〜第六十三章〜〜



「奴らを追い払う道具がある」


どうやって魔獣達を追い払うかと思案していた自分達に、それまで黙っていた葉医師がそう告げた。
その、天の助けとも言うべき言葉に、即座に彼らは反応する。



「それは、一体」


「遥か昔、とある人物が残していった道具だ。この仙洞宮の中に安置されている」



「それは、一体どんなものなのですか?」


中でも一人冷静な麟騎が質問する。


「宝玉の一種だ。退魔の力を宿している。それを使えば奴らを追い払えるだろう」


その言葉に、その場から幾つもの歓声が上がっていく。



が――



「幾つか問題がある」



「え?」


「まず、その宝玉の使用方法だ。その力は水面に水滴が落ちた際に広がる波紋の様な
形態で広がっていく。その為、出来る限り魔獣達の中心で力を使うのが有効だ。
そしてもう一つ。その宝玉の力が使えるのはただ一度きり」


「い、一度ですか?」



「そうじゃ。そもそも、その宝玉には皹が入り始めておる。使えて、後一度が限度じゃ。
故に、失敗は許されない。一度で魔獣全てを葬るには、最も効果的に力が使えるように
した上で発動させなければ」


「となれば……この仙洞宮の頂上ですね」


「それも、屋根の上じゃ。幸い、飛行型の魔獣は居ない――が、危険な事は確かじゃ」



その言葉に、魔獣達の居る外に一度出て屋根に上がる必要があるとの事実を悟り、一同が青ざめる。


「いや、下の出入り口から出る必要はないでしょう。そこの窓から屋根の上に上がれば」


といっても、その間に危険が一つもないかと言えばそんな事はない。
魔獣の中には遠距離の攻撃を出来るものもおり、一度外に出れば格好の的にされてしまう。



「な、何とか中から使えないのですか?」


武官の一人が言う。しかし、葉医師は首を横にふった。



「それは無理じゃ。此処には不思議な力が働いているらしく、この中では宝玉は発動させられん」



唯一の例外は、彩八仙のみ。



(まあ、蒼麗や……あいつらも出来るといえば出来るが)



とは言え、蒼麗はそもそも力なしなので発動も何もないし、奴らはこっちの為には絶対に動かないから
あんまり意味がないのだが……。



「それでは、問題は誰が行くかですね」


麟騎の言葉に、その場に重い空気が漂った。


下手をすれば、そこに待ち受けるのが死という現実が、彼らに重くのしかかっているのだ。
と、その時、麟騎が小さくため息をつきながら口を開いた。


「私が行きましょう」


それは、静まり返った室内に静かに響き渡った。



「……え?」



呆然と、奉明が呟く。


今、彼はなんと……




「他の者達では無理です。私が行きます」



その言葉に、先輩武官達が我に返った。



「なっ!お前っ」


「では、先輩達が行きますか?」



冷静なその言葉に、他の者達が口を閉ざす。


「別に、先輩達の能力が劣っているとかそういうのではありません。色々な方面から見て、
私が行くのが一番いいと思うんです」


「っ!馬鹿っ、そんな事に拘ってるんじゃねぇよっ!」



先輩武官が叫ぶ。別に、そんなのが理由ではない。
自分達が戸惑ったのは、奉明の存在だ。麟騎と奉明は想いを通わせあい、ようやく恋仲となった。
しかし、もし此処で彼に何かあれば、残された奉明がどうなるか……。



ってか、白大将軍に殺されるっっっっっっ!!



きっと、コテンパンにされるのは間違いないだろう。



「それについては大丈夫です。むしろ、大切な従兄弟をたぶらかす男が減ったと大喜びするでしょうから」



さらりと言い切る麟騎に、周囲がビクついた。


「お前、今、俺らの心の中を」


「顔に描いてありましたので。それよりも、事は一刻を争います。此処でちんたらと話している
余裕はありません」


麟騎の言葉どおり、外に居る魔獣達の鳴き声は時間を追うごとに大きさと邪悪さを増している。


「このままでは全員全滅する事は必死です。そしてそれは何が何でも避けなければ。
決めましたからね、皆で生き残ると」




皆で生き残る




それは、ここに居る者達全員の願い




「そんな顔をしなくても大丈夫です。身軽さでいえば、私は軍の中でも5本の指に入る」



そう言って笑う麟騎に、他の同僚達は何もいえなかった。
確かに、麟騎の身のこなしは大将軍達や楸瑛さえも舌を巻くほどだ。
一度外に出てしまえば、何時襲い掛かるかもしれぬ魔獣達の攻撃に恐れながら只管上を
目指さなければならない。それには、出来る限り身軽で――そう言った屋根の上など高い場所での
作業に慣れている人物がいいだろう。



そして、それには麟騎を除いては此処には居なかった。



「麟騎様……」


不安、戸惑い、悲しみ、そんな幾つもの感情を宿した瞳が自分を見つめてくる。
細い肩が小さく揺れ、愛らしい唇からはふとすれば制止を叫びそうに震えていた。
しかし――麟騎には、彼女がそれをしないと分っていた。彼女も武人を輩出する家柄。
今此処で心のままに止めてはいけないと誰よりも分っている。



可哀想に……こんな男でなければ彼女はもっと幸せになれた筈



彼女の事を一番に考え、常に彼女の傍にいて安心させ、その身を守る




それを、自分はしてやる事は出来ない





常に、その時その時によって最上の選択をする事を叩き込まれている自分には、今このとき奉明を
一番には考えてやれない





可哀想な奉明



そしてそんな我侭な自分の意思を汲み取り、必死に自分を押えつけようとする健気さ




彼女はいい妻になるだろう



特に、武人にとっては誰よりも理解を示すだろう




そう、自分でなければ






それは、今この時だけではない







自分




澪 麟騎という男に好かれなければ





(けれど……手放す事はできない)




ようやく見つけたのだ




父が母を見つけたように




自分にとって最愛の伴侶を





それは、例えどんなに脅されても、引き換えにどんな地位や身分、財産を渡すと言われても
決して手放す事などできない






そう――だからこそ、申し訳なかった




自分が夫でさえなければ、彼女はこんな風に泣きそうになりながらも自分の思いを
我慢しなくていいのに……






麟騎は、自分の目の前で必死に微笑もうとする奉明を見つめながら思った。




可哀想で……けれど、誰よりも愛しい相手





数百年もの時を生きた父が、母の為に全てを捨てたように




自分も奉明の為ならば全てを捨てるだろう



その寿命も、その力も








『大丈夫?』







麟騎の瞳に、幼い少女が写る。







本当は……もっとずっとずっと前に彼女に出会った。






自分の本性を見ても泣くどころか微笑み、暗い暗い森の中を手をつないで二人で歩いた。





彼女はおぼえて居まい。そう術をかけた。






けれど、今奉明は自分の下に居る。








魔獣達の居る外に出ての作業は自分をもってしても困難を極めるだろう。
特に、本来の能力を隠しての行動は更なる負担を齎す。




きっと奉明を大いに不安にさせ、悲しませるだろう。




だから、せめて――





そこで、麟騎は瞳を閉じた。




いや、違う。




その代わりでもなんでもなく




自分は必ず生き延びよう。





そしてゆっくりとまぶたを開け、にっこりと奉明に笑いかけた。




「全てが終わったら、長期の休みをとります。そうしたら、行きましょうね――私の実家に」



その言葉に、奉明は悟った。彼の強い決意を。



彼は必ず戻ってくる。




それは、一種の勘。けれど、決して違える事のないもの。



そう――彼は必ず帰ってくる。



ならば、自分は





「……待ってます。ご武運を」




彼を信じて待つのみ。







すると、驚くほど気持ちが静まり返った。
あんなに不安で怖かったのに。




そんな自分の気持ちの変化に驚きながらも、奉明も麟騎に微笑みかけた。





一方、そんな二人を見ていた周囲も、心を決め始める。



彼らの、此処までの強い決意。それを阻む事はできなかった。


ならば、自分達に出来る事をしよう。彼らのために。麟騎が無事に戻ってこられるように。




そう――全力で援護に回るのだ。







そして彼らは、幾つか言葉を交わすと、一斉に動き出していった。







―戻る――長編小説メニューへ――続く―