〜第五十二章〜夢の中での再会〜
何の音もしない暗く寒い闇の中を、黎深は覚束無い足取りで歩いていた。
「此処は……一体……」
何も無い。何も聞こえない。身を突き刺すような寒さの中、あるのは、何処までも続く闇。
その中に居る者の心を絡めとるような――不気味な漆黒の闇。
「……私は……」
闇の中を歩いていくうちに、黎深の心はどんどん空虚になっていく。
何か大切な事があった筈。
何か大切なものを求めて歩いていたはず。
しかし――
闇の中を一歩進むたびに、自分は何をしようとしていたのかが解らなくなる。
だからといって、足を止めようとしても――止まらない。
自分の意志で歩いていたはず。
けれど、今は何か別の力によって歩かされている。
「私は………」
私は何故此処に居るのだろう。
その時だった。
遥か前方に立つ二人の人影。
そこだけ明るく照らされている。
「……あ……れは………」
目を細めて、その人影を見詰め――黎深の目は見開かれた。
すると、周りの闇と同じぐらい黒く深いもので覆われ始めていた自分の中に、一陣の風が吹き抜ける。
と同時に、自分は何故歩いていたのか。何をしようとしていたのかを思い出す。
黎深は二人の人影を呼んだ。
「兄上、絳攸っ!!」
そうだ。自分は二人を助ける為に化け物達の居る城内を歩いていたはず。
黎深は走り出した。自分の意志で。
しかし――
ズル…………ズルズル……
「なっ?!」
それまで、ゆらゆらと辺りを覆っていた闇が幾つ物触手を生み出し、黎深の体に纏わり付いていく。
驚き、抗おうと体をよじるが、あっという間に触手は手足や胴体に絡み付いていく。
焦りともどかしさに顔を上げ――黎深は悲鳴混じりの声を上げた。
「兄上、絳攸ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」
二人の姿がどんどんと遠のいていく。
行ってしまう。
駄目だ、戻って来い、戻って来いっ!!
「くそ、離せっ!!」
黎深は激しく体を振った。
何時しか、闇の触手は黒い鎖へと変化している。
「兄上、兄上、絳攸、行くなっ!」
黎深は目を限界まで見開き、必死に手を伸ばす。決して届く事が無いと知りながらも……一筋の希望を求めて。
「あに……うえ…………こう……ゆうっ!!」
二人の姿が完全に見えなくなる。そうして、再び辺りは暗闇に閉ざされていく。
絶望に染まった――黎深の心と共に。
黎深の手が、力なく降ろされていく――その時だった。
ガシッ!!
「え?」
凍えるような寒さの中、手に感じた温かい感触に、黎深は己の手を見る。
すると――そこには、自分の手を握り締める小さな手。
そこから繋がる腕を辿っていけば――
「蒼麗……」
「お久し振りです、黎深様〜〜」
それは――優しい笑みを浮かべた蒼麗だった。
府庫で意識を失う前に見た姿と何一つ変わらない――
「……麗……」
ホッ………と――息をつく。
と同時に、それまで入っていた力が急に抜けていく気がして、その場に座り込んだ。
だが、それとは反対に、黎深の心の中には再び光が差し始めた。
「蒼麗、お前……」
「まさか、こんな所でお会いするとは思いませんでした……はぁ……また、人の夢の中に入っちゃったみたい」
「は?」
「ああ、此処黎深様の夢の中なんですよ」
「夢……だと?」
「ええ。しかも、かなり悪い――悪夢ですね。………やばい、ナイトメアが侵入してる」
「ないと……めあ?」
聞き覚えの無い言葉に、黎深は首をかしげた。
「ええ、ナイトメアです。……宮城に蔓延る闇と邪気の影響のせいですね」
夢を司る者達の力が弱まっている。
でなければ、ナイトメアがそうそう侵入する事は出来ない。
「黎深様、私の手をしっかりと握ってくださいね」
このままでは、黎深は二度と目覚めぬ眠りについてしまうだろう。
蒼麗は握り返してくれた黎深の手を、自らもしっかりと握り締める。
空間がざわめき出す。
それまで静かだった闇が奇妙な動きを始める。
一見すればおぞましい闇の踊り。しかし、蒼麗は目をそらさなかった。
そして、しっかりとした声で宣言する。
「せっかく来て下さった所申し訳ないですが――このまま自分の穴蔵に戻ってもらいましょうか」
その瞬間、闇の一部が大きく歪み、それは現れた。
漆黒の闇を具現化したが如く黒い馬――ナイトメアが。
「誰かの夢と接続してるのか……」
力なく横たわる蒼麗の体の傷を手当てしながら、霄太師はポツリと呟いた。
傍では、馬の親子が心配そうに此方を見ている。
崩れ落ちる王の執務室。寸での所で蒼麗を助けて外に飛び出した霄太師は、その後空いていた近くの室に飛び込んだ。
そこは、官吏の休憩室となっていた部屋。
大勢で休む為のものか、比較的大きな造りのその部屋にはまだ化け物が入り込んで居ないらしく、被害は殆どなかった。
部屋の奥に座する寝椅子に蒼麗を横たわらせ、霄太師はその小さな体が負った傷を手当てし始めた。
本来なら、間も無く意識を取り戻す筈だった。
しかし――手当てを始めて暫くした頃……蒼麗は誰かの夢へと取り込まれていった。
力を持たない稀有なる少女。
しかし、実際には大いなる力がその中に封印されている。その為、その力の余波によって、蒼麗は他者の夢の中に
引きずり込まれる事がある。
「全く――面倒な事よの」
己の意志とは関係なく他者の夢に引きずり込まれる。そんなのは自分ならばごめんである。
――が、蒼麗ならば……
「今回は一体誰の夢に引きずり込まれたのやら」
霄太師の溜息が暗い闇空へと消えていった。
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