〜第五十七章〜鬼ごっこの結末、そして再会〜




はぁ……はぁ……………




心臓が破裂しそうなほどに脈打ち、肺は既に潰れるのではないかというほどに酷使されていた。
だが、例え肺が潰れようとも、心臓が破裂しようとも、菊花は此処で足を止めるわけには行かなかった。



「きゃはははははははははははははははははは!何処?何処にいるんだい?」




奴等が来る。あの道化師と…………



「さあ、早く出ておいで?ボクの――玩具(邵可)と遊んでよvv」



その言葉と共に、何かを切り裂く音が遠くで聞こえてくる。



菊花の脳裏に、感情を全て失い人形とした邵可が刀を振るう姿がよぎった。



「邵可様………」



「う……」


「珠翠様っ?!」



肩に背負っていた珠翠が軽く身じろぎをする。意識が戻ったのかと思い確認するが――どうやらそこまでは
回復してはいなさそうだ。



「くっ……逃げなきゃ…………逃げて………生きて………」



せめて、この方だけでも…………


あんな、悪魔の思い通りにはさせはしない。





絶対に――







「ねぇ?何処にいるんだい?早く出ておいでよっ!」




声が先ほどよりも近い。早く此処から動かなければ。
そうして、再び菊花は珠翠を肩に担ぎ歩き出していった。

















「ぜぇ……ぜぇ………」


「おい、本当に大丈夫なのか?」


既に息が荒い黎深に飛翔は声をかけた。すると、帰ってくるのは少し弱弱しいが何時もの憎まれ口。


「ふんっ!この私を誰だと思っている………」


「ああ。恐怖の代名詞を持つ氷の尚書様だな」


「解ってるならば無駄口を叩くな…………くそっ!この体が忌々しい」


あちこちに傷を負った体は黎深の思うとおりには動いてくれない。
それどころか、少し気を抜けばたちまち気を失ってしまいそうだ。
だが、それも当たり前だろう。傷ついた体は休息を欲している。生きる――という本能を満たす為に。


今の黎深を支えているのは、全て兄や養い子、姪を思う気持ちだけである。



そして――





『必ず助けに行きますから………』





蒼麗との約束を果たす為に、黎深は荒い息を吐きながらも必死に足を勧めていく。



「必ず、助ける………誰にも………奪われさせるものか………」



この私の………聖域を…………誰にも……汚させるものかっ!!




そうして、自分にとっての唯一の宝を掴むように顔をしっかりと上げる黎深に、飛翔は口の端を引き上げた。


ああ、そうだ。こいつはこういう奴だ。



だからこそ、自分達は









「なら、何としても生きて辿り着かなきゃならねぇな」


飛翔も改めて覚悟を決める。もし、誰かが追いかけて来た時には、体を張ってでもこいつを先に進ませよう。




「ぜぇ……ぜぇ………」


黎深が大きく息を吸い込み、そして吐き出す。さりげなく背中をさすりながら、飛翔は空を仰いだ。
殆ど暗闇状態の空を見ながら、飛翔は呟いた。


「にしても……邵可様達は一体何処にいるんだ?このままだと、むやみやたらに歩き回るだけになっちまう」



はっきり言って自分達は邵可達の居所など知らない。もし、此処に蒼麗がいれば何か違ったかもしれない。
だが、彼女は共に居ないし、不可思議の力を持たない自分達には全く解らない。
これが普通の日常であればまだしも、今は化け物があちこち徘徊し、宮城は壊れて行き止まりの場所も
多く出現している。また、可笑しくなってしまった邵可達の行くような場所も予想する事は難しかった。



よって、飛翔達は此処まで唯闇雲に歩き回るだけであった。


しかし、黎深の様子を見ていてもこの状態をこのまま続けるのはかなり厳しい。




「なんとかして、邵可様達の居場所がわかんねぇかなぁ?」



すると、黎深がクッと笑った。


「あん?」


「何を今更だと思ってな……」


「は?いや、まあ今更は今更だが」


すると、黎深は飛翔を見て笑った。


「お前は私が闇雲に歩き回っていると思っていたのか?」


「へ?」



それは――一体どう言う事なのか?



「まあ、確かに闇雲に歩き回っていただろうさ…………お前に介抱される前まではな………」



「お前………」




飛翔は黎深を見た。その横顔に浮かぶものはなんなのだろうか?




「呼んでいるんだ……兄上が………私を」



「……なん、だと?」



呼んでいる?



邵可様が?




「ああ。お前と共に、あの休んでいた場所から出た頃からか…………聞こえてきた………兄上の声が」



最初は幻聴かとも思った。しかし、少しずつ大きさをましていくその音に、黎深は愕然とした。



それは、その声は――紛れも無く兄の声。



それも、自分に助けを求めている声であった。











「呼んでいるんだ……………兄上が…………」




「黎深………」



「兄上が……私を…………私に…………」







ほら、今も聞こえてくる





敬愛する兄の声






彼は自分に願う





彼は自分に乞う










れいしん…………………黎深





兄上――






黎深………私の可愛い弟……………私は………





兄上、兄上兄上兄上っ







私は………此処にいるよ…………ほら、もうすぐだ







兄上……止めて下さい







ほら……早く此処に………………そして……






兄上っ!







此処に来て………私を………………








殺し
「絶対に兄上を助けますからっ!」






頭に響く声。助けを求め、自分の死を願う兄の声を遮るように黎深は叫んだ。





決して死ぬものか




蒼麗と約束した。絶対に生きる。













「兄上……どうか私を呼んで……もっと、もっと強く………」







そう――呼んで、兄上








そうすれば行けるから









どんなに体が傷ついても、兄が自分を呼んでくれれば行けるからっ!













だから、どうかこの不甲斐無い弟を貴方の元に導いて――――













そして、その願いは叶う






今、離れ離れになっていた兄と弟が






「くっ?!お、おいっ」



飛翔が声を上げる。



黎深の願いを聞き届けるように、突如開けた視界――其処に居たのは









「兄上っ?!」


















そして時は少し戻る



「あはははははははははははははは!見つけた、ようやく見つけたよっ!」



道化師が御腹を抱えて笑う。そこから10m離れた場所に、菊花と珠翠は倒れていた。



「くっ……」



「おやぁ?まだ立てるのかい?これは楽しめそうだね?他の人達は泣きながら命乞いをしたっていうのに!!」



菊花の目が見開かれる。



「他の人達を……どうしたんですかっ?!」


「おやおや?自分の命が危ないのに、他人の心配かい?あははははははは!!でもいいや。冥土の土産に
教えてあげるよ!!他の人達はあんまりにも煩いから、凍らせてきたよっ!!」



「…………な………」



「これ、知ってる?」



そうして道化師が見せたのは、一つの小さな水晶。
不思議な……けれど、何処かぞっとするほどの冷たさを感じるその水晶に菊花は身震いをする。
すると、そんな反応に気を良くした道化師はケラケラと笑いながら説明を始めた。


「これはね、氷結という名の水晶なんだ。で、その名の通りこの水晶には対象物を凍らせることが出来る」


「……凍らせる……」


菊花が呆然としながら呟いた。道化師の笑みが濃くなっていく。



「そう――これで凍らせてきちゃったよvvふふ、たぶん後一刻もすれば危ないんじゃないかなぁ?あはははは、
三途の川、渡っちゃうっていう?」





――――プツンっ






「きっさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!!」






菊花の中で何かが音を立てて切れる。



こんな、こんな、こんな奴にっ!!



まるで玩具のように弄ばれた怒りも手伝い、例えようの無い激しいものがこみ上げてくる。
そしてそれに突き動かされるように菊花は珠翠を置いて走り出した。
目指すは――道化師。







「あなただけは、あんただけはっ!!」






菊花の握り締められた拳が一直線に道化師に向っていく。




だが――




「おっそ〜〜いvv」



キャハッvvと道化師が笑った次の瞬間。菊花の体が宙を待った。






「ふふふふvvボクの玩具は性能がとてもいいみたいだねぇ?」




道化師の背後に控えていた邵可が、菊花を刀でなぎ払ったのだ。
そのまま、菊花は珠翠の居る場所まで飛ばされていった。
華奢な体が地面に強く叩き付けられる。




「がっ……かはっ………」





「ん〜〜?あれれ〜?あんまり血が出てないねぇ?って事は、邵可ってば刀の刃でなぎ払わなかったのかい?」




よくよく見れば、邵可の刀には血が付いていなかった。平たい部分でなぎ払ったのだろう。



「いけないなぁ?刃でやれば一発だったのにぃ〜〜……ま、いっかvv時間をかければかけるほど楽しみが
増すしね。それに、君もその方が――――苦しむだろう?」



道化師は邵可の頬をなで上げる。何処か妖しく、それでいて優しい手の動き。
しかし、その瞳は憎悪に爛々と輝いていた。



「ふふふ、邵可vv沢山の人を殺してよ。もっと、もっと沢山の人を――」




そして





「ボクと同じ所まで落ちてきてよね、邵可?」






お前にも、同じ苦しみを味あわせてやるよ






ボクとボクの愛した人をを殺した黒狼?






「くすくす……それじゃあ、とっとと殺してこようか?」



道化師は菊花達を指差す。



「さあ………殺せ――ボクの可愛い殺人人形っ!!」




道化師の叫び声と共に、邵可が地面を蹴る。
目指すは、菊花達。遂行すべし役目は彼女達の死。





「しゅ、珠翠様……」



此方に向ってる邵可に、菊花は少しでも珠翠を傍から遠ざけようとした。
しかし、動かない体は唯痛みだけを菊花に与える。




ああ、このままでは






そうしている間にも、邵可が刀を振り上げていく。







「珠翠様…………ごめんなさい」









どうやら、此処までのようです







菊花は刀が自分に向って振り下ろされていくのを見つめながらゆっくりと目を閉じていった。








ほどなく、自分の体に刀は食い込み大量の血と痛みを感じるだろう。
そしてその後はすぐに意識が消えて行く筈だ。菊花は心の中で珠翠に詫びた。
また、自分達の命を奪わせてしまう邵可にも詫びた。



逃げ切れなかった。それにより、邵可はまた新たな罪を背負う事になる。







けれど、もう自分には何も出来ない。








閉じられた瞳から涙が流れ落ちる。












ああ、私は何も出来なかっ









「兄上ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」










ヒュンッ!!




菊花の鼻の頭数cmの所で刀は止まった。
邵可が、感情の篭らない瞳をゆっくりと声のした方に向ける。






そこには







「兄上、もう止めて下さいっ!!」


「邵可様っ?!」





飛翔と、彼に支えられて立ち尽くす黎深の姿がそこにはあった。







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