〜第五十九章〜深淵に沈む願い〜






耳を突く女性の悲鳴。続いて恐怖に満ちた瞳が自分を見抜く。





「あ、あ、あ、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!!」





その悲鳴を最後に、その女性――女官は静かになった。





何故なら、彼女は他の者達と同様その体を氷に包まれてしまったからだ。





その一連の様子を、邵可は感情の篭らない瞳に唯写りこむままに眺めていた。
しかし、何も感じない。酷いとも、残酷だとも、このままでは死んでしまうとも






唯、見ているだけだった





そこに、感情は存在しない。




いや、それどころか思考すら止まっており、目の前の光景を見た所でそれが何なのかさえ認識出来ない。
まあ、だからこそ何もしないのだろう。もし、彼――邵可にまともな思考が残っていれば、即座に助けに向おうとした筈だ。
例え、その体もまた自分の意思では動かせなくとも






そうして、邵可は見ていた。そして傷つけた。





自分の傍で笑い続ける道化師の望むままに





「あははははははははははは!!楽しい、楽しいよっ!!ねぇ、お前もそうだろう?邵可、いや、黒狼っ」




狂ったように笑う道化師はそう言って邵可に抱きついた。



「ほら、見てみなよ!!沢山傷ついていくよ?凄いよね?君は最高の殺し屋だっ」




邵可を嘲笑う様に道化師は叫ぶ。しかし、邵可は何も答えなかった。
思考が停止し、感情もない彼には言葉は聞こえていてもそれが何なのかを認識する事が出来ないからだ。
が、逆にそれが彼にとって救いでもあっただろう。でなければ、彼はその強い罪悪感と現実に押し潰されていたかもしれないから。






道化師は笑う。




「さあ、行こうか?まだ逃げ続けている子達を追いかけなきゃねぇ?」





しかし、道化師は知らない。感情を全て消された邵可が、その奥深くにて闇に囚われながらも必死に弟に助けを求めていた事を。





それは、一つの本能。





例え誰にも、本人にも気付かれない深い闇の中で彼は必死に手を伸ばしていた。



その手を、誰かが握り締めてくれるのをひたすら願い続けて。










それから暫くの後、邵可は道化師の望みどおりに最後の二人となったゲームの生き残りを追い詰めた。


傷だらけになった二人の女官を。その内の一人は意識すらなかった。


だが、彼女達――いや、彼女は他の者達とは違った。
泣いて命乞いをした他の者達とは違い、決して媚を売ろうとはしなかった。
それどころか、道化師の物言いに怒りをあらわにし、その女官は此方に殴りかかってきた。



その、強い瞳に邵可は何かを覚えた。しかし、それが何かを理解する前に淡雪のように消える。
そして、道化師に殴りかかろうとしたその女官を己が持つ刀で叩き飛ばした。手加減は一切していない。


が、道化師は不満そうだった。


「ん〜〜?あれれ〜?あんまり血が出てないねぇ?って事は、邵可ってば刀の刃でなぎ払わなかったのかい?」



どうやら、無意識の内に刀の刃でなぎ払わなかったらしい。


道化師はトドメを指すように邵可に言う。



そして





「ボクと同じ所まで落ちてきてよね、邵可?」






彼はそう言って笑った。








そうして振り上げられる刀。




その時、自分は何かを叫んでいた。口ではなく、心で。






其処にはいない人物に手を伸ばしながら






誰もその手を掴む相手が居ないと知りながら











絶望











まるで操り人形のような肉体が、腕に握り締められた刀を女官に向って振り下ろされていく













「兄上ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

















――黎深っ――











誰も、本人さえも気付かない闇の中で、伸ばされたその手がしっかりと掴まれた








その時、邵可の瞳から一筋の涙が零れ落ちたのを、誰も知らない









誰も











本人すらも



















黒い髪を背中にたらし血に濡れた刀を片手に立つ兄の姿に、戦慄が走る。





「あ……に…うえ………」




その姿はまさに、漆黒の死神そのもの。
纏う気配は何時もの温かみはなく、触れる物全てを切り裂き、見るもの全てを凍り付かせるかの如き
冷たい殺気へと変わっていた。加えて、感情の篭らないまるで人形の様な雰囲気が更にその恐怖に
拍車をかけている。例え、彼が元暗殺者だと知らなくてもきっと今の彼を見れば誰もが思うだろう。






正しく、命を刈る者――生あるものに死を齎す漆黒の使者だと







現に、隣に居る飛翔などは邵可の変貌に震えを発していた。






「兄上………」




「紅 黎深――ボクの玩具の弟だね?」



邵可の隣に居た道化師がくすりと笑った。
黎深がそちらに視線を向け、そして叫んだ。



「誰だ貴様はっ!!」



「ん?ボクは道化師。『彩の教団』の幹部の一人だよ。ふふ、待っていたよ黎深。これでもっと楽しくなるよ」




このゲームがね





きゃはははははと笑う道化師に、黎深は唇を強く噛締めた。



「『彩の教団』……だと?あの忌々しいくそったれ集団の事かっ!!」



「くそったれとは酷いんじゃない?崇高なる目的を持った選ばれし者だけが入れる聖なる教団だというのに。ふふ、
やっぱり理解できないか?そうだよね――この男の弟だし。ふふ、かわいそ〜〜、こんな男を兄に持つなんて」



「くっ!!貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」



「あはははははははははははははは!!」



「黎深、落ち着けっ!!」


「煩い煩い煩いっ!!あいつは私の兄上をっ!!」



と、そこで黎深は気付いた。



「まさか、兄上がこんな風になってしまったのは、貴様がっ!!」



すると、道化師はけらけらと笑った。



「ぶっぶ〜〜♪ボクじゃないよ?ボクは玩具を貰っただけ。君の大切な人達をこういう風にしたのは、別の人だよ。
あははははは、人の恨みは買うもんじゃないよねぇぇぇぇ?」



「黙れっ!!」



「楽しい楽しい玩具♪ボクの思うままに動き、命じるままに人を殺してくれる殺戮人形!!凄いでしょ?欲しい?
でも、あげないよvvボクの大切な玩具だからねぇ」




「このっ!!」




既に怒りが突き抜けた黎深だったが、だからと言って何かが出来るわけではない。既に影は居らず、自分の体も傷つき
満足に動かす事が出来ない。それどころか、武器一つ持っていないのだ。刀一つ投げ付けてやる事さえ出来ない。


自分の力の無さに苛立つ黎深を眺めながら、道化師は笑い続ける。
そして、ゆっくりと黎深達を指で指し示す。




「ねぇ、せっかく感動の対面をしたんだから、ついでにご挨拶に行ってきなよ。とびっきりのご挨拶をね?」



ニタリと笑う道化師に応じる様に、邵可が地面を蹴った。






「黎深っ!!」





飛翔の悲鳴が上がる。顔を上げた黎深の眼前に、鈍く光る刀身が現れる。





「くっそぉぉぉぉっ!!」






黎深が渾身の力を籠め、飛翔の方へと倒れこむ。
元居た場所を、刀身が美しい軌跡を描いていった。







ドォォォォォォォォンっ!!





刀が地面を切り裂いたその直ぐ横に、黎深と飛翔は倒れこんだ。
粉塵が辺りを覆っていく。




「あ、危なかった……」



「ひぇぇぇぇっ」




一瞬の判断で頭と胴体が繋がった二人は、直ぐ横に突き刺さる刀に肝を冷やしたのだった。



そんな二人を見ていた道化師が鋭く舌打をした。



「ちっ!死に底無いのゴミどもが……」










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