〜第五十六章〜紅君の決意〜





同期でもあり、悪友でもある飛翔が珍しく心配そうに此方を見ている。



「おい、大丈夫か?」


「あ?」


「まるで幻でも見ていたみたいだぞ?お前らしくない」


「幻?」


黎深はまだぼんやりとしている頭を強く振り、現実に戻ろうとした。



「此処は……」


「お前が所属している吏部の、それもお前の執務室だ。ったく、感謝しろよ?途中で倒れたお前をこの俺様が直々に
運んでやったんだからな」



仙洞宮から抜け出した黎深を追い、けれど捕まえる事も出来ずずっと影から見守っていた。


まだ傷が完治していないにも関わらず、それでも兄と養い子の為に必死に歩き続ける彼を止めるなどできなかったから。


しかし、とうとう途中で倒れてしまった黎深。やっぱりか……と思いつつも、既に仙洞宮から離れすぎたその場所で、
飛翔は安全な場所を探した。自分と黎深が化け物達から身を隠せる場所を。



そうして、ようやく見つけたのがこの吏部の一室。
化け物達が入り込んでいなかったのか、まだ無事な室内に黎深を運び込みようやく一息ついた。
そして気付いた。自分の包帯に血が滲んでいたことを。自分もまた、傷が完治していなかった様だ。
再び開いた傷口を、仙洞宮にてちょろまかしてきた包帯の一つで巻きなおしながら、
飛翔はひたすら黎深の目覚めを待った。



未だぼんやりとしている黎深を前に、飛翔はふと自分の手を見つめた。
汗に濡れた掌。そして笑う。思いのほか、自分は不安を抱えていたようだ。



ずっと、ずっと……まるで死んでしまったかのようにぐったりとする黎深の目覚めを、この部屋で唯一人待ち続けた。



外よりはましとは言え、この部屋の中も非常に暗く、嫌な空気に満ち溢れている。
少しでも不安を、恐怖を抱けばたちまち漂う暗闇が触手を伸ばして自分を深い闇の中に沈められるかのようだった。


だが、それでも……必死に信じ続けた。


途中、囁きかけてくる闇の声に怒鳴り散らして。何が何でも黎深は目覚めるんだと喚いて。


まるで子供みたいだった。



けれど――信じてよかったと思う。飛翔は、ようやく現実に戻り始めている黎深を見て思った。

だが、その口から発せられたのは彼の体を心配する言葉ではなく――


「で、この後はどうするつもりだ?」


「は?」


「だから、お前はこの後も邵可様と養い子を探すのか?って事だ。それとも何か?戻るつもりか?」


飛翔の言葉に、黎深は目を見開いて叫んだ。


「誰が戻るか!!誰が――」


「なら、行くのか?」


飛翔が静かに聞く。だが、そんな今までとは違う様子の飛翔に黎深は気付かずに意気込む。


「勿論だっ!!例えお前が止めても張り倒してでも探し出すっ!!」


そう――誰にも邪魔をさせない。夢の中で、蒼麗にも啖呵を切ったのだ。
なのに此処で諦めたら、あの時蒼麗に向って叫んだ時の自分は一体何だったのか……!!


それに




忘れないで下さい、必ず助けに行きますからっ!!だから、それまで頑張って――



蒼麗が最後まで叫んでいた言葉。



はっきり言って自分は人に頼るのが嫌いだ。他力本願など死んでも嫌だ。
だが、蒼麗の言葉を聞いた時――



(私はホッとしたんだ)



蒼麗が居てくれる。蒼麗が来てくれる。


そしてその時、どれだけ自分が不安を抱えていたか知った。
本当は怖い。怖くてたまらない。見たこともない化け物。想像を絶する宮城内。
そして――今も信じることの出来ない兄達の変貌。幾つもの受け入れられない事実の数々。
けれど、それに押し潰されない様に自分は全てを嘲笑した。



でも――辛かったのだ。




もしかしたらあの少女はその事にも気付いていたのかもしれない。
必死に自分を安全な場所へと戻そうとしてくれていた蒼麗。本当は嬉しかった。
確かに煩わしい、小賢しいとも思った。でも、それと同じぐらい嬉しかった。


殆どの者達が自分を見ては目をそらし、媚び諂い擦り寄ってくる。
けれど、蒼麗は違う。どれだけ脅しても真っ向から相対してくる。それすら好ましかった。



その、蒼麗に自分は啖呵を切った。だから、此処で諦められない。いや、それ以上に兄や養い子――それにまあ、
あの馬鹿王と馬鹿将軍も助けてやってもいい。



彼らをこの手に取り戻したい。



自分から、彼らを引き離すもの全てをねじ伏せて。



それが、自分の望み。



「私は、兄達を助けに行く」




黎深の真剣な眼差しが、飛翔の試す様な視線とぶつかった。




(……………くっ……面白いじゃねぇか――こいつのこんな顔は何年ぶりか)



いつもふてぶてしい面をしているこの同期の真剣な顔など、滅多に見られるものではない。
だからこそ、飛翔も心を決めた。





「お前、後で俺に酒奢れよな」



「は?」



一体何を――?


唖然とする黎深を他所に、飛翔はニカッと笑った。


「此処までくれば一蓮托生だ。手助けしてやるよ」



最初は殴ってでも連れ戻そうかと思った。だが、余りの一生懸命さに戸惑った。
だが、そんな自分の煮え切らない態度のせいで、黎深は化け物達が徘徊するど真ん中で倒れてしまった。
もう仙洞旧に戻るには遠すぎる場所であり、この場所を見つけられたのは奇跡に近かった。
そして、黎深が目覚めるまでの間、自分を罵った。もし、黎深が死んでしまったら――と。
何しみったれた事をと思いなおしても、気付けば自分の優柔不断さを責めていて。



だから、黎深が目覚めた時には何が何でも仙洞宮に連れ戻そうと思った。



だが――



兄達を助けたい――そう真剣な顔で、不屈の光りを宿した眼差しを向けられた時




飛翔は心から悟った。




こいつを連れ戻すには、息の根を止めるしかないと





黎深は絶対に戻らない。彼が戻りたくないと思う限り。


そして、絶対に兄達の下に辿り着くだろう。




有限実行――それが紅 黎深という人間である。
国試合格の同期の一人である飛翔はそれをイヤと言うほどわかっていた。




そう、黎深は絶対に戻らない。




ならば、自分が一緒に行くしかないだろう?



(こいつと居ると面白そうだしな……それに、今頃一人でのこのこ戻れば鳳珠に殺される)



あの気孔を極めた彼ならば、数秒で自分を血祭りにしてしまうだろう。
って、まだ世界の美酒を飲みきっていないのにそんな結末は絶対に嫌だ。
それに、黎深が化け物に殺されるのも見たくはない。幾らいつもは魔王と言われる彼でも、現在は傷だらけ。
一人でこのまま進めば絶対に殺られる。まあ――自分も傷だらけなのでこれといった手助けは無理だが。



「飛翔、お前……」



「止めても無駄だぜ?絡み付いてでも付いていくからな」



それは、飛翔の目を見た瞬間解っていた。黎深が表情を消す。


「死ぬぞ?」


「んな事ぐらいで俺がビビるとでも?いいか?そんな事で躊躇する位ならそもそも俺は今此処にいねぇよ」


「……………確かにな」


ケラケラと笑う飛翔に、黎深は溜息をついた。
確かに、その通りだ。




「なら、好きにすればいい。但し、お前が途中で化け物に襲われても捨てていくからな」



「おう!逆の場合は俺が捨てて逃げるけどな」



そうして互いに不敵な笑みを浮かべ





ガシッ!!





顔の高さで互いの手を握り締める。




「「行くか」」



















「って、お前は何で私が兄達を探しに外に出たと知っているんだ?」(黎深)


「あ?そんなものお前が外に出ようとした時にたまたま目に留めた時にぶつぶつ言ってたからに決まってるだろ?」(飛翔)




















「下がれ蒼麗っ!!」


霄太師の声が若さを帯びる。それと共に、老いた体が光りと共に変化していく。



「あ、若作り」


「違うわっ!!」


若い姿へと変貌を遂げ麗しい美貌を取り戻した霄太師が叫ぶ。
が、蒼麗はそれをさらりと無視して口を開いた。



「って、こんな事してる余裕は何処にも無いのにぃぃ」


蒼麗は自分達から10メートルほど離れた場所に迫る化け物達を見つめた。



黎深の夢との同調が切れ、目を覚ましたのは今から10分前。その後、安どの表情を浮かべた霄太師にすぐさま簡単な状況説明をして黎深達を探そうとしたが、それを阻むように大量の化け物達が現れたのだ。
そうして、今や霄太師と蒼麗を取り囲むようにして咆哮をあげている。


まるで、哀れな贄を誰が一番最初に喰らうのかを相談しているかのように




「ちっ!!こうなったら仕方ない。術を発動させる」



「え?ちょっ、霄ちゃん!!」



霄太師が結び始めた印に驚き、蒼麗が止めにかかる。



「何をする蒼麗っ!!時間がないんだろう?とっとと終わらせるから手を離せ」


「って、その術殺傷力高すぎる奴じゃないですかっ!!彼らを殺すつもりですかっ?!」


幾ら敵意むき出しとはいえ、自分達を取り囲む化け物達はもとはこの宮城に居る官吏や女官、武官達なのだ。
しかし、霄太師はゆるりと頭を横に振った。


「蒼麗――人間はな、何かをする時には多少の犠牲はつきものなんじゃ」


「霄ちゃんは人間じゃないでしょう!!って、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!何術を放とうとしてるんですかっ!!
絶対にやめて下さ」







〜〜〜♪〜〜〜♪♪〜〜〜






「っ?!この音はっ」




驚異的な聴覚で聞き取ったその音色は―― 久音睡嵐!!



と、自分達を取り囲んでいる化け物達が歓喜の声をあげた。
そればかりか、その姿をまた変え始める。



「どうやら、余計な時間はなさそうだ」


「霄ちゃん……」



「蒼麗、お前の元々の役目は 久音睡嵐を使っている奴をぶっ飛ばして聖宝を取り戻すこと。そして、
邵可達を連れ戻す事ではないか?本来ならば、黎深の事なんぞ見捨ててでも行かなければならない」


「そ、それは……」



「だが、わしの忠告に逆らってでもお前は黎深を助ける事を決めた。ならば、今何をすればいいか解るな?」


「あ、う……」



霄太師の言葉に戸惑う蒼麗。それは、彼の言葉が正しいと解っているからこそ。



「……まあ、わしとしても術の選択は過激だったが……ならば、これであれば文句はないだろう?」


そうして、霄太師が術を組み始める。



その術は




蒼麗の目が見開かれていく。




「葉睡の術……」



霄太師を中心に、光を帯びた木の葉が化け物達を襲った。







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