〜第七章〜葛藤、そして平穏〜






女官でも、ましてや官吏でもない一般人。
故に、出仕して来る官吏達に気づかれぬ様、隠れ忍びながら宮城を出てきた秀麗達二人は、その後、
何事も無く屋敷に戻った――――と言う様にはすんなりと行かなかった。
その原因は、宮城を出るや否や、自宅の屋敷のある方向とは別の方向にスタスタと歩いて行ってしまった秀麗だった。
驚いた蒼麗の制止も何のその。全く聞こえてませんと言わんばかりに秀麗は先を進んで行く。
その歩は速く、何とかして秀麗を止め様と制止を求める蒼麗も、終には走り出して追掛けなければならなくなった。




「秀麗さん、待って!」




如何にかして秀麗の歩を止め様と、離された距離を縮めつつ、
秀麗の背に制止の声を掛ける。だが、返答は今までと同じく全く無かった。



「秀麗さん!!」



それでも諦めず、蒼麗は秀麗を追掛ける。そうして、ようやく追いついた時には、既に王宮はおろか、
家とは完全に正反対の場所をかなり進んでいた。




……最初に直ぐに追掛けず、驚いて暫く立ち尽くしたのがいけなかったかも知れない。




そんな自己反省をしつつ、蒼麗は秀麗の衣を掴み、引き止める。
それが功を奏したのか、秀麗の歩が止まった。




「秀麗さん、そっちは邸の方じゃないですよ。邸に戻るのなら」




「そんな事、解ってるわ」




親しみも優しさも感じられない憮然とした物言いに、蒼麗は驚いて衣を掴む手を離してしまう。
直ぐに「あっ、逃げられる」と思ったが、蒼麗の予想に反し、秀麗は動かなかった。
そのまま、静かにその場に立ち尽くす。


「……秀…麗……さん?」


此方に背を向けているせいで秀麗の表情は解らないが、その声音と背中に漂うそれからしても、良いものでは
無いのは確かだ。証拠に、蒼麗が恐る恐る前に回ってその表情を覗き込むと、必死に何かに堪える様な
悲痛な表情を見て取る事が出来た。



「……秀麗さん……」



「……解ってる……私だって……危険な事位……」




秀麗はぽつりぽつりと、蚊の鳴く様な小さな声でそんな事を呟きだした。
蒼麗は、それが直ぐに宮城での事だと悟った。――だから、何も言わずに秀麗の言葉に耳を傾けた。
同時に、次々と秀麗から言葉が飛び出して来る。危険な事は解っている。
みんなが心配してくれるのは解っている、と。秀麗は同じ様な言葉を何度も繰り返す。
蒼麗も何も言わなかった。








そして――









「解ってる……父様や劉輝達の言う事も……けど、けどこのまま ジッとしてなんて居られないのっ!!」









終には叫びとなった。






そのまま、両手で頭を掴み、その場にしゃがみ込む。






――間もなく、嗚咽に近い物が秀麗から聞えて来た。





もし、此処が商店街等、人気の多い場所ならば人気の高い秀麗の事。
多くの者達が如何したのかとやって来ただろう。


しかし、今居る場所は、殆ど――いや、今は誰も居ない、元々が人気の少ない寂れた公道。
だから、誰も秀麗の嘆きを邪魔する者は居なかった。
唯一人、傍にいた蒼麗もまた、秀麗の気が静まるまで静かにその背を撫で続けていた。





秀麗の泣き声が、道の両側に生え渡る木々のさざ波に紛れては消えていく。






遥かなる上空の空は、悲しいまでに澄み切っていた。


























すっかり、赤くなってしまった瞳と、少しばかり嗄れてしまった声。
それを恥ずかしそうに隠しながら、秀麗は何も言わずに唯自分の突然の激情に付き合ってくれた蒼麗に、心から礼を言った。










また――――此処まで、連れて来てくれた事も










今、二人が居るのは、先ほど居た場所である公道から人の足で100歩程直進し、途中左に曲がってもう50歩程
歩いた場所にある小さな祠の前であった。人が来なくなってもう数十年は経っているだろう。木で出来た祠は
彼方此方が腐り、装飾品もその殆どが壊れてしまっていた。しかも、周りが木々で囲まれている為、下手をすれば、
その壊れた祠から幽霊でも出てきそうな感じの不気味ささえ漂っている。普通の者であれば、まず此処への来訪は
御免被るだろう森の中の祠。だが、不思議と秀麗は此処が好きだった。いや、さっき此処に連れられて来た途端に
好きになった。何故だろう?人によっては気味が悪いとも言えるこの場所が、今の秀麗には心の安定剤の様な物と
なっていた。先程、あれだけ波立っていた心も、此処に来てからは不思議と静まり返り、心の平穏を取り戻している。



あるのは、後方の朽ちた祠と、周りに鬱蒼と生える木々、そして少し首を傾けると目に飛込んでくる青々とした
澄み切った空。そして、時折風が吹くと鳴り響く木々のさざ波と、これまた時々やって来る小鳥達の鳴き声。




そのどれもが、今の秀麗には心休まる素材となっていた。



だから――秀麗は心からの礼を蒼麗に告げた。







ありがとう―――――と







その礼に、蒼麗も笑顔で応えた。



しかし、間もなく真剣な顔をして、秀麗に問いかけた。


それは、此処に来る事になった原因でもある事。





何故、そんなにまで聖宝探しを手伝う事に執着するの?それも、危険が解って尚――と




途端、秀麗の瞳が、大きく見開かれた。





「それ、は……」



自分を静かに見つめてくる蒼麗。その、美しい黒瞳に、秀麗は嘘を付けない事を悟った。
例え付いても、その何処までも続く海原の様に大きく、何処までも深い瞳はきっと直ぐに見抜いてしまうだろう。




だから――秀麗は真実を話すしかなかった。



自分が、此処まで拘る訳を――――






「……だって……聖宝を一刻も早く探して回収しなければ……その彩の教団の人達の手に渡ってしまえば、
この国は再び混乱に陥ってしまう……8年前のように……」










8年前?












―――――――っ?!











「……8年前の……王都を滅茶苦茶にした……公子達の王位争い……」




呟いた蒼麗に、秀麗は頷いた。


その顔に、憂いある表情を浮かべながら――








―戻る――長編小説メニューへ――続く―