――ピッピッピー










『接続中・接続中・接続中』










機械音が告げる。






そして間も無く、相手の声が聞こえてきた。










『マイスイートハニー
vv











ピッ!!








切った。







が、直にもう一度かけてこられた為、その嫌な着信音をもう一度聞く羽目となる。







因みに、あの甲高い声と悪魔の舌打ちのような音は――この遠距離の相手とでも
話せる『電伝通信』の着信音。蒼麗によって作られたが、非常時でもない限りは
滅多に使用しない代物でもあった。








―戻る――長編小説メニューへ――続く―